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「エスパー雀士ミハルの憂鬱」第九話【全十三話】



 二

 病院の待合室というのはどうして死を連想させるのだろうか。玄関の大きなガラス扉から見える外の景色は、あいも変わらずモノトーンに染まっている。鉛色の空から降り続ける粉雪は、色という色を奪い去ってしまう。それは、大きなまさかりを振り回して人の命を次々に奪っていく死神を連想させた。
 腕時計を覗くと、二時五分前を指している。面会時間までもうすぐだ。瞬がプレゼントしてくれるはずだった腕時計の黒い文字盤を撫でる。消毒用アルコールの匂いが染みついた茶色いソファから立ち上がり、脇に置いたガーベラの花束を抱え、リノリウムの廊下をゆっくりと歩き始めた。突き当たりのエレベーターから四階まで上がる。
 エレベーターから出てすぐ左手にナースステーションがある。三メートルほどの真っ白な受付カウンターの上に、ワイングラスのような形をした白い陶器を使って飾られたフラワーアレンジメントがあった。白とピンクに彩られたフラワーアレンジメント。雪に覆われた冬とその後訪れる桜舞い散る春。津軽の二つの季節を投影しているような気がした。
 向こう側には大きな楕円形のテーブルがあった。二人の看護師が背もたれのついたグレーの回転椅子に腰掛け、ノートパソコンに向かっている。
 「あ、あの、すいません、面会ですけど、、」
 看護師のひとりがこちらを振り向いて微笑んだ。
 「鳴海さんの面会ですね。どうぞ」
 声をかけてくれたのは、美月さんという痩せた看護師だ。
 「今日も素敵なガーベラですね。都築さん、体調はおかわりありませんか?」
 美月さんは回転椅子から立ち上がり、背筋をピンと伸ばした姿勢で、カウンターまで歩いてきてくれた。ハスキーでゆっくりと語りかけるような声は、蛇に睨まれた蛙ですら安心させてしまう力を持っている。
 「はい。おかげさまで、もう傷はすっかり癒えたようです」
 「それはなによりです。鳴海さんも早く退院できると良いですね、、ガーベラの花言葉、ご存知ですよね」
 「いえ、、私は花には全く関心がなくて、、このガーベラもただ、お花屋さんに勧められて買ってきただけなんです」
 「あらあら、そうでしたか、、ガーベラの花言葉は、希望、そして、前進。お見舞いの花にはぴったりなんです」
 美月さんは体調の悪そうな蒼白い顔でそう言った。痩せた体躯で、蒼白い顔。美月さんのそんな風貌に騙される人は多いのではないかと思う。人は見かけによらないということわざは、この人のためにあるようなものだ。
 美月さんが外科病棟の婦長を務めていることを知った時は、意外だった。体調の悪そうな顔色も、病的にまで痩せている体型も、生まれつきだという。
 私が救急車でこの病院に運び込まれた時、中心になって対応してくれたのが美月さんだった。その華奢な身体つきからは想像もつかないほどのバイタリティで、彼女は私を守ってくれた。
 「ちょうど、検温の時間です。一緒に行きましょうか」
 美月さんはナースステーションから出て、瞬の病室に向かって歩いてゆく。私は彼女の後ろについて歩いてゆく。プライドを持って仕事をしている女性の背中だ。看護師としての経験が地層のように積み重なって、今の彼女を形成しているに違いなかった。
 「人生は線ではなく、点の連続である」
 過去と現在に因果関係はない。そうであって欲しい。でも、過去の経験が積み重なって、今の自分が存在するのではないか。美月さんの背中を見つめながらそんなことを思った。
 「鳴海瞬」と黒マジックで書かれたネームプレートが少し掠れている。
 「鳴海さん、検温の時間です。入りますよ」
 美月さんはそう言いながら扉をノックし、ドアノブを回した。

【第十話につづく】
 

 

 

 

 

 



 

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