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2017~2018年旅順+ソウル旅行(1)

 昨年の年末旅行は、甲子園球場でひいた風邪が治らず、飛行機にのる寸前まで旅行をいくかやめるか迷いに迷い結局行ったのですが、滞在先のイスタンブールで半分寝正月でした。
 さて、今年は健康面での不安は特になかったのですが、今年の夏のアジア遠征でセントレア発の飛行機が11時間遅れ、さらに上海乗り換え便もキャンセルとなっていて、結局上海からの航空券を買いなおしたというトラブルがあり、11月の福岡日帰り出張では、帰りの福岡発セントレア行き便が機材の都合でキャンセルとなってしまい、代替えの新幹線でへろへろになりながらようやく帰ったが、家に着いたのが翌日となっていたということがあり、どうやら今年は飛行機に呪われているようなので、三度目の搭乗もなにかあるかもしれないと思いつつ、そんなことには懲りず恒例のアジア遠征に出かけました。

 出国は29日なのですが、出発時刻が午前9時ということで、国際線の基本である出発2時間前空港到着には、地元の駅を始発で出発しても間に合わない、さらに先ほど述べたとおり、今年は飛行機に呪われているので、万全をとり前日常滑宿泊という対応をとりました。で、いつもなら前日に荷造りをするところですが、今回はその前日の夜は仕事場仲間で焼き肉を食べに行き(私の送別会ではありません、念のため)ましたので、出発当日に仕事が終わって帰宅してから荷造りを始めました。そのため出発は午後9時頃となりました。途中名古屋で一杯飲みたかったのですが、まあいいかと思い直接常滑へ行きました。
 名鉄国府駅から特急の特別車に乗ったのですが、東岡崎駅から通路を挟んだ反対側に自分よりちょっと年上らしき男性が座ってきました。この方も今日が仕事納めなのかどうかはわかりませんが、今日はどなたに対してもお仕事お疲れ様とい気分です。ところがその方、食事をとる時間もないくらい忙しかったのか、座ると間もなくせんべい系の堅いお菓子をバリバリと音を立ててかじり始め、それだけならまだいいのですが、このヒト、猛烈なクチャラーで、バリバリ、クチャクチャといった咀嚼音のハーモニーをしんとした車内でおっぱじめました。まるで映画館内でせんべいをかじっているような情景ですが、仕事に疲れた無言のサラリーマンは眠っているのかわかりませんが誰もが無反応でした。するとそのクチャラーはお食事が終わると、まるで自分自身にスリーパーホールドにかけたかのようにあっという間に大いびきを始めました。猛烈な殺意を覚えかけましたが、私も一年前に上海からイスタンブール行きの飛行機の中で10時間ほど、しかも深夜の間ずっと咳をしていたわけですから、それに比べたら神宮前駅までのたった10分程の辛抱です。ムカついた。

 「アナタの乗る飛行機は今回も11時間遅れです」などという悪夢にさいなまれることもなく、普通に朝の6時に起床し、7時にはセントレアに到着。今回はチェジュ航空で出国。初のLCC(ローコストキャリア。格安航空会社)利用です。チェックインカウンターを探してその窓口にたどり着くと、少しばかりチェックイン待ちの列ができていましたが、預け荷物がない人用の窓口には誰も並んでいなかったので、そちらに出向きました。
 パスポートを提示すると、係員が帰りの日時を訊いてきます。ビザのない人の入国条件の一つに、帰りの飛行機の予約が必要という理由から訊いてきたのでしょう。1月1日ですと答えると、しばらくしてから「予約は12月31日となっています」と言われました。え、そんなばかなと思いましたが、係員がうそぴょーんと言ってきそうな雰囲気は微塵もありません。どうやら大連発ソウル行きの便とごっちゃにして予約を入れてしまったようです。で、今日の便はどうしますかと訊かれたので、それはチェックインを済ませました。ただこの窓口では便の変更手続きはできないということなので、ネットでチェジュ航空のホームページに入って変更手続きをするよう教えられました。
 今回は自業自得のイージーミスですが、またも飛行機に関するイベントが発生してしまいました。航空券はイーチケットなので、予約確認票を紙に打ち出さなくてもチェックインはできますし実際できたのですが、少なくとも紙に出しておけばこのようなことは起きませんでした。ただ予約をした10月ころは自分のパソコンが不調で修理に出していたので、ネットカフェで予約をしました。予約確認票のプリント代をけちったばっかりにこんなことが起きたのです。基本をおろそかにするとこういうことになります。自分も焼きが回ってきたというところでしょうか。さらに言うと、名古屋ソウル便はチェジュ航空便を予約したのか記憶が曖昧になってしまい、ただたしかに予約したはずなんだけど、チェジュ航空のHPで確認しようにもユーザー名とパスワードがわからず、だけどたぶん大丈夫でしょうと放置していました。そんなわけなので、チェックイン後あわててスマホからHPにログインしようとしますがやっぱりうまくいきません。いっそのこと帰国便を予約し直そうとしますが、それもHPにログインしなければできません。結局スマホでの操作はあきらめ、ソウル到着後に仁川空港のカウンターで手続きを試みることにしました。そんな調子なので、ソウル大連便の予約は大丈夫なのか、大連とソウルのホテルの予約はどうなのか不安になりますが、この時点ではどうしようもありません。腹をくくることにします。
 出国審査を済ませると、左側前方にウズベキスタン航空の飛行機が目に入ります。南の島方面に行くチャーター便なのでしょう。今回の行き先を検討する際に、はじめはウズベキスタンのサマルカンドにしようかと思いましたが、思ったほど航空券代が安くないので、近場の大連にしました。どうせ間違うのなら、ウズベキスタン航空機に間違って乗り込み、間違ってタシケント辺りに飛んで行ってもらいたいものです。南の島に行くのになぜか中央アジアの航空便を選んでしまったお客さん、グアムよりもサマルカンドの方がおすすめですぜ。

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 ソウルに到着。こんな時期だからなのかもしれませんが、仁川空港の入国審査も最近は結構時間がかかるようになってきました。上海浦東ほどではありませんがストレスです。
 到着フロアに出たらすぐさま3階の出発フロアに移動。そしてチェジュ航空の窓口へ。要件を伝えたら、手数料は少しかかりましたが無事便を翌日に変更できました。イベントはこれで終了です。
 時刻は12時半。大連行きの便は17時半。街に行けないこともないですが、やや中途半端な時間。よく考えましたが、空港で待機することにしました。
 空港で昼食を摂ったら中国南方航空の窓口に出向きチェックインしようとしましたが、そこの係員はどういうわけか自動チェックイン機でチェックインするよう指示されました。どういうわけだろうと思いつつ、どうせ預ける荷物はないのだからということで、その機械の前に行きました。すると係員がアシストしてくれ、あっさりとチェックインできました。どうやらソウル発大連行きの予約はちゃんとできていたようです。セントレアの件がありましたので、ちょっと不安でしたが一安心です。
 ボーディングエリアで出発を待ちます。まだ相当時間がありますが、特にすることがないので持ち込んだ文庫本を読んで過ごします。すばらくすると一人の女性が「你是中国人吗?(アナタは中国人ですか?」と訊いてきましたので「我是日本人。일본 사람입니다(日本人です)」と答えたら「日本人ですか」と日本語で言われました。韓国ではもはや日本人より中国人の方が地位が上のようです、別にいいけど。で、何の用事なのかというと、なんでもアンケートに答えてほしいようです。観光に関するアンケートで、結構設問が多く、こんなことして何のたしになるのかよくわかりませんでしたが、ヒマなのと、世のため人のためになるのならということでマメに考えて答えました。最後に答えてくれたお礼としてなにやらグッズをいただきました。どうやら首にまく機内用の空気枕のようです。仁川から大連までは約1時間。今回についていえば使うことはないでしょう。
 ボーディング時に、係員が自分のパスポートを見て「ビザは?」と訊いてきました。「ないよ」と答えましたら「何日間いるの?」とまた訊いてきますので「3日間」と答えたら通してくれました。ボーディングの時に訊くことじゃねえだろと思うと少々不愉快です、といってもチェックインは機械で行ったのですが。
 次は大連です。

 南方航空の飛行機は特に何の問題もなく着陸。大連ほどの都会での入国審査ではノーチェック。8月の吉林省の延吉空港での入国審査では係員に可愛がりを受けたのを思い出します。
 中国での社会インフラに対する投資の基準がどうなのかわかりませんが、大連のような街にもちょっと前に地下鉄ができ、空港まで路線が開通しています。降りる駅までは4元。とはいってもタクシーでも空港からホテルまでは30元少々、時間も早いしなんといってもホテルの玄関まで運んでくれるので、タクシーで行ってもいいのですが、いままで地下鉄に乗ったことがないので地下鉄で行くことにします。
 当然といえば当然ですが、地下鉄は地下を走るので景色が見えなくて退屈です。15駅くらい先にある中山広場で下車し、そこからホテルまで歩いていきます。外気は思ったほど寒くはありませんが、それでも空気が凍っているような寒さです。
 泊まるホテルは大連日航飯店。夏に日本航空とはゴタゴタがありましたので、日航に対する経済制裁を発動するという選択もあったのですが、大連ではここが定宿なのと、航空会社とホテルは別物と考え、今回もここで2泊します。チェックインしたら駅の方へ散歩に行き、晩飯を食べたら天津街を通ってホテルに引き返します。東北に来たら必ず水餃子を食べるのがここでのルーチンです。
 明日は旅順に向かいます。

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 この日は旅順へ行きます。旅順へは10年前にも行ったことがあるのですが、軍港である旅順は外国人の立ち入り制限が厳しいところでした。今も軍港であることにかわりはないのですが、制限が少なくなり立ち入れることろが増えてきたので、今回再度行ってみることにしました。その際前回のように個人でガイドを手配して行くことも検討していたのですが、少々値が張るのと、個人で旅順へ移動してみたいという気持ちが勝り、自力で旅順に行くことにしました。

 旅順へ行く方法はいくつかありますが、鉄道で行くことにします。まずは地下鉄に乗ります。昨日降りた中山広場駅へ行きます。ですがその前に、手持ちの中国元が少なくなってきたので両替することにします。中山広場に面した大連賓館のそばに両替できるというシールが張られた銀行がありましたので、そこに入りました。係員からパスポートの提示を求められたのでそれを差し出しましたが、係員はパスポートのページをぱらぱらとめくって何かを探しています。だけどらちが明かなかったようで係員はスマホの翻訳機能を使って「機械こわれた」と示しました。機械なんてパスポートをスキャンするスキャナーしか使っていないように見えましたが、ああそうですかということでそこを出ました。あまり外国人が来ないので両替に慣れていないのかもしれません。
 次いで中山広場には中国銀行もありましたので、そこに行きます。中に入り案内所のような所で要件を伝えると、やはりパスポートを求められましたので渡します。そしてページを何回かめくると「ビザがない」と言われます。ビザなんかない、ビザなしで入国しているということを入国スタンプが押されているページを示して指摘しましたが、ビザがないと受付できないらしく突っ返されました。
 これは自分の見解ですが、中国という国は今も多かれ少なかれ「相互監視社会」の名残が残っているようで、そこで大切なのは「自分の身を守る」ことであり、そのためには自分の知らないこと、ちょっとおかしいことにはかかわらない、へたにかかわって、今回のように書類にビザ番号を書く欄があるのにそこを空欄で手続きすると、サボタージュしたということで上司や周囲から糾弾される、これが数十年前なら「つるし上げ」を食らって革命教育を再学習させられていたのでしょう。そんな文化が残っているのだから適当なこと言って追い返したのでしょう。
 まあいいでしょう、手持ちの中国元をやりくりして行くことにします。

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 昨日も利用した中山広場駅から地下鉄2号線に乗り、途中で地下鉄1号線に乗り換えます。さらに終点の河口で快軌8号線(最近名称が地下鉄12号線に変わったそうです)に乗り換えます。河口駅では地下鉄を降りた反対側が快軌のホームとなっていて簡単に乗り換えできます。ちなみに切符はすべて通しで買えます。
 快軌8号線は、河口を出発するとまもなく地上に出ます。外が見えるだけ地下鉄よりはましかもしれませんが、それでも何か面白い景色が見えるわけではありません。私はずっと立っていましたが、もし座っていたらすぐに眠ってしまうことでしょう。
 切符は旅順駅まで11元で買いましたが、旅順駅といっても駅の所在地は旅順の中心市街地ではなく、どうも郊外のよくわからないところにあるようです。そこからどうやって動けばいいのか何の情報もありませんが、たぶんなんとかなるでしょう。
 旅順駅の手前で並走する道路の看板を見ていると、見どころの一つである東鶏冠山堡塁への案内看板がちらりと見えました。しかしながら旅順駅はそこからだいぶ走ったところにあり、そこで列車を降りました。
 さて、ここからどうしようというところです。タクシーを拾って東鶏冠山に行くか、それとも中心市街地に行くか。だけどせっかく自力でここまで来たのだからもう少し探ってみることにします。
 周りを見渡すと、バスのロータリーのようなものが目に入りました。よく見てみると「水師営方面」という案内があります。水師営とは、やはり見どころの一つである、日露戦争での旅順攻防戦の停戦会見所のあるところです。場所的には水師営会見所は東鶏冠山と二百三高地との間にあるので、最初にそこに行くと、あとの二か所へ行くのにバランスが悪いのですが、それはあまり気にしないこととします。まもなくバスがやってきました。一応中国語で「1元か?」と訊いてから1元札を運賃箱に入れます。乗客はだれも「ヘンな外人がやってきた」というような反応を示しません。単に他人に無関心なだけかもしれませんが。気分はすっかり一流個人旅行者(笑)です。

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 水師営のバス停でバスを降りました。バスの車窓からも水師営会見所の案内看板が見えたものの、肝心のここら辺りに看板は見当たりません。あたりをうろうろしてみましたがそのようなものは見えません。10年前に行ったときは、意外と街中にあるなと思いましたが、ツアーの乗用車で行ったので、そこまでのアクセスは覚えていません。埒が明かないので適当に人を捕まえて尋ねてみます。するとあっちだと指さしてくれたので、それに従って進んでいきます。
 突き進んでいった通りが行き止まりとなり、その先は何やら古びた建物が立っています。行き過ぎたのかなと思い道を引き返そうとすると、正面辺りから日本語で「日本人ですか」と声がかかります。「そうです」と答えると「(水師営会見所は)ここです」とのこと。中に入ってみると、確かに見覚えのある建物が見えてきました。入場料は40元です。高い。

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 それでは中に入ります。こじんまりとした建物が立っています。中央に入口があり、左手の部屋がロシア軍側、右側が日本軍側の控室のようです。いろいろな写真が展示されていますが、いちいち見ているとキリがないので適度に眺めます。やっぱり40元は高い。
 建物を出るとネコがいました。随分と人懐っこいです。個人的にはこのネコと戯れるのがここでは一番楽しかったです。一体何しにここへ来たのか。

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 さて、水師営の次はどこへ行こうと思案するところですが、1か所行くだけで結構時間がかかってしまいました。この調子だと旅順市街地内の見どころを回る時間が十分に確保できないかもしれません。そこを回りたいからこそツアーを組まないできたのに本末転倒です。で、次は東鶏冠山か二百三高地か。約5秒間熟慮した末に二百三高地に行くことにしました。
 とはいえ、ここからそこへ直接行くバスはたぶんありません。時間も惜しいのでタクシーで行くことにしました。幸い水師営はちょっとした市街地ですので、客待ちのタクシーが並んでいます。そのうちの一台を捕まえて二百三高地へ向かいます。
 水師営から二百三高地まではそれほど遠くありません。タクシー代25元くらいで入口に到着しました。タクシーを降りて入場料を払おうと窓口に向かいました。すると中にいる管理人さんが何やらわめきだしましたが、当然中国語なので意味はわかりません。それでも様子を見ているとどうやら入場料はとらないようです。ということで中に入ります。入りますはいいのですが、車を降りた入口から肝心の高地まで相当距離があるようです。やはり個人で行くのは無理があったかと思い始めました。
 10年前は車ですいすいと進んでいった道を歩いていくと妙なものが目につきます。中日友好を謳っているっぽい石碑が10年前にはあったのか思い出せませんが、二百三高地という中国人にとって何の思い入れもない日本人限定の「聖地」にこんなブツを置いてあることが、とってつけた感を200パーセントまで高めています。まあ気にしないで歩いていくことにします。

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 タクシーを降ろされた入口のゲートから結構歩きました。なぜそんなところで降ろされたのか、もしかしたら車の入場料を取られるので運転手が気を利かせて降ろしてくれたのかもしれませんが、最後の方はそれなりの上り坂になっており、ちょっとした苦難の行軍です。
 ようやく高地のそばの駐車場に着きました。前回はここまで車で入ってこれました。その時は駕籠のようなものが客待ちしていて少々鬱陶しかったのですが、今回は全くの無人です。実はここから高地までも結構きつい上り坂で、だからこそ駕籠かきという商売が成立していたのですが、仕方ありません、もうひと踏ん張りです。
 二百三高地の説明看板があります。中国語、英語、日本語での説明があります。その内容は日本の軍国主義に批判的なニュアンスが感じられます。これぞ中国共産党!こういう愛国的なものを求めていました。造反有理!これはちと違うか。

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 ついに着きました、二百三高地。二回目の訪問ですから、感慨はほとんどありませんが、それでも映画「二百三高地」やNHKドラマ「坂の上の雲」での「そこから旅順港は見えるか!」のシーンが思い出されます。今は立派なビルが立ち並ぶ景色となってしまいましたが。

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 二百三高地にはロシア側の兵器の模型(だと思いますが)が置かれています。ご丁寧にも砲身が日本兵が駆け上がってくる坂側に向いています。
 あと、ブツの説明板は中国語、英語、日本語、ロシア語は当然ですが、なぜか韓国朝鮮語もあります。別にいいか。

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 二百三高地の頂上部分から下に降りる通路がありましたのでそこを進みます。ここはちょうど日本兵が頂上へ向かって駆け上がっていくところにあたります。ということで、ロシア側の塹壕跡が残っています。夜になると何かが見えてしまうかもしれません。気のせいですよ、たぶん。

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 再び通路が高地に向かっています。上がりきったところに、旅順陥落のキーの一つだった28サンチ榴弾砲の模型が置かれています。なんだかあまり強そうには見えませんが、映画「二百三高地」では凄まじい最強砲として満を持して登場しています。
 横に立っている建物には大型犬が繋がれていてすさまじい勢いで吠えています。なんだかこちらの方が強そうです。そしてその建物の中からお土産のセールスおばさんが登場してきました。旅順攻防戦をメインとした図鑑のような分厚い本を売り込みに来ました。もちろん日本語の解説もあり、なかなか面白そうなので1冊買いました。中国元の残が少なかったので日本円でいいかと尋ねたら4,500円とのこと。1万円札しかないと言ったら、おばさんの財布の中には多額の日本円札が入っていて全く没有問題でした。結構いい値ですがそうそう売れる本ではなさそうなのでそれは仕方ないでしょう。こういう荷物になるものはあまり買わないのですが、自分も含めてこんなきな臭いブツが好きそうな人は必ずいるので、日本に帰ったら見せびらかしてみます。

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 最後に、第三軍司令官乃木大将の次男乃木保典が戦死した場所に石碑がありますのでそこに寄ります。
 これで二百三高地を後にします。高地の駐車場にタクシーが待機していないかという甘い期待をしていましたが、ありません。仕方ないので行きに延々と歩いていった道をそのまま戻ります。そしてタクシーを降りた場所まで戻ってきましたが、そこにも客待ちのタクシーはいません。街中ではないので流しのタクシーも期待できません。とりあえずタクシーが走ってきたルートをそのまま戻ります。そして鉄道に並走するハイウェイとの交差点近くまでやってきました。するとバス停が見つかりました。どうやらそこはバスで二百三高地へ向かうときに降りるバス停のようです。これではすべての見どころを一日で公共交通機関だけで行くのはちょっと無理ではないかと思います。しばらくするとバスがやってきました。これで旅順の中心市街地、旅順港方面へ行くことができます。疲れた。

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