終身刑導入で思考停止が起きる?

藤井 話の位相がずれますけれども、死刑が廃止されて、終身刑が導入されて、天井も決まったというふうになった場合、ぼくも自動的にそれが増えると思います。
現在は天井が死刑ですが、同じ終身刑ができたり、実質的には今三十年以上は出られない無期懲役が最高刑になったら、上からも下からも自動的にそこにどんどん放り込まれていく可能性がある。そうすると、逆に森さんの言い方をお借りすると、思考停止みたいなことが起きるんじゃないかなと。
これは森さんが怒る言い方かもしれないけど、死刑があるゆえに、まさにその生と死、この被告を死刑にしていいのかどうか、冤罪ではないのか、可能性があるのかどうか、証拠調べもふくめて、むき出しの被告と向き合うなかで裁判員は煩悶するんじゃないか。
もちろん死刑制度に対して世の中が思考停止をしているというのは、ぼくも同感です。だけど法廷の場で、あるいは司法の場で、ここに終身刑を入れとけば存置派から廃止派からも反発もないだろうみたいなことになって、ある種の「何でもフォルダー」ができちゃうと、そこに入れ込むことによって逆の意味で思考停止が起きないろうかと・・・・・・。
今回、光市事件の加害者は少年、18歳とちょっとで被害者が二人という線のところで、なおかつ死刑か無期かが争われました。被害者遺族の主張も熾烈、判例上、議論しなくても最初からもう罰は決まってますよ、命は保証しますよとなったら、哲学的な思考も含めて、人間を国家が殺す/殺さない、あるいは償いは可能なのか/どうなのか、被害者はこれからどう生きていくのか/いけないのか、というようなところには逡巡はいかなかったんじゃないかという考え方もあると思うんです。

森 それはあると思います。でも社会が葛藤や斑紋を続けることを理由にして死刑を残すということであれば、ほとんど人身御供になってしまう。哲学的な思考は大切だけど、具体的に人を殺めることと等価にはできないです。

藤井 今は死刑制度は存在、機能しているわけですけど、光市事件のような事件だと死刑制度がなければ、よくも悪くもここまで大きな議論にならなかったのかなって。これは森さんからすればすごい皮肉だと思うんだけど。

森 パラドクシカルであることは確かです。その意味では、自由という概念に似ていますね。人は自由が自由であることをなかなか感知できない。自由を脅かされたとき、初めて自分が自由であったことや自由の価値に気づく。
この法則は、日本のメディアにとてもくっきりと現れる。憲法21条や放送法を字義通り解釈すれば、とても大きな自由を与えられている。ところが自由であることに耐えられない。指示が欲しくなる。だから自発的に規制の立て札を立ててしまう。それも無自覚に。そのひとつが放送禁止歌です。ここから先は危険であるとの表示が意味することは、ここから先にいかなければ危険ではないということでもある。安心できる。だから無闇に立て札をつくり、そして忘れてしまう。自分が立て札を立てたことを。自発的で無自覚。これもまた、とてもパラドクシカルです。そしてテレビは規制が多くて大変だなどとぼやいている。どうかしている。

藤井 人間が立ち直るか、立ち直らないかっていうのは制度と関係なく、本来なら別のフィールドでやっていくべき話なんだろうけれど、幸か不幸か、日本はそういう司法の場で人間の生き死にという問題、あるいは殺す、殺さるというものがむき出しの状態になる。メディアにもさらされて――これは事件によりますが――社会全体が裁判官みたいになってしまう傾向があります。御白洲裁きが大好きというか、麻生・鳩山の党首討論でも、有罪と決まっていないばかりか、本人は容認を否定している西松建設事件で逮捕された小沢一郎の秘書と小沢を麻生は完全に犯罪者呼ばわりしていて、品性の問題もあるけれど、三権分立を知らないぐらいですから。

森 たとえばこの国を平和ボケっていう人がいますね。その理由は憲法9条があるからだって。これに対しては僕は、平和ボケの何が悪いのだろうと思います。ただし戦争や虐殺は今も他の国や地域で続いている。これに対して不感症になってしまうことは確かにまずい。世界中が平和ボケすれば理想なのだけど、いまはまだその段階ではないし、いずれその状況になれるという希望的観測も難しい。
死刑制度があるから死と生について煩悶するという見方は確かにあるかもしれない。でも言い換えれば、死刑制度があることで提起されるような煩悶や哲学的考察なら、相当に位相が低いですね。それは考察ではなくて反射です。もちろんないよりはいいけれど、だからといって死刑を残そうとは僕は思わない。この煩悶は過渡期の煩悶だと思いたい。いつまでも煩悶したくない。だって命だから。・・・・・・とても青臭くて甘い言説に聞こえちゃうかもしれないけれど。

藤井 いえ、そんなことないです。

森達也・藤井誠二「死刑のある国ニッポン」

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