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若手実力派女優が軒並みアメコミ大作映画に活動の拠点を移す現状を考える

【オクテ男子の理想を完璧に映像化したバンブルビー】

 オチのない話。最近MCU最新作の「キャプテン・マーベル」と、トランスフォーマーシリーズのリブート作「バンブルビー」を観た。2本ともよく出来ていて、特に「バンブルビー」の方はとても完成度が高かった。80`sの空気感漂う青春モノで、引用される「ブレックファスト・クラブ」のジョン・ヒューズ監督や、製作総指揮のスピルバーグの精神を継承した傑作だった。
 トラヴィス・ナイト監督の力量も勿論だが、ヘイリー・スタインフェルドの好演を抜きに語ることは出来ない。彼女はもともとコーエン兄弟の「トゥルー・グリット」で出てきたんだよね。あれがデビュー作で、まだ13歳とかだったと思うと末恐ろしいくらいの才能。

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 それから思春期をこじらせたイタい女子高生を演じた「スウィート17モンスター」も非常に良かった。これもジョン・ヒューズ的スクール・カーストの中で、処女がf***ed-upしていく様を痛快に描いていた。この映画が素晴らしいのは、韓国系のナードが彼女の心をつかんでいくという、全サブカル系男子に勇気を与える展開と、教師役ウディ・ハレルソンの抑制の効いた名演。まだ観ていない人には是非観て欲しい1本だ。(↓予告編)


 「バンブルビー」のチャーリーは、よりあざとくオタク男子が憧れるような女子を体現している。髪の毛はボサボサで、モーターヘッドの黒Tを着て、好きなバンドはザ・スミスで、趣味は機械いじり。
 いねーよ、そんなヤツ!とツッコミが入るとこだが、草食系男子にとって最も大事なのは、女性としての自信に満ちてないけど可愛い子かどうか。「バンブルビー」でもブロンドでボン・キュッ・ボンの金持ち女に対してチャーリーがコンプレックスを感じる描写がある。

「みんなが可愛いと思うアノ子は高嶺の花で、俺なんかに振り向くわけない。けど、アイツならひょっとして…それによく見りゃ可愛いじゃん」

 これが大事なのだ。なんとまあオタクの一方通行的な幻想かつ偏見に満ちてはいるが、オタクが作る映画のヒロインは大体こんな感じ。典型的なのが去年の「レディ・プレイヤー・ワン」とか。

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(『レディ・プレイヤー・ワン』のヒロインのサマンサは、オタクで美人なのに目元の痣がコンプレックスでビッチではないという、何とも都合の良い設定だった)


 そしてヘイリー・スタインフェルドは、そういうオタクの幻想みたいな女の子を演じるのに完璧な資質を持っている。はっきりと美人ではないがスタイルがいい、声が少しハスキーでキャピキャピしてない、ファニーフェイスなので同性からも嫌われないといった点だ。
 この路線の先輩といえば、エマ・ストーンだろう。彼女がサタデー・ナイト・ライブのホストを務めたとき、オタク達から質問責めにあって、「あのさ、確かに私は出る映画出る映画でオタク男子と付き合ってるけど、生身の私がアンタ達みたいなのがタイプとは限らないでしょ?」とウンザリするのがギャグとして成立するほど、エマ=オタク達の姫というイメージは定着していた。(動画のタイトルはエマVSナードとそのまんま)


【男にこびない女性像を求めるブリー・ラーソン】


 逆に「キャプテン・マーベル」 は、そういう男性の幻想とか願望に付き合う気はありませんという、女性側のキッパリした宣言のような映画だった。主演のブリー・ラーソンの演技は、いまWWEで一番人気の女性レスラーのベッキー・リンチのように、ぶすっとしていて、常にふてぶてしさを漂わせている。それがまたカッコ良かった。

 そもそもブリーはフェミニストな印象があった。というのも、ケイシー・アフレックがアカデミー主演男優賞を獲得した時のプレゼンターが彼女で、その時の対応が印象的だったから。当時、セクハラ問題でバッシングされていたケイシーのオスカー獲得に対し、ブリーは明らかに不服そうでみんなが拍手で讃える中、独り壇上で突っ立っていた。(以下はその動画↓)

 この時の態度をまさに映画化したのが今回の「キャプテン・マーベル」で、思えば彼女は男に媚びないタイプの女性を一貫して演じつつけている。
 ブリー・ラーソンの名前を最初に知ったのは「ショート・ターム」だった。これは大大大傑作で、「ボヘミアン・ラプソディ」のラミ・マレックとかも出ています。児童施設で働く女性の苦悩と、子ども達に襲いかかる現実、そしてささやかな幸せ…低予算ながら温かくて映画的芸術表現にも富んだ素晴らしい作品。当時まだ無名だったブリー・ラーソンはこの作品で賞レースを総ナメし、そのわずか2年後に「ルーム」でアカデミー主演女優賞を獲得する。この時まだ25歳で、頂点をつかんでしまった。当時、ああ次のメリル・ストリープは彼女かもなと思っていた。


 ところがそうはならなかった。ブリーは「キングコング:髑髏島の巨神」や今回の「キャプテン・マーベル」など、ブロックバスター大作のメインを張り、持ち味の繊細な演技を封印した。

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【繊細な演技が出来る人材がアメコミ大作に流れる現状】

 実は今回のテーマはここにある。ヘイリー・スタインフェルドもだが、実力派若手女優が次々とブロックバスター映画に主戦場を移してしまっているのだ。例えば「世界に一つのプレイブック」でオスカーを獲得したジェニファー・ローレンスは、X-MENシリーズで全身真っ青のミスティークを演じているし、同じくオスカー女優のアリシア・ヴィキャンデルもトゥーム・レイダーのリブート作を主演し、腹筋をバッキバキにしてアクションをこなした。すでに卒業してはいるがエマ・ストーンもアメイジング・スパイダーマンのヒロインだったし、20代でアカデミー賞を獲得した女優たちは軒並み超大作と呼ばれるような映画・シリーズに出演している。

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 もともと僕はこの流れがあまり好きでなかった。ただでさえ現状のアメリカ映画は、アメコミ映画みたいなブロックバスター映画か、低予算インディペンデントに2極化しており、その中間を埋めるべき文芸映画だったり社会派ドラマの数が減っているからだ。俳優がCGに頼らずに生身の演技で観客を魅了したり、監督の演出や撮影・編集のテクニックで引き込んでいくような映画というのは、まさにその減っているところにある。日本でもミニシアターはどんどん閉館して、シネコンだけが潤っているのは周知の事実。
 だから、ブリー・ラーソンとかジェニファー・ローレンスとかアリシア・ヴィキャンデルには、もっとその才能を発揮できる場所で活躍して欲しいと、勝手に思ってた。もっとも、これは間違いだと気がついたそのキーワードは「メリル・ストリープからシャーリーズ・セロンへ」だ。

【ハリウッドで最も尊敬される女優メリル・ストリープ】

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 少なくともゼロ年代くらいまではハリウッドの中で最も尊敬される女優はメリル・ストリープで間違いなかった。もちろん「マンマ・ミーア」とか「メリー・ポピンズ リターンズ」で見せるようなトンデモなくおぞましいキャラで息抜きすることもあるけど、基本的にメリル・ストリープといえば、シリアス演技一本で尊敬と信頼を勝ち取ってきた正統派の名女優だし、プロ意識とか仕事と家庭の両立とか、多くの面で女優が憧れる女優No.1だった。そのことは2002年のドキュメンタリー映画「デブラ・ウィンガーを探して」でも確認できる。現役の女優達に、仕事との向き合い方や役者論をインタビューするこの映画は、いかにメリル・ストリープが突出した存在なのかを女優達が礼賛するコメントにあふれている。

 しかし時代は変わった。最大の変化は役者の名前で客が入らなくなったことだ。日本でも「パイレーツ・オブ・カリビアン」が大ヒットしてた頃に、ジョニー・デップ旋風が起こり、しばらく彼の出演作なら何でも客が入る時代があったが、それは緩やかな下降線をたどっていった。近年では奇行が目立ち、元妻アンバー・ハードへのDV疑惑もあって今や見る影もない。

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 デップ以降、日本で甘いルックスで人気の俳優はいないと言わざるをえない。ライアン・ゴスリングもブラッドリー・クーパーも、地名度は相当に低いはずだ。これは結構深刻な問題で、というのも日本人のミーハー気質はそれはそれでスターを育ててきたからだ。例えばアラン・ドロンは本国フランスやアメリカよりも熱狂的なファンを生んだし、クイーンやボンジョビは日本で先行して人気が出たことで世界的なバンドになったからだ。
 今年はタランティーノ新作で主演がブラッド・ピットとレオナルド・ディカプリオという夢のような組み合わせの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」が公開されるが、これらのビッグネームも数十年前のもので、どこまで今の人々がこの映画に関心を持つのかは未知数だ。(個人的にはダントツで今年一番楽しみな作品)


 これは日本に限らずアメリカ本国でも同じことで「〇〇主演最新作!」という触れ込みで映画がヒットしなくなってしまったことで、一連のパラダイムシフトが起こったと見るべきだろう。そこで、シャーリーズ・セロンなのである。

【男も惚れるシャーリーズ姉御の魅力】

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 いま一番ハリウッドで尊敬されている女優は、おそらく彼女なのではないかと思う。その証拠に、2010年以降の彼女の主な出演作を挙げると、「ヤング≒アダルト」「スノーホワイト」「プロメテウス」「マッドマックス 怒りのデスロード」「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」「ワイルド・スピード ICE BREAK」「アトミック・ブロンド」「タリーと私の秘密の時間」などなど。
 注目したいのは「ヤング≒アダルト」や「タリーと私の秘密の時間」など、その抜群の演技力を存分に活かすようなスモールバジェットの作品から、「スノーホワイト」「ワイルド・スピード ICE BREAK」みたいな大味な大作にも出ていることだ。時代の潮流に乗った上で、売れっ子であり、演技も評価され、しかも「アトミック・ブロンド」では製作側にも回っている。何より43歳という年齢で第一線中の第一線で活躍している。これはいまの若手女優がまさに目標とすべき存在以外のなにものでもない。

【努力で尊敬を勝ち取ってきた大器晩成型の姐さん】


 もともとシャーリーズ・セロンは美人でエロくて巨乳でブロンドのねーちゃんというイメージで世間に出てきた。キャリア初期はエロティック・サスペンスものにばかり出ていた彼女は、2003年の「モンスター」の凄まじい役作りでオスカーを獲得。ただ顔が良いだけの女優というイメージを自分の力で変えた。ただ、そこからの約10年間のキャリアは作品に恵まれたとは言い難い。(↓こんな感じで「氷の微笑」のシャロン・ストーンの下位互換みたいなイメージで下積み時代があった)

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 転機になったのは2011年の「ヤング≒アダルト」で、学生時代の栄光を引きずった元美人のアラサーのイタい女を体当たりに演じたところから始まる。美人すぎてとっつきにくいという自身のパブリック・イメージを逆手にとったこの映画で、彼女は再び演技のできる女優として評価された。


 だが本当の意味で彼女を現在の地位まで押し上げたのは、間違いなく「怒りのデスロード」だろう。丸坊主の女戦士フュリオサは、実質本作品の主人公であり男も惚れるカッコ良さを体現した。何より「怒りのデスロード」はバカっぽい荒唐無稽なアクション超大作ではなく、黒澤明イズムを継承したヒューマニズムの物語であり、圧倒的傑作だった。

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 当たり前のことだが、大作映画だから大味で話が破綻してるとか、低予算映画だから詩的で美しい映像表現を感じられるという決まりはない。イイものはイイし、そのイイものを作るための予算や技術や人員の配置の仕方が昔とは変わってしまった、というだけの話なのだ。「怒りのデスロード」はその年のアカデミー賞でも最多6部門を獲得。この映画があったからこそ、ブロックバスター映画に対するスノッブな映画ファン達の見方も変わった。
 そして、シャーリーズ・セロンも「怒りのデスロード」がなければ「アトミック・ブロンド」は作れなかっただろう。役者の名前で客が入らない時代だからこそ、役者はまず大作をヒットさせて自分のバリューを証明しなければならないのである。そして自らの発言権を高めたら、今度は作り手として映画をプロデュースする。「私がこんな役やりたいから、この監督とこの脚本家でこんな映画を作りなさい」と。当たり前だがこれが一番手っ取り早く、なおかつ自分のやりたい仕事ができる方法。シャーリーズ・セロンは数少ない、それが出来る女優であり、そこはメリル・ストリープとも違うニュータイプだ。そして、今後トップのハリウッド女優たちはみんなそこを目指すと思う。

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 例えばマーゴット・ロビー。彼女のキャリアの積み方は確実にそれを意識しているはずだ。シャーリーズ・セロンのように、ブロンドのセクシーな美人というイメージだったのを「スーサイド・スクワッド」のハーレー・クイン役で変えた。映画自体の評価は芳しくなかったが、彼女は良かったということについては誰も異論ないはずだ。映画をヒットさせて次に彼女が出演したのが「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」だった。この映画はホワイト・トラッシュものの新たな傑作になったが、マーゴット・ロビーがプロデューサーを兼務している。これがどういうことかというと、役者が現場をコントロールする監督をもコントロールできる立場にあったということだ。

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【まとめ:いいもんはいい、それでいいや】


 話が脱線し過ぎたが、若手女優が一連のブロックバスター映画に出演するのは、いつか表現したい作品を映画化するために必要なステップでもある。そして何よりもそうした映画は彼女達の過去と未来をつなぐハブのようなものになっている。例えば「キャプテン・マーベル」を見てブリー・ラーソンを好きになった人が、さかのぼって「ショート・ターム」を観ることもあるだろう。MCUは特に超一流俳優たちがウジャウジャいるので、俳優という切り口で過去20年くらいの映画を掘り起こす楽しさを持ち合わせている。一方で確実にamazonやNetflixという新しい波も大きくなってはいる。つまり何が言いたいかって?最初に言った通り、この話にオチはない。ただいいもんはいい。それでいいじゃないかって。

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