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馬寅初,陳雲,薄一波

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馬寅初(1882-1982)を中心。陳雲(1905-1995)、薄一波(1908-2007)も扱う。
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#反右派闘争

謝錦華「非北大哲学系不読」2012/10

標題の直訳は「北京大学哲学系で学んでないこと以外について」。ややひねくれた題目だが(多分、遊びで付けた題目で)、素直に書けば「北京大学系で学んだこと」。『青春歳月在北大ー哲学系1957級同学回憶録』社会科学文献出版社2012年10月pp.144-145  1955年、私は故郷の「合肥一中」を卒業した。同学は現在合衆国の有名中国人「楊振寧(訳注 1957年ノーベル物理学賞受賞。1964年米国国籍取得。2003年から清華大学に長期滞在。2015年米国国籍放棄。その政治的発言には

陳振漢 六教授意見書 1957/05-06

名人簡歷 陳振漢 全訳 陳振漢(チェン・ツェンハン 1912-2008) 男性 浙江省諸暨縣人。経済学者、経済史学者、教育家。北京大学経済学院教授。全国第一批中国経済史専業博士生導師。北京大学経済学院で長く教えた、わが国経済史学領域の一代大家と称される。 1919-1929年。まず諸暨、上虞,杭州で小学と中学に学んだ。彼が忘れがたいとするのは上虞春暉中学の日々だ。そこには夏丏尊xiamianzun,豐子愷,朱自清,朱光潜など一群の当時国内で知られた学者、教育家が集まってい

馬寅初-單槍匹馬 戰死爲止 1957-1960

馬寅初について調べていた時に出会った梁中堂論文は衝撃的だった(梁中堂《馬寅初事件始末》中共山西省委党校学報 第34巻第5期 2011年11月 48-77)。関連論文などを広範に調査したうえで、著者は馬寅初の人口論が論争の中核であったという通説を否定して、そこに現れた経済理論、哲学思想、政治的立場が論争の焦点であったとしたほか、またこの論争に、康生、陳伯達など党中央は無関係だったとした。また退職に至る要因として秘書による、馬寅初の個人財産や日頃の言動の暴露が与えた衝撃が大