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「アベンジャーズ/エンドゲーム」評論

 気持ちの整理がついてきたので「アベンジャーズ/エンドゲーム」の感想を書きます。※はじめに断っておきますが、決して賛美するだけの内容ではありません。むしろ腹が立ったことが中心なので、「完璧だった」「何も文句などない」という人は、こんな駄文に付き合うだけ時間と気分の無駄です。あと完全にネタバレしていくので悪しからず。

 先に良かったところを書いていきます。


まず開始早々にサノスが死ぬという展開は、想像のななめ上をいっててビックリしました。確かに前回の文章で、サノスはあの指パッチンで自分が死んでも構わないと思ってると書きましたが、こんなアッサリと!でも殺してしまったことで、より絶望的状況になるのも含めて良かったです。

 次にソーが出てくるところはだいたい爆笑しました。北欧神話のトールも単細胞バカなんですけど、マジで世界の命運がかかってるのに

全く真剣さが感じられない(ほめてます)

 あとムジョルニアをキャップが割と簡単に使いこなせちゃう感じも笑いました。その時ソーが嬉しそうに「おぉ、やっぱり!」って笑うとこで、

あぁこいつは本物のバカだ


と幸せな気持ちになりました。

 あとやっぱキャップの“Avengers,assemble!”からのメインテーマで、集結したアベンジャーズがスローになって一列で突撃する瞬間ね。


これを観に来たんだ!


 って高揚感と、11年間という年月の結晶に立ち会えた歓びがありました。メインテーマといえばエンドクレジットも最高。大好きな先輩達の代が卒業する、それを祝福する部活とかサークルの後輩の気分になりました。「ブラックウィドー先輩!一緒に写真撮ってください!」的なね。

 あとはキャプテン・マーベルを中心に女性ヒーローたちが集結するキメ画の感じも最高でした。ってか今回のキャプテン・マーベルはまず髪型がイイ。最近のケイティ・ペリーみたいでした。

ペッパー・ポッツがその典型だと思いますが、MCU世界では女性キャラもヒロインではなくヒーローなんだと再認識させられました。だからジェーンみたいなキャラは脱落していくし、(単にナタリー・ポートマンのスケジュール的都合かもしれないけど)ペッパーみたいに戦う方を選ぶ人もいる。

 ペッパーでいえば「エンドゲーム」観て、僕は改めてアイアンマンが一番好きだなと思いました。なぜかというと、パワードスーツさえ着れば誰でもヒーローになれるからです。たとえばiPhoneを作ったりアプリをプログラミングすることは出来なくても、大勢の人がそれを使いこなして何か別のものを作り出すことができます。大事なのは「誰がやるか」ではなく、「あなたは何をするか」がアイアンマンシリーズの通底する哲学で、それは「誰だってヒーローになれる」ということも意味しています。

 特にジャンプなど日本の少年漫画は、主人公が何らかの血統的才能を持つ「選ばれた人間」であることが多く、全然救われた思い出がありません。
(もちろん「アイシールド21」や「あひるの空」みたいな例外もあります)


だから日本でもこれだけマーベルがウケたのは、常に時代のニーズに対してチューニングしてきたからに他ならないでしょう。

 だけど!

 だけどですね。集大成となる「エンドゲーム」に、やっぱり「そりゃないだろ」と思うとこがメチャクチャたくさんあったのも事実です。これはもう「最後のジェダイ」にしてもそうなんだけど、期待値が上がってしまう映画に対して個々の満足を求めること自体間違ってますけどね。
 先に立ち位置から説明すると、僕はMCU作品は全部観てはいますが、フィギュアを集めたりゲームをやったりするマーベルファンってわけじゃなく、普通に映画そのものが好きなだけです。なのでマーベル原作もスパーダーマンしか読んだことないし、映画でしかアメコミに触れることもない。
 そんな僕だからこそ言えることですが、「エンドゲーム」は普通に1本の映画のクオリティとして、「う〜ん…」って感じなんですよね笑。


まず3時間が長すぎ笑


やっぱり前半のテンポはさすがに重たすぎますよね。そのせいでクライマックスで味方チームが復活していくアガるはずの展開が、かなりダイジェスト的で消化不良だし笑。前半が重たい理由として、タイムトラベルの理論が「バック・トゥ・ザ・フューチャー」とかとは違う飲み込みづらい設定のため、理解してもらうための尺が割かれているっていうのがあります。


 でもまぁ、そもそも突飛な話だからなぁ。そもそもアレを一発で理解できた人っていますか?僕はネビュラが過去の自分を射殺した時に、「えっ?そしたら自分も死んじゃうじゃん!」って普通にビックリした笑。

 さて、そろそろ僕が激おこぷんぷんまるになってしまった最初の理由について話したいんですが、それはまさにこの本作のタイムトラベル理論にあります。なぜネビュラが死なないかというと、タイムトラベルで別の次元の世界が枝分かれしていくからです。

言葉で説明するのは難しいですが、「ドラゴンボール」セル編で、未来からやってきたトランクスが「この時代で人造人間を倒しても、僕が来た時代の歴史が変わるわけではない」と説明しますが、まさにそれ。「エンドゲーム」ドラゴンボール方式のタイムトラベル理論を採用しているのです。

 だからサノスを倒すために、アベンジャーズが取る行動をすごく悪い言い方で言えば、

「他次元がどうなろうと、自分が助かればいい」

ってことなんです。ヒーローがそれでいいのか?
ニューヨークのエンシェント・ワンが未来から来たハルクに「タイムストーンくれ」と言われたことに対し、「いや、ないと困るんだけど」ってメッチャ正論言いますよね笑?で、それに対してハルクが「後でちゃんと返します」って言うんだけど、これもおかしい。返すためにまたタイムトラベルすると、新しい次元が生まれちゃうじゃん笑。
 「エンドゲーム」はこんな感じで、「俺たちの世界を守るために」別次元で略奪する、俺たちユニバースさえ良ければそれでいい物語なんですよ。

これ悪役の思考だろ笑

 自分たちだけに見える世界が平和ならそれで良いという考え方は、トランプですよね。独裁者ですよね。しかも都合良く一般市民は描かれません。人口は半分になっても、地球には30億以上の人々が存在するはずです。でも書き割りですらないっていう。アベンジャーズみんな「失われた命のために戦う」って言ってるんだけど、最終決戦も都合よく人がいない荒れ地で戦うし、今回は人命救助シーンとかもないんです。


 サノスは、アベンジャーズ達が時間をイジって自分の計画を止めようとしていることを知った時に、こう言います。「俺の計画は間違っていた。生命を半分にするのではなく、宇宙を一旦塵にしなければ」と。これって、プロレスでいうマイクアピールですね。

中途半端な知的生命体がいるせいで、マルチ・ユニバースをガンガン作って世界をややこしくしやがって、自然の摂理に反してるだろっていう、それはそれで至極まっとうなご意見だと思います。それに対し、マイクアピールされた側のアイアンマン、ソー、キャップは何て言うのか、どう理論で人間を肯定するのかなと思ってたら…

うるせぇ!

 って感じでタコ殴りなんですよ。いやいやいや!否定してくれぇい!サノスの哲学を、まずは否定してくれぃ!

 なんでそこまで目くじら立てるの?所詮フィクションじゃんと思われるかもしれませんが、「エンドゲーム」の前に公開された「スパイダーバース」もマルチユニバースの話で、こっちは完璧だったんですよ。つまり他の次元に迷惑をかけるどころか、他の次元の「自分のような存在」と協力することで、最後自分の世界に還り改めて強くなるみたいな、ちゃんとヒーロー映画になってたんです。

 まとめるとタイムトラベルっていう禁断の果実に手を出したせいで、ヒーロー達が戦う理由がブレブレになっています。僕はサノスの哲学がなぜ間違っているか、ヒーロー側がなぜ正しいかを戦いを通じて観せてくれるものだと思ってたのに、「だってアイツ…どう考えても悪いじゃん?だからよってたかって襲いかかってもいいっしょ?」みたいな。いやいや、ぜんぜん良くないんですけど?


 
 僕が怒った2つ目の理由は、ズバリ「ブラックウィドーの死」です。あそこは心底ゲッソリしました笑。前作の「インフィニティウォー」でサノスは娘のガモーラを殺してソウルストーンを手に入れます。これが悪役の方法論なのだとしたら、ヒーローはやっぱり犠牲を払わずにそれを手に入れる方法を模索すべきだと思うんです。


 また例えですが、ファイナルファンタジーⅩの一番アツいところ、ユウナレスカ戦です。シンを倒すための旧態依然とした方法ではユウナが犠牲になっていますが、ティーダはそれを拒否します。そこでアーロンの名言です。

さぁどうする 今こそ決断する時だ
死んで楽になるか 生きて悲しみと戦うか
自分の心で感じたままに 物語を動かす時だ

 これに尽きます。大切な人が死なないと手に入れられない物を手に入れようとすることが、そもそもおかしい笑。その不条理をアッサリ受け入れて何がヒーローか。しかもヒーローが自殺するって、これ一番やっちゃいけないでしょ…「マン・オブ・スティール」でスーパーマンがゾッド殺したのより、タブーをおかしたと思います。


 もっと言うと、どっちが死ぬかで争っていたホークアイもブラックウィドーも、過去に人をいっぱい殺した贖罪をしたい。自分は死んでもいい存在なんだって主張なんだけど、いやそれも大間違いだよ。自殺じゃ裁かれたことにならないし、そもそもヒーロー映画としては「過ちをおかしても、人間はやり直せる」って言ってくれないと。
 僕はスカーレット・ヨハンソンという女優が本当に好きで、やっぱり第一線で活躍していた彼女みたいな人が10年近く「アベンジャーズ」に軸を置いてブラックウィドーをやってくれたからこそ、MCUのバリューが上がったと思っていて、その貢献者に対してのこの仕打ちはあんまりですよね。

 3つ目の理由、というかブラックウィドーが死んでからの展開は正直どんどんどうでも良くなっていったので、そんなに怒ってないんですけど

「キャプテン・マーベル強すぎ問題」です

いやアナタね、アンタいたら最初からサノス止められてたよ笑。最後もたった1人で空母1隻沈めてるし。さすがに設定チートすぎて、製作者側も考えましたね。彼女が不在の理由は「忙しいから」と「宇宙が広くて地球だけにかまってられないから」ですって。いや、じゃあ宇宙にはサノスより強いヤツがゴロゴロいるの笑?優先順位ってもんがあるでしょ、とかね。
 「キャプテン・マーベル」が連想させるのは「封神演義」の燃燈道人です。あれも物語のオーラスで出てきて半端なく強いっていう。お前、最初から出て来いよ笑。もっと血が流れずに済んだだろっていう。


 4つ目の理由、サノスの倒し方。

指パッチンかよ笑

 あのガントレットをめぐる攻防は「ジョジョの奇妙な冒険」第5部の「矢」の取り合いみたいで面白かったけど、社長はどうして石を奪うことができたの?キャプテン・マーベルの力でも外せなかったのに。今までのMCUならあそこにちゃんと伏線があって、石を奪うロジックがあったのに、雑でしたね。

 5つ目の理由 

ロキの出番が少なすぎ

 これはもう大人の事情だと思います。でもロキがキューブを盗んで消える場面は追撮しているから、別に出れない理由はないと思うんですけど。例えば、最後のガントレットの奪い合いでサノスが手に入れてしまう→もうダメだとみんなが絶望する中、サノスが指パッチンするが・・・→実はガントレットはロキが化けていたものだった、とかね。
 ロキってトランプでいえばジョーカーみたいな、一番オイシイ役でしかもめっちゃ人気あるので、僕はもう少し彼をフューチャーする展開があってもよかったのにと思いました。

 以上が僕の雑多な感想です。あ、あとドクター・ストレンジの前作での予言はすごく意味深っぽかったけど、結局めちゃくちゃ場当たり的だったなとか、掘ればまだまだありますけどね。

まぁでも世の中の人は怒ってるどころか、大満足してるみたいなので…

単に僕の心が狭いだけだと思います

 ただこの映画観て一番良かったのは、12月のスター・ウォーズのハードルがグッと下がったことです笑。MCUでもコレなんだから、肩の力抜こって思いました。別にいいんだ、観れるだけでありがたいんだから笑。


<※ここから追記部分です (5/6に加筆)>

 これを書いた後、てらさわホークさんの『マーベル映画究極批評』を読んで、少し(というかかなり)私の考えの浅い部分もあったので、いくつか書き足します。この本はマーベル映画愛に溢れていながら、同時に冷静で映画の構造的問題をしっかり指摘している上に、「エンドゲーム」までの流れを非常に分かり易く説明した素晴らしい本でした。

 まずナタリー・ポートマンが降板した理由は、「マイティ・ソー/ダークワールド」をめぐるゴタゴタでマーベルスタジオへの信頼を失ったからだそうです。ま、確かに仕方ない。ぶっちゃけあの作品は今のところ一番つまらなかったし笑。なので、女性ヒーロー像の話で引き合いに出すのは、少し違ってました。すみません。(その後、彼女はインタビューの度に態度を曖昧にしているので復帰がないわけでもなさそうだが果たして...)

 あと映画単体のクオリティで評価しようとする僕の考えが、そもそも間違っているというのもあります。例えばMCU内では、ピーター・パーカーの父親代わりはベンおじさんではなくトニー・スタークでした。だから今回の彼の死は、今まで描いてこなかったトニーが真の意味でスパイダーマンになる瞬間、苦い通過儀礼だったわけです。

「大いなる力には大いなる責任が伴う」

 とは言わずに「私はアイアンマンだ」でしたが、彼の行動は分かりやすくスパイダーマンのテーマが詰まっています。それを受けて、じゃあトニーはどうするのか。フェーズ3の最後をかざる「ファー・フロム・ホーム」はまさにそんな話になるでしょう。つまり、スパイダーマンシリーズのジョイントとして考えれば、「エンドゲーム」は超重要でいいシーンなんです。


 それからソウル・ストーンのくだりで僕がガミガミ噛み付いていたところも、実はまだ何かある可能性はあって。死んだブラックウィドーは単体の作品の公開が控えています。ケヴィン・ファイギは「あそこでブラックウィドーは死んだ」と公言していますが、もう一つの謎はレッド・スカルです。

 番人がレッドスカルであることを劇中でひたすらスルーされてましたけど笑。でも「エンドゲーム」最後にキャップがストーンを元の場所に返しにいきますよね。しかもそれは成功したっぽい。

 しかしソウルストーンって返すのは不可能でしょ。愛する人が死なないとあの水たまりの世界に行けないわけだから。なので、レッドスカルと対峙したキャップが何かするって展開が絶対に「ブラックウィドー」の単体作にあるはず!いやあってくれ笑!

 こんな感じで「あそこはどうなの?」っていう穴ボコを、次に活かすor「マイティ・ソー バトルロイヤル」みたいに潔く破壊することができるのがMCUの良さでもあります。あ、でも書いてるうちにまた1個グチを言いたいこと思い出したわ笑。

ホークアイとブラックウィドーの関係性、あれ奥さんと子供たち可哀相すぎ!

 愛ってなんなんでしょうね笑?サノスがガモーラを殺したように、あれは恋愛じゃなくて家族愛でもいいことにはなってるけど、愛してる人なら誰でもいいのかよ!とか命軽くね?とか、やっぱりツッコミどころは多いです。

単純に俺がホークアイの奥さんで、あのシーンを見たらいい気がしない笑。というか単に性的欲求で不倫されるよりショックでしょ笑。娘もホークアイ継がずにグレてローニン化してもおかしくない笑。

 と冗談はこれくらいにして「エンドゲーム」=終わりと考えるのではなく、新たな物語へのジョイントなわけです。もちろんその伏線はいっぱい張ってましたが、初見時は「ジャマ!」くらいにしか思ってなかったです。が、「終わらない物語」が映画館に存在し続けることこそが、マーベルから僕たちへの最高のご褒美なのだと考えると・・・

たった1作にガミガミ言ってた俺はやっぱり器が小せぇ

と改めて同じ結論に着地するしかありませんでした笑。ただ、コミックスのリテラシーが高い人にとっては平行宇宙とかマルチユニバースの考え方は、ごく自然なものとして受け入れられるのかもしれませんが、僕みたいなカジュアルなファンにとっては、「それをアリにしてしまったら、全てがどーでも良くなってしまう」というのは言わせて頂きたい。

 だって裏を返せば、サノスがメチャクチャにしなかった世界もあるはずだから、アベンジャーズが無理に頑張る必要もないじゃん。それでもこの世界を守るために、他の次元の世界を引っかき回すんだったら、最低でもヒーローの存在理由を示す必要があった。これは僕の絶対に変わることがない、この映画に対しての不満です。それは他作品で回収していくものではなく、この作品内できちんと描くべきものでした。ただ、よく調べもせずに文章を書いてしまったせいで、その意図が伝わりにくい部分もあったと思うので、このような形で加筆した次第です。<終>






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