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「エスパー雀士ミハルの憂鬱」第十二話【全十三話】

 四

 雀荘「千春」の従業員として働くようになってから、三ヶ月が経過した。店長はあまり流行っていない雀荘だと謙遜していたが、青森駅周辺で雀荘はここしかない。日中はまだしも、特に週末の夜は、満卓状態になる日がほとんどだった。
 メンバーとして卓に入ることも最初はかなりの違和感があったけど、最近やっと慣れてきたようだ。他人の心を読む力は失ってしまったけれど、むしろその方がメンバーとして仕事をこなすのはやりやすい。
 レートはピンのワンツー。首都圏では低レートの雀荘が増えているそうだ。点五、点三、ノーレートのフリー雀荘まであるらしい。その背景には、若者中心のオンライン麻雀と、お年寄り中心の認知症防止のための「健康麻雀」の普及があった。麻雀のイメージをギャンブルから距離を置こうとしている。雀荘としては、場代を稼ぐことができれば良いわけだから、ピンだろうがノーレートだろうが関係ない。要は、麻雀を打つのに金を賭ける必要はない、と思っている人たちが増えてきたということだろう。
 「ねえ、店長、健康麻雀ってなに?」
 「お年寄りの方たちが、ボケ防止のために麻雀を打つんです。ほら、麻雀って、頭と指先を使うでしょう。それがボケ防止には敵面らしいんですね」
 「へええ、じゃあ、私とか店長は、毎日、麻雀打ってるからボケないってことだよね」
 「そうありたいですよね。聞いた話ですと、交通事故とかで脳障害を患ってしまった患者さんへのリハビリ目的で麻雀を導入している病院もあるらしいですよ」
 「え?ほんとに?」
 「ええ。それで実際に回復が早まった事例もあるそうで、、、医学的効果も期待されているそうです」
 私は数日前の店長との会話を思い出していた。もしかしたら、瞬をこの場所に連れてきて麻雀を一緒に打てば記憶が戻るかもしれない。そう思ったからこそ、私は「千春」のメンバーとして働くことを決意した。私の判断は間違っていないのかもしれない。

 ※※※※※※

 気持ちの良い風が吹いていた。桜の開花はもうすぐでしょう、と、テレビのアナウンサーが言っていた。地表を覆い尽くしていた雪は姿を消し、街は本来の色を取り戻していた。見上げると、雲一つない空を飛行機が横切ってゆく。冬眠していた太陽はやっと重い瞼を開けて、街を暖かく見守っている。
 私は車から降りて深呼吸をした。瞬のアパートの前に車を停めたのは久しぶりだ。瞬の記憶が消えているのは青森に来てからの一年間だけなので、麻雀そのものの記憶が消えているわけではない。学生チャンピオンだったというその腕も健在のはずだ。
 瞬は退院して自宅療養をしている。自由に外出しても良いという医師の許可はもらっていた。意外にも、雀荘に連れて行って欲しいと言ってきたのは瞬の方だった。
 外階段をゆっくりと上がって、瞬の部屋の前に立ち深呼吸をした。お互い一人暮らしなのに、自分たちの家を行き来する仲にはなっていなかった。いや、いずれそういう仲になりたいと思ったし、なれるはずだったのに。右腕にはめているCOACHの腕時計に重みを感じる。今となってはこの扉の向こうにある空間が、酷く遠いものに感じた。ドアホンを押す。ピンポーンという音が無機質に鳴る。
 「はい」
 「都築です。お待たせしました」
 「今開けますね」
 瞬は色褪せたデニムのジーパンにグレーの無地の長袖Tシャツを着ていた。随分とくたびれたニューバランスのスニーカーを履いている。そういえば、「一番のよそ行きは、通勤着のビジネススーツ」だといっていたのを思い出した。着る物には本当に無頓着な人なんだなあ、と思う。考えてみたら、初めて一緒に食事をした「吉長」でも、アスパムのレストランでも、瞬は似たような格好をしていた。洋服に対する瞬のこだわりのなさに、私はかえって好感を持った。
 「体調はどうですか?」
 「元気ですよ。ただ、相変わらず、ここに来てからの記憶は消えたままなのですが、、」
 「そうですか、、、」
 そう簡単に記憶が戻るわけもないか。がっかりした思いを悟られてはいけない。瞬にストレスを与えることは禁物だ。美月さんの青白い顔と、華奢な身体を思い出す。彼女はきっと、何か強靭なものを船の錨のように内に秘めている。あるいは、まだ力を持っていた頃の私に似ているのかもしれない。
 今の私はなんだか焦っている。初めはそれが瞬の記憶が失われてしまったことが理由だと思っていた。でも、よく考えたらそれは違うのではないか。【私はきっと、他人の心が分からなくなってしまった自分自身に焦っている】。
 他人の心が分かったって、なんの得にもならない。そう思っていたのに、いざ力を失ってみると、自分がまるで深い森の中に迷い込んでしまったような感覚に襲われる。あるいは、三百六十度地平線に囲まれた広大な砂漠の真ん中に置き去りにされているような。
 瞬が私に気があるってことはずっと分かっていた。それでも彼を避けようとしなかったのは、私も瞬に好意を持っていたからに違いない。しかし、今や、私の力は奪い去られ、さらには、瞬の記憶までが奪い去られてしまった。
 瞬を助手席に乗せるのは初めてではないはずなのに、鼓動が速くなる。車窓から見える空は突き抜けそうなくらい青く、少しだけ開けた窓の隙間から小鳥の囀りが聞こる。時折吹き込んでくる風は、春の到来を感じさせながらも、長かった津軽の冬の残滓を色濃く残していた。除雪によって路肩に積み上げられた雪が嵩が低くなりながらも、所々に厳冬の爪痕を残している。
 「寒くないですか?」
 「いえ、平気です。気持ち良い風が入ってきますね」
 「雪、まだ残ってるけどね」
 「ここの空気、首都圏の空気と全然違うんですね。空気が美味しいってよく言いますけど、その意味がやっとわかったような気がします」
 「そうね。青森に来た人は大抵、同じことを言うわ」
 「麻雀、、強いんですよね」
 「えっ、、?」
 「いや、、雀荘のメンバーしてるくらいだから、麻雀強いんじゃないかと、、」
 「そうね、、負けた分は給料から引かれるからね。いやでも強くなるよね、、」
 「、、麻雀の記憶が消えていなくてよかった」
 「え?」
 「いや、俺にとって麻雀って、生きがいなんて簡単な言葉では片付けられないほどの存在ですから」
 相変わらず胸の鼓動は止まらない。何なんだろう、この感覚は。

【最終話につづく】 

 

 

 

 
 

 

 

 
 

 

 

 

 

 


 
 

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