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私の東京案内

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https://blog.goo.ne.jp/fu12345/e/d9a67ddc8dd6cee344b91ed806f465fa  路線別「あいうえお」順配列。
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Cafe Pront at Hibiya Library

 千代田区立日比谷図書文化館(旧都立日比谷図書館)を訪れた時、しばしば立ち寄るのが1階奥にあるProntだ。今日はたまたま、窓際の席が空いていた。私が通常訪問する午後の時間帯は混んでいるので、窓側の席を利用できたのは幸運だった。残念ながらおしゃべりおばさんが隣席ではあったが(写真を見れば理解できるようにおしゃべりをする雰囲気は全くないのだが)、明るい窓側でしばし快適に過ごせた。  ところで書店と喫茶店が隣接しているケースはめずらしくなくなったが、図書館と洒落た喫茶店との組み合

三田演説館と福澤諭吉胸像

 慶應義塾大学三田キャンパスには国の重要文化財に指定されている建築物が二つある。一つがこの「三田演説館」もう一つは「図書館(旧図書館)」である。  「三田演説館」は明治8年1875年5月の竣工。大正13年1924年移築。都内に残る明治初期の洋風建築は貴重であるとして、昭和42年1967年6月に重要文化財に指定されている。木造瓦葺。壁は明治時代の建築に多い「なまこ壁」だが、窓は洋風であり、洋風を模して造られたことを伺わせる。  この建築の「おもしろさ」について以下を参照。  藤

慶應義塾大学図書館と塾監局

 慶應義塾大学三田キャンパスの建物はそれぞれ個性的で魅力があるが、その中で、華麗という表現があてはまるのは慶應義塾大学図書館(旧図書館)だろう。  慶應義塾大学図書館は明治45年1912年4月に竣工した。設計は、曾禰達蔵(嘉永5年1853年ー昭和12年1937年)、中條精一郎(慶應4年1868年-昭和11年1936年)の二人。その後、大震災(大正12年1923年)そして昭和20年1945年5月の空襲でも被害を受けた。現在の建物はこれらの被害からの修復を経たもの。昭和44年19

大隈記念講堂

 大正11年1922年に大隈重信が亡くなったとき、大隈記念講堂の建設が議論された。しかし翌大正12年1923年に関東大震災が起き、計画は一時頓挫。大正14年1925年頃から建設の議論が再燃し、かつ早稲田大学の建築科の教授陣を中心に改めて設計が行われることになった。設計の中心を担ったのは、佐藤功一、内藤多仲、佐藤武夫ら教授陣。戸田組(現戸田建設)が建設を担った。昭和2年1927年10月竣工。  平成19年2007年12月、ロマネスク様式(たとえば回廊部の半円アーチのモチーフの連

大隈重信銅像

 早稲田大学の校庭に立つ、早稲田大学初代総長を務めた、大隈重信(天保9年1838年-大正11年1922年)の銅像である。制作は朝倉文夫(1883-1964)である。完成は昭和7年1932年10月とされる。  上野の森にある西郷隆盛像(明治31年1898年12月除幕 高村光雲制作)の場合、西郷隆盛(1828-1877)がいかなる人かについて分からないことが像を見たあとも多く残るのであるが、大隈重信銅像は、顔の表情から、大隈の人となり、人物を良く伝えている。正装の上に角帽、ガウン

皇居外苑の楠木正成像

 上野で西郷隆盛像(明治31年1898年12月除幕)に出会ったあと、皇居外苑にある楠木正成像を見たくなった。楠木正成(1294-1336)は南朝の後醍醐天皇(1288-1339)に忠誠をつくしたことが知られる。その意味で、皇居を守る意味で楠木正成像をここに設置したとみるのが自然だ。今にも走り出そうとする馬の手綱を強く引く、兜で身を固めた武人の姿は勇壮である。 なおこの馬の姿を、上野の山の小松宮彰仁親王像(明治45年1912年建立)の馬の様子とぜひ比較してほしい。正成像

上野恩賜公園の銅像から

 上野恩賜公園の銅像から二体について述べたい。一つは西郷隆盛像である。銅像は通常、その人を顕彰する目的でつくる。また、その像が後世に残り人前に触れるわけだから、そのいでたちも問題になる。だからこそ多くの像は正装で作られている。  西郷隆盛像はその意味で異例である。着物を一枚羽織っただけの姿。わらじ履き。短刀を左手で帯刀するものの、右手は犬を連れており、直ぐに抜刀できない。平服の無防備な姿。西郷隆盛(1828-1877)は、明治維新で多大な武功がありながら、征韓論(李氏朝鮮が明

上野恩賜公園の紅葉

 上野公園を紅葉を探して歩くと書くと、意外に思う人がいるかもしれない。上野公園については桜の季節を別にすれば、美術館や博物館しか、気に留めない人も多いだろう。しかし、単純に上野公園を散策すること、散策を目的に上野公園を訪れることを勧めたい。上野は桜が有名だが、紅葉もきれいだ。なお上野で綺麗な紅葉を見つけるのは簡単なことだ。人波から少し外れて歩くことだ。  アクセス 「池の端」あたりから「不忍の池」に沿って歩き、観音堂を目指して上野の山を上がるルートや、西郷隆盛像がある「正面口

東京大学本郷キャンパス内の銅像から

 本郷キャンパスの工学部前の広場に、チャールズ・ウェスト(1847~1908)とジョサイア・コンドル(1852~1920)の銅像がある。また広場入口近くには古市公威(1854~1934)のものがある。これらは野外に置かれているので、たまたま気が付いたが、おそらくキャンパス内に銅像は他にもあるのかもしれない。これらの銅像を、眺めている人はいなかったが、亡くなって久しい人たちの銅像の扱いとはそもそもそういうものかもしれない。とはいえ、像を発見したことで私自身は、これらの人々の事績

黄葉の東京大学本郷キャンパス

 晴天に恵まれた一日。まだ人であふれない午前中を狙って、本郷キャンパスを歩く。イチョウの黄葉が見事だ。キャンパスは広く、見所は散在する。以下は個人的にお気に入りの風景から。 アクセス 地下鉄東大前あるいは本郷3丁目より徒歩。

紅葉の三四郎池

 東大本郷キャンパスの三四郎池。加賀前田藩上屋敷が当地にあった時から、この池がもたらす風景が、人の心をいやしたことは間違いない。今日は暖かな日差しの中で紅葉を愛でることができた。紅葉を求めて本郷キャンパスをぞろぞろ歩く人が必ずしも、この池にたどり着かないことに少しほっとする。  アクセス 本郷キャンパス内の中心部にあります。

東京大学大講堂:安田講堂

 東京大学大講堂、通称、安田講堂である。東京大学本郷キャンパスを代表する建物といってよい。安田善次郎の寄付による。安田の寄付という点で、昭和4年1929年竣工の市政会館・日比谷公会堂と同じである。内田祥三が基本設計を行い、岸田日出刀が設計を完成させた。建設にあたったのは清水組(現清水建設)とされる。 大正10年1921年に着工。関東大震災をはさんで大正14年1925年7月6日に竣工した。平成8年1996年12月に国の有形登録文化財に登録。  アクセス 東京大学正門から

皇居東御苑再訪

好天の中、東御苑を再訪して歩く。多言を要しない。私たちはこうした空間が好きなのだと感じる。アクセス 大手町より大手門から。

市政会館・日比谷公会堂

 久しぶりに千代田区立日比谷図書文化館(旧都立日比谷図書館)を訪ねた折りに、市政会館・日比谷公会堂の写真を撮った。この建物は安田善次郎の寄付により、昭和4年1929年10月に竣工したもの。設計は佐藤功一(1878-1941)。地上6階地下1階、塔屋部分が4階である。施工は清水組(現清水建設)。関東大震災復興のシンボルの一つ。都心のビルが絶え間なく建て替わってゆくなかで、長く日比谷公園のランドマークであり続けている。 国会通りに面しては市政会館の、そして大噴水前の第二花壇(令和