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エスパー雀士ミハルの憂鬱〜第四話【全十三話】

 四

 ミハルの祖母、千鶴は夫婦で雀荘を経営していた。千鶴の父親は実業家で戦時中にひと財産築き、かわいい娘のために少なからず資金を提供したらしい。
 千鶴が物心ついて初めて記憶に残る体験をしたのは、東京大空襲であった。一九四五年三月五日。父親はその時、仕事で関西方面に赴いており、千鶴は母親と二人で自宅にいた。まだ二歳になったばかりの千鶴の眠りを突如覚まさせたのは、街中に鳴り響く空襲警報だった。
 「千鶴、ここにいたら焼夷弾の餌食になる。外に出るわよ」
 千鶴の母親は男勝りで、行動力に長けた人物だった。数分の後に、自宅がアメリカ軍に爆破することを感じ取った母親は、千鶴を背負い、外に出た。母親に迷いはなかった。空襲警報が鳴り響く中、目的地に向かって最短距離で歩き始めた。ミハルの話では、千鶴の母親もある種の特殊能力を持っていたのではないかという。
 B29のエンジン音が唸りを上げて近づいてくる。しかし、千鶴は母親に大人しくしがみついていた。一生分の給料を積んでも買うことのできないダイヤモンドすら打ち砕くような爆撃音も、墓の下で眠っている戦国武将を目覚めさせてしまうような空襲警報のサイレンも、母親の背中には敵わなかった。母親が歩を進めるたびに心地よく揺れる背中。千鶴はいつのまにかすうすうと寝息を立てていた。
 空襲警報を聞き、自宅から飛び出してきた住民が行き先もわからず彷徨っている。千鶴を起こさないように人波を避けながら、ただひたすら目的地を目指す。己の持つ力を全て出し切って、ゴールを目指すアスリートのように。千鶴が大人しくしていたおかげで、目的にには思いの外、早く到着することができた。到着したところは、千鶴と自宅から歩いて三十分くらいの距離にある学校だった。
 「ここまで来ればもう安心。アメリカ軍はここは絶対に爆撃しない」
 それは予測ではなく確信だった。校門は開け放たれていた。グラウンドの脇を横切った先、ちょうど校舎の手前に水飲み場がある。
 「千鶴、、ついたわよ。喉乾いているでしょう。お水飲みましょう」
 母親は腰に提げた水筒を取り出して、蓋を開けた。水飲み場の蛇口を捻って、水筒に水をくむ。千鶴を背負って三十分以上歩いてきたのに、いささかの呼吸の乱れもない。足元のコンクリートの上に、千鶴を立たせた。重い瞼のせいで千鶴の両目は半開きだ。無理やり起こされてしまったことも癇に障ったのか、千鶴はその場に座り込んでしまった。
 自宅の方角を向くと、空が歪な輝きに満ちている。サイレンが鳴り響く中、アメリカ軍が爆撃を開始した。無数の焼夷弾がB29の腹の中から次々の産み落とされてゆく。悪魔の親爆弾は空中で破裂し、三十八個の子爆弾を生み出す。母親の腹を蹴破って生まれてきた子爆弾は、紫色の長い尻尾をくねらせながら地表に落下し、あらゆるものを焼き尽くす。紫の雨が降っている。全てのものを焼き払うまで決して止むことのない死の雨。
  「きれい、、、」
 千鶴は未だ夢の中に半身を埋めているような状態で、ひとことそう呟いたという。特殊能力が目覚めたのはその時だそうだ。忌まわしい輝きを放つ空を見つめていると、強烈な睡魔に襲われた。冷たいコンクリートの上に座り込んだまま、千鶴は再び瞼を閉じ、すうすうと寝息を立て始めた。そしてそのまま三日間眠り続けた。
 目を覚ました時、千鶴は避難した学校の保健室にいた。ベッドの脇には母親がうつらうつらと船を漕いでいる。千鶴が大きな声で泣き出すと弾かれたように母親は目を覚ました。
 「千鶴、ああ、やっと目を覚ましてくれた、、、」
 母親はいまだ泣き止むことのない千鶴の半身を起こし、力いっぱい抱きしめた。

 ※※※※※※※※

 千鶴の母親は、東京大空襲の三日前、不思議な夢を見た。空襲警報のサイレンが鳴り響く中、千鶴を背負って学校まで歩く夢。母親は夢で見た行動を寸分の狂いもなく、空襲の夜、実行しただけだという。まるで巻き戻したビデオをもう一度再生するように。夢で見た空襲の日がどうしてわかったのかといえば、朝、大阪に発つ父親を見送る場面から夢がスタートしたからだという。
 母親が予知夢というものを見たのは、初めてのことだった。しかし、母親はその夢を荒唐無稽なものだと片付けるわけにはいかなかった。あまりにもリアルで、あまりにもディティールに満ちた夢だったからだ。
 前もって地域住民に避難を呼び掛ければ、あるいは多くの生命を救えたはずである。しかし、そんなことをしたら、非国民だと憲兵隊に捕まるのが関の山だ。住民には、空襲に遭った際、逃げ出すことなく、火炎に飲み込まれた建物を消火することが政府から義務付けられていたからだ。
 予知夢を見たなどと言った日には、キチガイ呼ばわりされ、利敵行為だとしてそのまま殺されてしまう危険性すらある。幼い千鶴を残して、捕まったりましてや、殺されるわけにはいかない。母親は、空襲の当日まで、入念に準備をした。唯一、夢の内容と違っていたのは、千鶴が学校の水飲み場で眠りこんでしまい、三日間も目を開けなかったということだ。
 母親は、自分に予知夢を見させたのは、千鶴の祖母だと信じて疑わなかった。空襲当時、千鶴の祖母はすでに他界していたが、黄泉の国からテレパシーで娘と孫に生命の危険を知らせたのだと。千鶴の祖母には未来を予知する力があったという。
 ミハルの特殊能力は、千鶴の祖母から、千鶴に遺伝し、千鶴からミハルに遺伝したということになる。しかし、特殊能力の内容はそれぞれ違っていた。千鶴の祖母は未来を予知する力を持っていた。そして千鶴に宿った力は「透視能力」だった。
 千鶴は自らに宿った能力を誰にも明かすことがなかった。雀荘「白蛇」の女経営者になり、自らも卓に座った千鶴は、その力を利用して勝負に負けることはなかった。常に白い着物を纏い、黒字に雪柄模様の帯を締めていた。着物は純白ではなく少し灰色が入っている。卵型の顔に、二重瞼の大きな目。鼻筋はすっと通っていて唇は薄く、下唇の右側下に小さな黒子があった。後ろで束ねた髪の毛には、扇形の鼈甲のかんざしを刺している。
 ミハルと同じように、白く細長い指がそれこそ、白蛇のごとく牌に絡みつく。その様は美しさを超えて、淫靡ですらあった。美しい女店主がいる雀荘があるという噂は、街中に広まった。戦後の日本を復興させるために、昼夜を問わず働いていた街の男達は、娯楽に飢えていた。腕に覚えのある客が次々と店に現れ、「白蛇」は連日盛況だった。そして、千鶴は客のひとりと恋に落ちた。それがミハルの祖父だ。
 ミハルの祖父、義春は町工場で働いていた。工場の麻雀仲間と「白蛇」に通ううちに、千鶴の虜になってしまった。麻雀の腕はかなりのもので、「白蛇」の客の中では勝ち頭といってよかった。しかしもちろん透視能力を持つ千鶴に勝ったことは一度もない。
 ある日、義春は千鶴に勝負を挑んだ。義春は千鶴に向かってこういった。
 「勝負に勝ったら、俺と結婚してほしい」
 千鶴は千鶴で、義春のひたむきさに惹かれていた。麻雀というのは人間性を映し出す鏡と言ってもよい。十三枚の手牌を捌いていく手順は、麻雀の力量以上に、打ち手の性格が投影される。
 千鶴は義春の卓に向かう姿勢が好きだった。背筋をピンと伸ばして、卓上の河を見つめる。左手は常に膝の上におき、右手だけで淡々と手牌を捌く姿は実に堂々としていた。よく日に焼けてゴツゴツした太い指が牌を操る。麻雀を打っている最中は、アルコールはおろか、コーヒーすらいっさい口にしない。タバコも吸わず、唯一口にするものといえば、コップいっぱいの水くらいだ。それすら滅多に口にしない。麻雀を打つときは全ての雑念を払って勝負に集中することが、義春のスタイルだった。千鶴はそんな義春のひたむきな姿勢に好感をもった。
 千鶴と義春の勝負は、「第一回「白蛇」麻雀大会」で実現することとなった。大会に臨む際、千鶴はひとつの掟を自らに課した。この日だけは特殊能力を封印しようと。大会には、店内にある雀卓四台が満席になる十六人が参加した。各卓の点数トップ者四人が決勝戦に進むごくシンプルなルール。組分けはくじ引きで決められ、千鶴と義春は別の卓になった。当然のことながら、二人とも決勝に進まなければ対決の機会は失われる。
 ひどく暑い日だった。太陽は空の高い位置から燦々と街を照りつけていた。「白蛇」の店内はムッとした熱気に包まれていた。壁際に置かれた灰色の扇風機が力無い風を送っている。店内には、参加者の他にかなりの数のギャラリーがいた。小さな下町である。義春が千鶴に対し、結婚を条件に勝負を挑んだことは、街中に知れ渡っていた。義春の勤務先である工場長が、腐りかけのみかんにしか見えないイラストが描かれた空き缶を両手に持ってギャラリーの間を回っている。賭け金を回収するためだ。
 「おや、工場長、義春にのらないのかね?」
 「まさか。千鶴ちゃん鉄板のレースだべ」
 「しかしなあ、みんな千鶴ちゃんに乗っかったら掛けが成立しないだろうに」
 「一攫千金を狙う奴がちらほらいるで。博打ってのは何が起こるかわからんじゃけん」
 「あんたは良いな。胴元だからどうせ手数料が入るんだろ?」
 「へっへ。工場もいろいろと物入りでね。それに胴元なんてめんどくさい仕事、他にやろうとする奴、いないべな。なんたって「白蛇」が開催する麻雀大会の記念すべき第一回目さね。盛り上げてやらんといかんずら」
 「へっ。都合のいいことばっか並べてら」
 工場長は今の仕事におさまるまで、日本全国を転々としたという。おかげでどこの方言をしゃべっているのか、本人すらよくわからないそうだ。工場長は、小銭で溢れかえった空き缶をじゃらじゃらと揺らしながら、千鶴の監視の元、バーカウンターの下にある金庫にしまって鍵をかけた。義春にしても千鶴にしても決勝卓に勝ち上がらなくては、対決自体が実現しない。しかし、それは杞憂であった。義春の気持ちが麻雀牌に乗り移ったかのように、手牌には好牌がどんどん流れ込んでくる。義春はひたすら牌の流れに身を任せていればよかった。
 一方、透視能力を封印した千鶴も好調だった。千鶴にとっていつも見えていたものが見えなくなることに対して不安はなかった。むしろ安堵感の方が優っている。相手の手牌、伏せられた山、全てが見えていればそれに対応した打ち方が必要とされる。それは常人の遥かに上をゆく技術が必要であり、神経がすり減る作業だった。本来、見えるべきでないものが見えるということは、足枷が付けられているようなものだ。足枷が外れた千鶴の打牌は自由で、牌の流れに逆らわないものであった。牌に絡みつく千鶴の白く長い指は、いつもに増して輝いている。殆どのギャラリーは千鶴の卓に集まっていた。千鶴の白く長い指から放たれた牌が、キーン、キーン、という音を立てながら卓上に並ぶ。凍ったグラスがぶつかり合うような高音は、いかなる状況下にあっても常に一定だった。しかし、今日はその音がいつもよりさらに半オクターブほと高い気がする。外でジージーと大合唱しているアブラゼミ達も凍りついてしまうほどだ。
 「ロン、、」
 千鶴が静かに牌を倒す光景が繰り返される。
 「おいおい、、工場長、千鶴ちゃん、いつにも増して強くないかね?」
 「そりゃそうだべ。「白蛇」のオーナーとして負けるわけにはいかないだっきゃ」
 「そりゃあそうだが、いつもみたいな愛嬌がないな、、目つきもいつもより鋭いような」
 「そうさね。左胸をぶち抜いて、後ろの壁に穴を開けてしまいそうな視線だに」
 「それだけ気合いが入ってるってことかね」
 「千鶴ちゃんがもし予選敗退ってことになりゃあ、義春の求婚を断ることができねえじゃろうが」
 「てえことは、千鶴ちゃんは義春の嫁にはならねえってことかね」
 「さあな、俺は千鶴ちゃんじゃねえからわかんねえけどよ。求婚を条件に勝負を申し込まれて断ったとあっちゃあ、女が廃るって思ってんじゃろ」
 「つまり、決勝卓で正面から義春をやっつけて、二度と求婚なんて馬鹿な真似をしないようにってことかね」
 「そう考えるのが妥当じゃないかね。あんな美しい女が、給料の安い町工場の冴えない従業員の嫁になるなんてありえないべ」
 「それはそうだが、千鶴ちゃんが結婚を賭けることを承諾したにしても、じゃあ、義春は何を賭けたんだね?」
 「義春にゃ、千鶴ちゃんとの結婚と釣り合う金なんて持っちゃいない。身体で払うんだと」
 「身体で、って、まさか?」
 「徳ちゃんが想像してることとは違うねん。つまり、ここでタダ働きするんだと。一年間」
 「タダ働きって、工場はどうすんだ?」
 「迷惑かけたくないから、千鶴ちゃんに負けたら辞めるとさ」
 「そんな無謀な、、、どうやって生活すんだ、、」
 「貯金してたらしいに。一年間くらいは細々と暮らせる額はあるらしいけん。あいつは働きもんだから、いなくなると厄介じゃけん、本当は応援してやりたいんだが、賭けは別物じゃけん」
 工場長は相変わらず何処の方言なのかわからない言葉を連発している。千鶴がダントツのトップで予選を終えた時、義春もまた、トップで予選を終えていた。ジャラジャラと牌をかき回す音が止むと、蝉の鳴き声がひときわ大きく室内に響く。扇風機は相変わらず頼りない風を送っている。四卓ともに予選を終え、ギャラリーと打ち手が放つ熱気の余韻が気怠い空気を蔓延させていた。
 「少し休憩しましょう」
 千鶴がそう言って、カウンターの後ろに置かれた冷蔵庫から、缶ビールやら、コーラの瓶やらを取り出して皆に振舞った。工場長が缶ビールを二本持って、一本を義春に差し出す。義春はカウンターでガラスコップに入った水を飲んでいた。ゴツゴツした太い指がコップを持つと、まるで手品のようにコップが消えてなくなってしまうように見えた。
 「ほれ、義春も飲んだらいいに。少しくらいアルコールが入った方が頭が冴えるんじゃなかと」
 「おやっさん、俺じゃなくて、千鶴さんに乗ったらしいじゃないですか」
 義春はよく日焼けした手の平を工場長に向けて、酒の勧めを断る仕草をした。
 「なんでえ、それが気に入らねえのかい」
 「千鶴さんが勝ったら、俺はここで一年間タダ働き。そして工場もやめなきゃならない。そうなっても良いって言うんですね?」
 「まあまあそう怒るなや。お前の魂胆は大体わかってる。負けりゃあ、工場辞めてここでタダ働き。勝ちゃあ勝ったで千鶴ちゃんと結婚して、ここで千鶴ちゃんと一緒に「白蛇」を経営する。どっちにしてもおんなじことだべ」
 工場長は、缶ビール二本のうち一本をカウンターの上に置き、残りの一本の栓を開けた。プシュッという音と共に、ビールの泡がびっくり箱から飛び出す人形のように勢いよく吹き出した。部屋の温度二度ほど下がったような気がする。
 「おやっさんには恩義があります。千鶴さんと結婚できたとしても、工場の仕事は続けていくつもりです」
 「俺は恩着せがましいことは言いたかないんや。義春にゃあ義春にふさわしい生き方っちゅうもんがある。おめえがこの店にいりゃあ、千鶴ちゃんの用心棒役にもなるだろ。麻雀の腕も立つし、工場なんかで油に塗れて働くよりここで好きな女と好きなことをすりゃあいいに」
 「おやっさん、、」
 「まあ、そんな顔するなや。おめえなら千鶴ちゃんを少なくとも悲しませることはしねえだろ。まあ、そもそも千鶴ちゃんに勝てたら、の話だべさ。かっかっか」
 工場長はそう言って乾いた笑いを浮かべた。三十分ほどの休憩を挟んで、決勝戦がスタートした。メンバーは千鶴、義春、床屋を営んでいる健三、八百屋の清。健三にしても清にしても、麻雀の腕は確かだったが、やはり義春が頭ひとつ抜きん出ていた。局を進めるごとに、勝負の行方は千鶴と義春の一騎討ちの様相を呈してきた。
 千鶴の白く長い指から放たれる牌は、キーン、キーンと絶対零度の打牌音を卓上に響かせる。かたや、義春の日に焼けたゴツゴツした指から放たれる牌は、ビシッ、ビシッと猛獣使いが威嚇のために足元を鞭打つような打牌音を響かせる。千鶴は透視能力を封印し、正々堂々、義春と向き合い、その結果に自分自身を委ねようとしていた。自分自身の意思ではなく、麻雀の神様の意思に従おうと思ったのだ。
 僅差で迎えた最終局。千鶴の親で事件は起こった。千鶴は全ての配牌を受け取ると、右から左へ視線を素早く動かした。そして、軽く深呼吸をしてから、静かに手牌を倒した。
 「ごめんね。上がっちゃった、、」
 ギャラリーがどよめいた。歓声をあげる者、ため息をつく者、その反応はさまざまであった。義春はただ呆然としている。天和(配牌時にすでに揃っていること)あまりにも呆気ない幕切れであった。
 「千鶴さん。約束ですから、俺、明日からここで働きます」
 「そうね。そういう約束だったから仕方ないわね。それから、ついでにもう一つ、飲んでほしい条件があるの」
 「もう一つ、、ですか?」
 「雀荘の仕事っていうのは、朝から晩まで休みなしだからね、、、条件っていうのは私と一緒にここで暮らすこと、、」
 「え?」
 義春は耳を疑った。ギャラリーが再びどよめく。
 「千鶴ちゃん、そりゃあ、義春と結婚してもいいっちゅうことかね」
 工場長が横槍を入れてきた。その言い方が気に食わなかったのか、千鶴はギャラリーをきょろきょろと見渡し、工場長の姿を見つけ、その顔をキッと睨んだ。

 ※※※※※※

 義春にとっては僥倖と言っても良かった。一方的な片思いだと思っていた相手も自分のことに好意を持っていたのだから。
 二人の経営する「白蛇」は依然にも増して繁盛した。千鶴はお客を楽しませる打ち方を徹底的に義春に伝授した。透視能力を持たない義春にはその打ち方は、単に相手に勝つ打ち方をするより遥かに難しかった。
 ほどなく、二人の間に女の子が生まれた。千鶴の千と義春の春と合わせて、女の子は、「千春」と名付けられた。それがミハルの母親だ。千春が生まれると、千鶴は子育ての為に、店に顔を出さない日が増えた。店の切り盛りは義春ひとりの手に委ねられた。もとより四卓しかない狭い雀荘である。雀荘業務は義春だけでも充分、事足りた。
 店の看板娘である千鶴が店に顔を出さないことで、不満を持つ客は決して少なくはなかったが、千鶴が見染めた義春と卓を囲みたいという客も多く、店は概ね繁盛していたと言える。

 ※※※※※※※※

 風が強い日だった。深夜、義春は、入口の戸を叩く音で目を覚ました。戸を開けると、下駄を履いた徳治が寝巻の上にはんてんを引っ掛けて立っている。冷えた夜なのに顔じゅうから汗が噴き出ている。両方の掌を膝に当て、俯いた姿勢でぜいぜいと荒い呼吸をしている。どうやら全力疾走でここまで来たようだ。
 「徳さんじゃないですか。どうしたんですか、こんな時間に」
 「義春、てーへんだ。工場が燃えてる」
 「え?」
 「え、じゃねえんだよ。工場が火事なんだよ。工場長が中に閉じ込められてる」
 「なんですって!おやっさんが?」
 義春も、寝巻姿のまま、草履をひっかけ、慌てて外に出た。工場の方角を見ると、天を焦がすかの如く黒煙が舞い上がっている。風に乗って煙の匂いが鼻をつく。
 オレンジ色の炎が大蛇のように建物に巻き付いている。バチバチと木材を燃やす音は激しさを増し、炎の光に照らされた灰が、まるで歪な粉雪のように舞っている。
 すでに消防車が二台到着しており、懸命な消火活動をしている。そればかりか、近隣住民もバケツリレーで消火を後押ししている。
 「おやっさん、今、助けに、、」
 「おい、義春、もう無理だ。やめろ」
 「うるせえ!見殺しにできるかよ」
 「おい、義春、やめろったら、、」
 義春は無駄だとわかりつつ水を汲んでいる男の手からバケツをひったくり頭から水をかぶった。オレンジ色の大蛇が真っ赤な舌を出して義春を手招きしているように見える。
 「うおおおおおおお!」
 義春は大蛇の口に飛び込んだ。直後、ガラガラガラガラ、ドドドドドドドド、、と何か大きなものが崩れ落ちる音が聞こえた。

 ※※※※※※

 工場の資金繰りが厳しく、それを苦にして工場長自ら火を放ったことが知れ渡ったのは、翌日のことだ。工場内にある薬品類に引火したせいで消火が長引き、完全に鎮火した頃には、白々と夜が明けようとしていた。工場は全焼し、焼け跡から工場長と義春の焼死体が発見された。義春は崩れ落ちた屋根の下敷きになっていた。工場長のところに辿り着く前に息絶えていた。
 千鶴の透視能力が消えてしまったのはその翌日のことであった。

【第五話につづく】









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