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カバン

カバンというものは厄介だ。

上さんと二人暮らししていた頃。パートナーに言ったことがある。「カバンなんて大中小の3つあれば十分じゃないの?」即反論された。「男の人はそう言うけど女性はそうはいかないのよ。季節に合わせる。着る服に合わせる。だから色々カバンも合わせるものに合わせて3つで足りる訳ないわ。」「そういうものかな??」「そういうものよ。」
かくして議論は終わった。見事完敗。反論する余地なく押し切られた。かくして押し入れには色とりどりのカバンが所狭しと並ぶ。並び続ける権利をカバンは勝ち獲った。

そのパートナーが逝き数々のカバンが残った。使い古して文句なくゴミ袋行きとなるものはわずかでどれもほとんど新品同様に見えた。数が多いだけに出番が少なく使う頻度はさほど無かったとみえる。新品に近いから捨てられないという訳でもないがブランド物も数は少ないものの多少はありこれは彼女の友人に引き取ってもらった。自分が代わりに使うことは一切しなかった。

通勤用に使うカバンはさておき大きめのカバンはどこか遠方へ出向く際のお供になる。目的は何であれ旅行というものは何か緊張感と共にドキドキする。非日常が待っている。期待感がそうさせるのだろう。こんなとき古びたカバンの方が旅慣れた感じで何かカッコ良い。旅にGパンのポケットに文庫本1冊で出かける気楽な風来坊を気取ってみたい憧れもあるにはあるがやったことはない。何かしら詰め込んだカバンはやはり必要なのだ。精神安定剤なのだろうか。まるでカバンの重さが旅先で吹き飛び更に遠くへ飛ばされることのない様用心しているかのごとく。

駅、空港や港で古びて使い古したカバンを見なくなった。代わりにリュックやスーツケース全盛だ。時代の流行り廃れだがカバンに旅愁を感じるのは自分が昭和の時代の人間だからなのだろうか。


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