「エスパー雀士ミハルの憂鬱」第十一話【全十三話】
三
人がすれ違うことができないほど狭い階段上がり、すりガラスになっている扉を押す。ピンポーンとチャイムが鳴り、客が来たことが、事務所の人間に知れ渡ると、一斉に、「いらっしゃいませ!」と、室内の澱んだ空気を吹き飛ばすような明るい挨拶があちこちから聞こえてくる。
「あの、都築ですけど」
受付カウンターに腰掛けている髪の毛をえんじ色に染めた女に自分の名を告げる。
「店長、都築さんですよ」
女は表情を変えずに一番奥の席に座っている痩せた男を呼んだ。真夏の麦畑のような色をした髪の毛を、オールバックにしてワックスでガチガチに固めている。読んでいたスポーツ新聞を机の上に投げ出し、つま先が鷹の爪のように尖った革靴の底を、カツカツと鳴らしながら近付いてきた。
「相変わらず、期日に正確ですね、ミハルさん。エスパー雀士の無敗記録はまだまだ更新中、、ってわけだ。クックックッ、、」
枯れ枝が折れるような笑い声が鼓膜を不快に刺激する。私はその場でハンドバックから茶封筒を取り出し、カウンターの上に置いた。
「五十万入ってるわ。確かめてちょうだい」
男は実につまらないものを見るような表情で茶封筒を手に取り、えんじ色の髪をした女に手渡した。女は茶封筒から中身を取り出し、紙幣カウンターにかけた。バラバラバラと、ゴミ捨て場の袋を突いていた数羽のカラスが一斉に飛び立つような音だ。
「たしかに、五十万、お預かりいたしました」
女は表情を全く変えずにそういった。
「これで全て返済したはずよね」
「クックックッ、、、、、残念ですが、そのようです。しかし、貴女は変わった人だ。どうして自分に危害を与えた男の借金まで肩代わりする気になったんです?」
「彼が出所してから付き纏われちゃ迷惑なのよ」
「クックックッ、、なるほど。しかしまあ、貴女が持ってきた金のうち何割かは、もともは奴の所持金だったんでしょうけどね、クックックッ、、、奴がうちの他からさらに金を借りてなきゃ良いんですけどね、、クックックッ、、、」
えんじ色の髪の女がプリンターから出てきた一枚の用紙をカウンターの上に差し出した。
「これが、赤坂輝晃【あかさかてるあき】様の完済証明書です。お受け取りください」
女はやはり無表情だ。
「ところで、お母様の居所はわかりましたか」
「、、、そんなのあんたには関係ないわ」
「クックックッ、、失礼しました。その通りですね。貴女になら、またいつでもご融資しますからお困りの際はご連絡ください、クックックッ、、、」
「ふん、もう来ないわよ」
完済証明書を丁寧に折りたたみ、ハンドバックにしまった。
母が街金から多額の金を借りていることを知らされたのは、私が夫と離婚した直後のことだ。ふらふらとこの建物に立ち寄り、金を借りて再び、行方をくらましてしまったらしい。
連絡先の携帯電話は一向に繋がらなかったために、記載されていた私の住所に、街金の店長が押しかけてきた。当時、私はすでに「ラックスマート」の警備員として働き始めていたが、警備員の給料だけではとてもじゃないけど、返済できない。離婚した夫に頼ることも躊躇われた。あるいは、素直にそうしていれば、私の人生は幾分、変わったものになっていたはずだ。
雀荘「千春」を初めて訪れた日のことを思い出す。祖母から手解きを受けた麻雀にはかなりの自信を持っていた。そして、私には人の心を読む力がある。返済の手段は、賭け麻雀に頼るしかなかった。母と同じ名前がつけられた「千春」という雀荘。これもまた運命だと思って割り切るしかなかった。その判断が間違っていたとは思わない。そのおかげで瞬と出会うことができたのだから。
狭い階段を降りて通りに出た。空を見上げると雲ひとつない快晴だった。私は一点の曇りもない青空に向かって深呼吸をした。
【第十二話につづく】
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