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「小説において風景描写は必要なのか」❶

 「小説において風景描写は必要なのか?」

 そんなの必要に決まってる。当たり前のこと聞くなよ。と、、俺なんか思うんだけど、どうもネット界隈では違うらしい。

 『街並みを細かくくどくど描写される小説なんか、かったるくて読めやしない。繁華街って一言書けば良いだろう』

 はいはい、そうですか。俺から言わせれば「風景描写を読むのがかったるいなんていうのなら、小説なんか読むんじゃねえよ」となる。

 さて、一言風景描写というけれど、だからといって、何でもかんでも描写すれば良いというわけではない。例えば、街並みを描写するのであれば、その街並みが煌びやかで栄えているのか、それとも寂れているのか。寂れているのならそのことが端的に伝えられる箇所をピンポイントで描写するのだ。あるいは季節は?夏なのか冬なのか、そのことが具体的にわかる場所を一点突破で描写する。

 それが「木を見て森を作る描写」なのである。ヘミングウェイや、トマスマン、あるいはトルストイやモーリヤック。名だたる文豪たちは皆それをやっている。だからこそ時代を超えて読まれているわけである。

 風景描写なんてめんどくさいものがなくなって、ストーリーが面白ければそれなりの作品になるだろう。しかし、悲しいかな、そんな作品はせいぜい、ネット界隈でほんの一瞬、話題になるだけで、一年もすれば忘れられる。

 俺はそんなおもちゃみたいな小説を目指しているんじゃねえんだよ。不可能を承知の上で、数年後も読まれる作品を書きたいのである。人生は一度だけだ。目指すハードルは高い方がやりがいがあるだろう。

 単に本にするだけなら、金さえありゃ、誰だってできんだよ。
  
 というわけで、この命題については書きたいことが山ほどあるので、随時更新していこうと思う。

 小説は漫画や映画の代わりではない。小説には小説にしかできないことがあるはずなのだ。

 

 

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