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陳独秀、胡適、顧准

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陳独秀(1879-1942)を中心。胡適(1891-1962)、顧准(1915-1974)も扱う。
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#トロッキー

John Dewey 1859-1952-1919年の日本そして中国滞在:中国への影響

Dewey's Political Philosophy By Matthew Festenstein Cited from Stanford Encyclopedia of Philosophy  John Dewey(1859-1952)はアメリカの哲学者でpragmatismを連想させる。彼の、哲学の著述は、主たる関心である教育、社会、政治を中心に、ほとんどの領域にわたっている。彼の政治的著述の多くは、個別の問題で促されたものだが、全体の方向性は彼のプラグマティズ

Chen Duxiu 陳独秀 1879-1942

陳独秀 Britannica Summary  1879年10月8日安徽省懐寧で生まれる。1942年5月27日重慶近くの江津で亡くなる。中国の政治的知的指導者、中国共産党の創設者。若い時、陳は日本で学んだ。中国で陳は反逆的subversiveだった。雑誌を始めたが、すぐに政府により弾圧された。中華民国の設立のあと、彼は月刊誌『青年雑誌』を始めた(その後『新青年』と改名された)、この雑誌において彼は、中国の若者たちに国民(the nation)を知的にまた文化的に再度若返らせ

スターリン、トロッキーの中国認識(1927-29)

 以下は曹泳鑫《馬克思主義中國化:基本認識和實綫》學林出版社2015年pp.57-61の一部を訳出したものであり、スターリンやトロッキー、陳独秀にもどって、曹泳鑫の記述の正確さを細かくたしかめてはいない。  ここでは1927年の蒋介石による反革命以降、トロッキーが中国革命について述べたことについての理解の一助として、そして、この時期のトロッキー派ー陳独秀が党内右派あるいは取消派と呼ばれていることを理解するための、一つの参考資料としてこれを訳出しておくことにする。 なお

トロッキーと陳独秀ー独裁批判での共鳴

トロッキーと陳独秀-独裁批判での共鳴                                 福光 寛  トロッキ―の「永続革命論」2008年3月現代思潮新社;「中国革命論」同左を読んだ。いずれも現代思潮社からかつて出されたものの復刻出版。前者は1969年、後者は1961年の出版。後者は「10月の教訓」という本と併せて1冊になっている。陳独秀とトロッキーの間で交流があったことは、陳独秀の側にトロッキー宛書簡がでてくることから伺えたが、こちらの「中国革命論」に

中共中央の武装暴動方針と陳独秀の経済闘争主義 1927年

以下は任建樹『陳独秀與近代中國』上海人民出版社·2016年pp.160-161の翻訳 p.160 1929年11月15日、中国共産党の創設者のひとりで、五届中央書記を務めさえした陳独秀は、党籍を除かれ離党させられた。この以前、彼と中共中央は中国革命問題について広範でまた激烈な争論を行った。この論文(本文)はこの論争の主要問題そして陳独秀と中央の主要な分岐について整理(梳理)しようというもの。併せて若干の意見をのべたい。 1927年末の3通の書簡  大革命失敗後、中共中央

陳独秀と不断革命論 1930-42

 林致良他編《陳独秀晩年著作選》天地2012年を使って、陳独秀(チェン・ドウシウ 1879-1942)の民主主義に対する考え方の変化を確認したい。仮説として考えられるのは、トロッキー(Leon Trotsky 1879-1940)の「不断革命論(日本語は永続革命論あるいは永久革命論 permanent revolution)」の影響、そしてその変化である。その場合、当初は、民主主義の徹底はあくまで社会主義を実現するための戦略であって、その先に連続して社会主義革命を目指すとい

陳独秀 民主主義の正しい評価 1940/07

《陳獨秀 給連根的信(1940年7月31日》載《蔡元培自述 實庵自傳》中華書局2015年pp.181-183 陳独秀という人の最晩年、民主主義がまず重要であることを主張して、当時のスターリン、ヒットラー、ムッソリーニの独裁体制を批判。また民主主義のない社会主義には、何の意味もないと喝破。レーニン=スターリンが掲げた無産階級民主主義は、党の独裁にほかならない点で、民主主義の内容がなく、空虚だと徹底的に批判している。こうした陳独秀の議論は、近年、陳独秀の議論が再検討される中

陳独秀 民主主義は人類の発明 1940/09

《陳獨秀 給西流的信 1940年9月》載《蔡元培自述 實庵自傳》中華書局2015年pp.185-192,esp.189-190 (写真はツツジ。肥後細川庭園にて2020年5月31日) p.185 西流兄身辺の方へ:数日前に一筆差し上げ、それに付随して超麟兄から手紙が寄せられたが、すでに見られたであろうか。七月二十一日の手紙は守一兄の手紙がすでに読まれたことを示している。病気のために兄からの手紙にすぐに返事はできないが、同様のことである(今猶如此)。(この手紙は書き続け

任建樹「陳独秀の最後の見解」2008年1月

解題                             福光 寛  以下は任建樹《陳獨秀的最後見解》載《陳獨秀與近代中國》上海人民出版社2016pp.184-188の翻訳である。なおこの任の記事は《社会科学報》2008年1月17日からの採録である。任建樹(1924-2019)は陳獨秀著作選の編集にあたった人物として知られる。以下の文章は任が83歳のときのもの。2019年11月に任は亡くなった。任が陳独秀の研究を長年続けたことの意義については、南京財経大学の石鐘揚が、毎日

陶希聖「陳独秀について」1964

(解題 以下は陶希聖《記獨秀》載《蔡元培自述 實庵自傳》中華書局2015年pp.123-138 の翻訳である。陶希聖は内容からみて、陳独秀のおそらくもっとも身近にいた友人の一人といえる。幹部派、反対派、トロッキー派などさまざまな左派グループの関係や考え方、その中での陳独秀(1879-1942)の位置、などを考える上で参考になる資料である。陶希聖(1899-1988) は中国の近代政治史で大きな役割を果たした人物の一人。経歴をみると、様々な要人との交流も多く、蒋介石(1887