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2017年中朝露国境旅行(4)

 ウラジオストクの宿は、前回(7年前)と同じ「プリモーリエ」。宿代は安くないですが、ウラジオストク駅の近くにあり便利なのでそこにしました。オーシャンビューの部屋だったので、窓から金角湾を見ることができます。金角湾というと、イスタンブールにも同じ名前の入り江がありますが、実際形が似ているのでイスタンブールのそれにちなんで名づけられたとのことです。ここでなんでイスタンブールなのか随分唐突かもしれませんが、イスタンブールは旧名コンスタンティノープルで、オスマン帝国が征服する前はビザンツ帝国(東ローマ帝国)の首都でした。そして帝政ロシアはコンスタンティノープルを目指して南下していきます。結局は果たせませんでしたが、そんなわけでやはりロシアにとってイスタンブールは特別な街なのかもしれません。ロシア黒海艦隊はここを通過しないと外洋に出ることができないということもあるのでしょう。
 本日は日本行きの飛行機の便があるからでしょうか、結構な人数の日本人が泊まっているようです。みなさん何が目的でウラジオストクにやってきたのでしょうか。よくあるのがハバロフスクとの組み合わせで、両都市間の移動をシベリア鉄道で、というものです。私のような旅行者は限りなくゼロに近いでしょう。

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 この日は日本へ行く日。ウラジオストク出発は13時半ですが、2時間前空港到着が必須なので、市内を観光する時間はありません。といっても特に見たいところがあるわけではありませんが、ホテルの部屋に引きこもっているのもつまらないので、ホテル内で朝食をとったのち、近辺を散歩します。
 ウラジオストクは坂の街で、歩くのが意外としんどかったりします。ウラジオストク駅正面の道を、駅の反対側へ向けて進むと小高い丘の上に行きつきます。ここにはウラジオストクホテルがあり、初めてウラジオストクに来たときはここに泊まりました。オーシャンビューの部屋だとアムール湾が一望できますが、どこへ行くにも丘を降りなければならず、歩いて観光するには少々キツいホテルでした。
 このままホテルに引き返してもよかったのですが、なんとなくもう少し歩いてみたくなったので、そのまま坂を降りていきます。スポーツ湾といわれる海水浴場が見えてきましたが、今日は曇りで涼しいのと、まだ早い時間なのか誰も泳いでいません。
 海の反対側の歩行者天国、通称噴水通りに進みます。どこの店もまだ眠っています。まあこんなものでしょう。そしてアレウーツカヤ通りにぶちあたって右に曲がってしばらく歩くとウラジオストク駅が見えてきます。最近ウラジオストク空港直通の空港列車ができたのですが、本数が少なく、ちょうどよい時間の列車がありません。空港は中心部から相当離れていています。タクシーで行ってもいいのですが、それではつまらない。どうやって空港に行くかはまたその時になったら考えます。
 ホテルに帰ってきました。1時間ほどほっつき歩いていたようです。これでホテルをチェックアウト、空港に向かいます。

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 ウラジオストク駅です。ちょうど空港行き直通列車が出発するところです。本数が少ないので、ないよりはましですが不便です。地元タクシー業者との調整がうまくいっていないのでしょうか。
 ウラジオストク駅の隣に旅客船ターミナルがあります。日本・韓国からのフェリーもここに到着します。

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 ホテルをチェックアウトし、タクシーでも捕まえようかと思い、玄関前でしばらく呆然と突っ立っていましたが、こういう時に限ってタクシーは来ないもの。ただしタクシーで行くのはつまらないし味気ないとも思っていたので、気を取り直して駅へ向かいました。
 一応駅からウラジオストク空港行きのバスはあるらしいのですが、どこに乗り場があるのかよくわかりません。駅前をうろうろしてみて、それで見つからなかったらタクシーで行こう、ということにしました。
 そしたら、バスではなくミニバス(マルシュルートカ)のような乗り物ですが、意外とすぐに空港行きバスを見つけることができました。念のため運転手に「アエロポルト?」と訊くとうなづきました。バスの中に入ろうとしたとき、こっちのほうを見ている若い女性がいました。「エアポート?」と訊いてきたので「たぶん」と答えました。この娘もこの地元民専用のようなバスで空港に行きたいのか、そうだとしたらハラショーと思い、ロシア語でアナタは中国人ですか、それとも高麗人ですかと尋ねたら「コリアン」との答えが返ってきました。どうやら地元民ではなく旅行者のようです。韓国人は傾向としていつも群れて行動するものですが、こういう方もおいでるようです。
 まだ乗客は埋まっていませんが、一応出発時刻は決まっているようで、いつ出発するのかちょっと不安でしたが、10時過ぎたところでバスは出発しました。さっきの娘は結局乗りませんでしたが、外から軽く手を振って見送ってくれました。どうでもいいことですが、何しにあそこにいたのでしょう。

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 ウラジオストク空港へ行くのは13年ぶりです。
 7年前は境港からの船IN,ハルビン行き幽霊国際列車OUTだったので空港には行ってません。13年前はウラジオストク駅前でタクシーを捕まえて行きました。空港までの道路がローカル感たっぷりというか、このままナホトカかハバロフスクへ行ってしまうような森の中の街道のようで、とても空港アクセス道路とはいえないありさまで、さすがロシアは違うとあきれたものです。
 それから13年後、ここから遠く離れたモスクワのプーチンに見捨てられず、2012年のAPEC開催により大規模なインフラ整備がなされたことにより空港が改装され、そこへのアクセスハイウェイも出来上がりました。
 ウラジオストク空港に到着しました。ターミナルの中に入る前に、屋外に展示されている飛行機が目に入りましたのでそこへ行ってみました。機材はヤコブレフ40。20~30人乗り程度の小型ジェット機で、昔ウラジオストク航空が富山便に使用していました。もしかしたらこれは実際に富山へ飛んでいた機材なのかもしれません。これに乗ってみたかったのですが結局機会がありませんでした。中には入れませんでしたが幻の迷機、いや名機に会えてちょっとうれしかったです。

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 ウラジオストク空港ターミナルの中に入りました。
 13年前はやたら混雑が目につきチェックインに並ぶ気力を失わせる国内線ターミナルと、閑古鳥があくびをするほど閑散とした国際線ターミナルに分かれていたのですが、新ターミナルはそのような面影は全くなく、すっかり普通の空港に成り下がってしまいました。
 チェックイン、出国審査を終え、余ったロシアルーブルを使い切るために免税店をうろうろします。さすがに「ハローキティのマトリョーシカ人形」とか「ウラジオストクへ行ってきましたお菓子」はありませんでしたが、職場で配るのにちょうどいいブツがありましたのでそれを買いました。あと、ここはコーカサスのアルメニアから遠く離れた地ではありますが、アルメニアコニャック「アララト」が売っていましたので数本買いました。
 飛行機はS7航空です。2年前にモスクワドモジェドヴォからエカテリンブルクへの移動に使って以来です。相変わらず強烈な黄緑色の機体です。しかしながら乗ってしまえば普通の飛行機です。結局何のイベント事も発生せず成田に到着。家に着いたら日本航空に対するクレームという大仕事が待っています。苦難の行軍はまだ終わりません。が、終わります。完。

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