見出し画像

8月9日11時2分長崎

こんにちは、廣瀬です。

今日は8月9日、長崎に原子爆弾が投下された日です。1945年8月9日11時2分、1つの原子爆弾が長崎の上空で炸裂しました。一瞬のうちに多くの命が消え去り、そして生き残っても後々まで後遺症を抱えている人も多く居ます。

私にとって8月9日とは正直、登校日で平和集会をして、長崎原爆や広島原爆の被害の写真などを見る日という位置づけなのですが、全国的にはまあそうではないことはある程度の年齢になってから理解しました。

平和学習をする日って、各地域で大きな被害を受けた日っていうのが多いでしょうし、長崎はそれがたまたま8月9日だったというだけなんだなと。

子どもの頃の私の率直な感想としては、平和学習で見る被爆者の方の写真はトラウマ級に衝撃的でした。平和学習で見るビデオや、講話なども生々しく記憶に残っています。

小学生の頃初めて社会科見学で原爆資料館に行った時、ずっと泣きそうでした。毎年見ていた写真だけではなく、実際の遺品などを見ると、本当にあったことなのだと子どもながらに痛感したのです。

写真だけでは伝わってこない生々しさがそこにはあって、もう2回目に行くことはないだろうと思っていたのですが、成人してから行く機会がありました。

関東に住む友人が長崎に遊びに来た時に、原爆資料館にどうしても行きたいというので私もついていったのです。正直なところ気は進みませんでした。

でも大人になった自分がどう感じるのか、ということも確かめたくなり結局は行くことにしたのですが、子どもの頃の衝撃の上書きではなく、違った感情が出てきました。

繰り返してはならない。もう2度とこんな悲劇は繰り返してはならないという思いが強く湧いてきたのです。

広島原爆忌にも記事で書いた通り、原子爆弾の被害にあったのは非戦闘員である一般市民です。

ただそこに住んでいただけの、当たり前に暮らしていただけの私達と同じ一般市民なのです。そんな人々の命を一瞬にして奪ってしまう原子爆弾という兵器はこの世界から無くなるべきだと強く思いました。

アメリカ側の言い分もわかります。原子爆弾の投下によりアメリカ軍の多くの命が救われたというのはアメリカ側としては正当な理由付けでしょう。

戦争というものは人の命を奪い合うものです。平時の一般論は通じないものだと思います。

この世界から戦争が無くなることが一番良いことだと思います。それがほとんど実現不可能なことだとしても、それを目指していく世界であってほしいと願います。

最後に全ての戦没者の方が安らかであることを願って、この記事は終わりにしようと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。また次回の更新でお会いしましょう。

よろしければサポートお願いします。頂いたサポートは治療費や創作活動に使用させていただきます。