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「エスパー雀士ミハルの憂鬱」第五話【全十三話】

 五

ミハルの長い話が終わる頃、インターホンが鳴った。時計の針は午前三時半を指している。店に到着してからまだ一時間半しか経過していない。随分と長い時間、ミハルと過ごしていたような気がする。
 「あ、山倉冷機、来たみたいですね」
 「あー、やっと帰って眠れるか」
 「副店長、お疲れ様でした」
 「いや、全然。ミハルちゃんの話楽しかったし、今日は俺、休みだからね」
 「副店長、私も夜勤明けですが、休みなんです。よかったら、一緒にランチでもしませんか」
 「え?ほんと?」
 「副店長に見せたい景色があるんです」
 「見せたい景色?」

 ※※※※※※※※※

 店から家に帰り、熱いシャワーを浴びた。ミハルに会うまで一眠りしようと布団に潜ったが、一向に眠くならない。夜中に麻雀を打ったせいなのか、ミハルのせいなのか。目を閉じてミハルのことを考えた。くりくりと動くどんぐり眼と、白くて長い指。
 ミハルは正午ちょうどに真っ赤な軽自動車で迎えにきた。アパートの外に出ると今日の悪天候が嘘のように雲ひとつない快晴だった。ミハルの軽自動車が太陽の光を浴びて、まるでもぎたてのトマトのように輝いている。車を十分ほど走らせてミハルが連れて行ってくれたところは、青森駅から徒歩五分くらいの位置にある、アスパムという青森観光物産館だった。ピラミッドを連想させる三角形のフォルムが特徴的で、有名な観光スポットでもある。
 俺たちはエレベーターで十四階にあるレストランに向かった。黒のタキシードを着た店員が入口に立っている。店員は非の打ち所がない笑顔を浮かべて「いらっしゃいませ」と俺たちに向かって頭を下げた。
 「予約していた都築ですけど」
 「二名様の予約ですね。ご案内いたします。こちらでございます」
 店員はうやうやしく再び軽いお辞儀をして、大きく開いた右手で窓際のカウンター席を指し示した。店員はミハルのために、物音ひとつ立てずに椅子を引いた。まるで、ブルボン王朝の女王と召使いのようだ。ミハルを座らせたあと俺のためにまた静かに椅子を引く。一体、彼は今まで何回、客を座らせるために椅子を引いてきたのだろうか。彼にとって椅子を引くという作業は、外科医が難しい心臓の手術をしたり、パイロットが悪天候の中、ジェット機を操縦するようなものなのだろう。
 展望台とレストランを兼ね備えたこの席からは、青森の海原が一望できる。絶景だった。店員がお冷とおしぼりを持ってきた。グラスに注がれた水に青森の海が映っている。俺たちはランチメニューから、ハッシュドビーフオムライスとアップルパイのセットを注文した。
 「どう?良い眺めでしょ」
 「こんな絶景スポットがあるなんて知らなかったよ」
 「でしょ。青森っていうと、春は弘前城の桜、夏はねぶた祭り、冬は雪。季節によって様変わりする情緒あふれる景色ってのが一般的に知られているところなんだけど、青森の海がとても美しいって知ってる人はあまりいない」
 「そうかもしれないね」
 「桜もねぶた祭りも雪景色も一瞬なの。時が過ぎれば消え去ってゆく。でも、海の美しさは永遠なの」
 「たしかに、、」
 「私は他人の心が読めるようになったけれど、その力のおかげで得をしたことは一度だってない。むしろこんな力なんかとっとと消えて無くなって欲しいとさえ思う」
 「そうかなあ。俺からしたら羨ましい能力だけどなあ、、」
 「例えばですけど、副店長に好きな女性がいたとします。相手の心が読めるとして、もし好きな女性が副店長のことなんかなんとも思ってなくって、ほかに好きな男性がいたらどうします?」
 「うーん。諦めちゃうかなあ」
 「でしょ。相手の心が読めてしまうってことはね、自分の行動を著しく制限してしまうことなの」
 「なるほど」
 「世の中にはね、知らない方が良いことの方が圧倒的に多い。私は今まで生きてきた三十八年間でそのことを学んだ」
 「じゃあミハルちゃんは、自分のその能力がなくなってもいいって思ってるんだね」
 「そうね。でも、なくなってしまうってことは、自分にとって大切な人を失ってしまうことでもある。祖父が亡くなった日を境に祖母の当時能力が忽然と姿を消したように」
 「そうだね」
 「父も母も家を出て、祖母は亡くなり、夫と別れてもなお、私の特殊能力は消えてなくならない。どういうことかわかる?」
 「ご両親も旦那さんも、ミハルちゃんにとっては大切な人じゃなかったってこと?」
 「そういう捉え方もある。でも、こういうこともあるんじゃないかな?【自分にとってもっと大切な人がこれから現れるって】」
 そう言うと、ミハルはおしぼりで丁寧に両手を拭いた。喉を潤すと、グラスを目の高さに掲げて、そこに映る青森の海をじっと眺めている。白く長い指がかすかに濡れていた。
 「自分にとって大切な人、か、、」
 「副店長には好きな人いないんですか?とっくにご結婚してらっしゃると思っていたのに、、」
 胸が高鳴る。ミハルには俺の心が読まれているはずなのに、どうしてそんなことを質問してくるのだろうか。俺はミハルに惹かれていて、ここ数日ミハルのことばかり考えている。それとも待っているのだろうか。俺が自分の思いをきちんと言葉にしてミハルに伝えることを。
 「ねえ、副店長。想いは言葉にしないと相手には伝わらないの。きっと副店長は、今まで好きな人に告白する勇気を持てなかっただけじゃないですかね。もしかしたら、数多くのチャンスを無言の中で握りつぶしてしまったかもしれないよ」
 「幼稚園の時にね、くろんぼ大会ってのがあったんだ」
 「くろんぼ大会?」
 「そう。夏休み明け初日、園舎の中で真っ裸になって園児が整列してさ、誰が一番夏休み中に日焼けしたかって先生たちが選ぶんだよ」
 「へえー、面白いわね」
 「俺は母親譲りで肌が白くてさ。いくら外で遊んだって日に焼けることがないんだ。火傷みたく赤くなるだけで、すぐ元に戻っちゃう」
 「今なら沢山の女の子が羨ましがるわね」
 「幼心ながら、そんな自分の身体を見せるなんて恥ずかしくてね。夏休み明けは幼稚園に行くのがものすごく嫌で、家で泣き喚いて、母親を困らせてた」
 「それで?」
 「それが、俺が外見にコンプレックスを持つようになったきっかけ。とにかく自分の外見が嫌いだった。日に焼けない肌も、細い目も、厚い唇も、なにもかも」
 ミハルのどんぐり眼がじっと俺の顔を見つめている。目が合うたびに、心の中を洗いざらい読まれていることを肌で感じる。夏の終わりの砂浜に散乱しているビールの空き缶とか、破れたビニールシートとか、色褪せた麦わら帽子とか、そういったものをひとつひとつ拾い集めて最後にはゴミひとつない海岸になる。そんな感じだ。
 「結構、つまんないことを気にするんだね」
 「そうかな、、」
 「そうですよ。女の子が外見ばかり気にするのはまだわかるけど、いい年した男が見た目ばかり気にするのは良くないよ。そういう男性は女性のことだって外見で判断するって思われちゃうしね」
 「そんなもんかな」
 「そうよ。でも副店長の弱点ひとつ見つけた感じ」
 そう言ってミハルはクスクスと笑った。
 「お待たせいたしました」
 タキシードを着た店員が料理を運んできた。木葉型の白い皿に盛られたハッシュドビーフオムライス、両脇に小猿の耳のような丸い取っ手がついたスープ皿に入れられたミネストローネ、そして、丸皿に乗せられたアップルパイはきっちり四十五度の角度でカットされていた。
 「おいしそー。とりあえず食べましょ」
 ミハルのどんぐり眼が輝いている。給食のメニューにビーフシチューとプリンが一緒に出てきた時の小学生みたいな表情だ。
 白く長い指が、ピカピカに磨き上げられた銀色のスプーンを操る。何を持たせても絵になるもんだなあ、と感心してしまう。手のモデルをしていた頃のミハルを想像した。その美しい指が様々な目的のために使われたことを考えた。指輪をつけたり、マニキュアを塗ったり、ハンドクリームをつけたり、時には絆創膏も巻いたのかもしれない。
 ミハルは「手のモデルに要求されることは、無個性だけれども完璧な美しさ」だと言っていた。確かにそうなのかもしれない。商品よりモデルの手が目立ってしまっては元も子もない。食事をしているミハルの姿を見ているだけで、お腹いっぱいになりそうだった。
 料理は非の打ち所がないおいしさだった。オムライスとハッシュドビーフの相性は抜群で、ニンニクとコンソメの風味が程よく効いたミネストローネは上品な味だった。青森名産のりんごをふんだんに使ったアップルパイは、柔らかなバイ生地と、シャキシャキとしたりんごの食感のコントラストが素晴らしい。
 「どう?副店長。美味しかったでしょ」
 ミハルは食後に運ばれてきたコーヒーを啜りながらそう言った。
 「このコーヒーは今ひとつなんだろうね、きっと」
 「あら?そう思う?」
 「昨日、ミハルちゃんに飲ませてもらったコーヒーと全然違うもの」
 「昨日、副店長と飲んだコーヒーは、マンデリンっていう銘柄でね。インドネシアのスマトラ島でしか栽培されていない希少価値のあるコーヒー豆なの」
 「へえ、、そうなんだ。だから何だか個性的な香りがしたんだね、、」
 俺は芳しいハーブのような香りを思い出した。まともなコーヒーというものを飲んだことがなかっただけに、なおさら昨日のコーヒーの香りが強烈に脳内に刷り込まれている。
 「ダンナが好きでね、マンデリンコーヒー。誤解しないで欲しいんだけど、別れたダンナのことは何とも思ってないの。私自身がマンデリンの虜になってしまっただけ」
 実際、その通りなのだろう。中毒性のある香りだというのは、コーヒーに疎い俺ですら感じることができた。俺は数秒の沈黙の後、ミハルに言った。
 「あの、ミハルちゃんさ。ひとつお願いがあって」
 「え?」
 「副店長、副店長、ってなんか、他人行儀だからさ、名前で呼んでくれないかな」
 ミハルは左手で持ったコーヒーカップを静かにソーサーに戻した。そしてじっと俺の顔を見つめる。
 「、、瞬、、って呼んで欲しいのかな」
 鼓動が速くなる。耳たぶが熱くなった。ミハルの頬もほんのり赤くなっているのがわかる。よく考えてみたら、お願いもなにも、ミハルにはそんなことは分かりきっているはずだった。
 「鳴海瞬。瞬って良い名前だね」
 「そうかな?」
 「うん。今を大切にしてるって感じ」
 「どういうこと?」
 「時間って、瞬間、瞬間の積み重ねだからね」
 「なるほど」
 「人生は線ではなく点の連続である、、」
 「なに、それ?」
 「私の好きな言葉。現在と過去に因果関係はないということ。人生をひとつの線と思ってしまうと、どうしても過去と現在の因果関係を考えてしまう、、私は他人の心が読めるっていう特殊能力を授かったおかげでむしろ苦労の多い人生を送ってきた。自分で言うのもおかしいけどね、、」
 「うん」
 「でもね、人生において起こったこと全てを自分の持ってる「力」にリンクさせてしまうと、救いがなくなる」
 「それは、つまり、過去に縛られることなく今を生きることが大切だってことかな」
 「そう。例えば、、瞬、、が今なにを考えているか、私にはわかってしまう。これはもうどうしようもないことなんだけど、そんなこととは無関係なところで今、私と瞬の会話は成立している」
 「なんか、わかるようなわからないような、、」
 「ねえ、瞬は私に心を覗かれるの怖くないの?」
 「うーん。ミハルちゃんに心を覗かれても、不思議と嫌な気持ちにならないんだよね、」
 「それはなぜかな?」
 俺は言葉に詰まった。なぜと聞かれてもうまく説明できない。俺はミハルから視線を逸らし、顔を正面に向けた。ガラス張りの向こうには真っ青な青森の海が凪いでいる。遠くの方に漁船が二艘浮かんでいる。雲一つない青空をかもめが三羽並んで横切っていった。
 「さっき、テルからね、告白されたの」
 「え?さっきって、、、」
 「付き合ってくださいって。夜勤明けでね、駐車場で車に乗り込もうとしたら、彼待ち伏せしててさ。眼がひどく充血してて、少しお酒の匂いもした。ちょっと怖かったわ。きっと朝まで麻雀でもやってたんだね」
 「あの、テルが、、」
 「うん。彼にとっては一生分の勇気を全て使い果たすくらいの覚悟があったんだと思うわ。ああ見えても意外と繊細だからね」
 「うん、、」
 「テルが私に気があるってことはもちろんわかっていたんだけれど、まさか告白してくるとは思ってなくて、、」
 「それで、、オッケーしたの?」
 ミハルは、どんぐり眼を見開いて俺を睨んだ。左手を広げて俺の頬を引っ叩く仕草をする。白くて長い指先が微かに右の頬に触れた。
 「バカ。そんなわけないじゃない」
 「ごめん、、」
 「テルは私より十歳以上年下なのよ。それに、はっきり言って、親の脛をかじって勉強もせずに遊んでばかりいる学生って嫌いなの」
 「それをそのままテルに言ったの?」
 「まさか。私には今付き合ってる男性がいるからって、、もちろん嘘だけどね、、そう言った」
 「それで、テルは?」
 「何も言わずに立ち去ったわ」
 「そうなんだ、、」
 「、、そろそろ、帰りましょう。今日も夜勤なの。家に帰って少し休まないと」
 ミハルはそう言って、伝票ホルダーを手に取り席を立った。
 「あ、ミハルちゃん、ここは俺が払うよ」
 「いいのいいの、今日は私が誘ったから私のおごり。今度、もっと豪華な食事をご馳走してもらうから」
 そう言ってミハルは微笑んだ。俺は気の利いたことも言えず、余計なことを言ってしまった自分に微かな苛立ちを覚えた。

【第六話につづく】




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