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趙紫陽(1919-2005)

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2021年10月の記事一覧

趙紫陽 指令性計画から指導性計画へ 1984/09/09

 党の十二大報告作成にむけて趙紫陽が中央政治局常務委員に1984年9月9日出した書簡と、各委員(胡耀邦 鄧小平 李先念 陳雲)の返答が盧躍剛《趙紫陽傳》に記録されている(盧躍剛《趙紫陽傳下卷》INK印刻文学2019年pp.897-903)。大変興味深いので紹介したい。写真は1985年10月24日の趙紫陽(場所は国連総会会議場と推定)。《趙紫陽傳上卷》INK印刻文学2019年p.010より転載。  書簡は我が国の経済体制をどのように概括するかという問題を提起している。そこで中

方励之 民主不是賜予的 1986/12/04

方励之 民主不是賜予的 1986年12月4日 在科大民主選舉大會上演説 載<方励之文集第二卷>pp.309-311 p.311 (前略)この問題について私は皆さんに話しに来る義務があると考えました(歓声。拍手)。しかしこの場合、弁論の道徳を守るべきです。相手方がおらず私だけが話し、その中で妥当でない紹介をしているなら、相手方もまた弁論すべきです。それゆえ、私は適切なら必ず(補語 相手方も)話に来るべきであると。しかしこのような(補語 相手方の)弁論が無い場合、私はただ自身の

物価闖關失敗の責任問題と趙紫陽

 物価闖關失敗の責任問題と趙紫陽           福光 寛  ここで物価闖關は1988年春中国で取られた価格自由化措置のこと。失敗とは猛烈な物価高騰を招いたことを指す。この問題については以下の別稿ですでに述べている。なお上の写真は1988年4月山東威海でのスナップ。『趙紫陽軟禁中的談話』開放出版社2007年p.22より転載。  ここで問題にしたいのは、この「失敗」の責任を当時総書記だった趙紫陽に求める意見があり、経済学者のなかでは吳敬璉が繰り返し執拗に、これに言及してい

方励之 鄧小平宛書簡 1989/01/06

中央軍事委員会鄧小平主席  今年は中華人民共和国成立四十年、また五四運動から七十年にあたり、四十年七十年の前後には必ず多くの記念活動があることでしょう。しかしここで過去を振り返るにあたり、多くの人は今日さらに未来に関して、この二つの記念日が新たな希望につながることを期待しています。  このようなことから、私は謹んで建議します。この両日が来る際に、全国で魏京生や彼と類似の政治犯について大赦を実行することを。  私は、魏京生本人についていかなる判断することも考えていませんが、彼の

許良英談鄧小平趙紫陽 1999

この記事のSourceは以下のとおり。許良英談鄧小平趙紫陽 1999年自由亜州電台 張敏専訪(open開放網 2013年12月8日更新)。以下は全訳。(写真は方励之文集第二巻より)  1986年11月、方励之は私を訪ねてきて、1987年は反右運動30周年だから、反右運動の歴史討論会をやるべきだと述べた。(そこで)私と、劉賓雁、方励之の三人が連名で発起人になったが、私の家の中で討論して決めたことだ。(しかし)鄧小平は胡耀邦に辞職を迫り、方励之らの党籍を解いた。我々の反右歴史討