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陳独秀、胡適、顧准

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陳独秀(1879-1942)を中心。胡適(1891-1962)、顧准(1915-1974)も扱う。
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2020年7月の記事一覧

聞一多の暗殺 1946/07/15

 中国の民主化運動の担い手の一人であった聞一多(1916-1946)は国民党の特務機関によって、雲南で暗殺されたとされる。直前の李公樸の暗殺とともに、民主派の人々まで暗殺したとして、蒋介石=国民党への内外の批判が高まった事件である。この事件の結果、国内でも海外でも、国民党の強権的なやり方を批判する意見が一挙につよまり、結果として国民党が中国で政権党になることをこの事件はつぶすきっかけになったとの評価もある。そこで果たして、そうした稚拙な手段を蒋介石が本当にとったのかという疑問

于子三事件と胡適 1947/11/03

于子三(1924-1947)は浙江大学学生自治会会主席だった人物。当時、共産党は学生運動に浸透していた。これに対し現地の国民党特務は、学生運動の背後を調べる目的で10月26日朝早く、前日の夜、友人の結婚式に出席していた于子三を拉致した。その後10月29日、留置所内で自殺したとされた(于子三慘案)。背後関係を調べるため、拷問を加えられて殺された可能性は高い。国民党側は、浙江大学のある杭州市を封鎖して、事件の拡大を防ごうとした。他方、共産党側はこの事件を最大限利用して、学生運動を