マガジンのカバー画像

陳独秀、胡適、顧准

49
陳独秀(1879-1942)を中心。胡適(1891-1962)、顧准(1915-1974)も扱う。
運営しているクリエイター

#多元主義

蔡元培,馬寅初,胡適について

                             福光 寛 この10年ほど中国のことを考えてきて、最近この3人のことを考えるようになった。ただまだまだ資料を読み足らないし、分野が違うこの3人を比較するのはかなり大変な作業だが。ここでは問題意識だけ述べる。(写真は湯島聖堂の孔子像。) 馬寅初(マア・インチュ 1882-1982)は財政学者としてよりは、人口論で毛沢東と対立して北京大学校長をやめさせられたことで有名だが、蒋介石統治下の中国で蒋介石批判をして

顧准 科学と民主 哲学上の多元主義 1973年春

顧准《從理想主義到經驗主義》光明日報出版社·2013年pp.109-113. ここで顧准(グウ・ジュン 1915-1974)は、科学技術と民主主義との関係について、科学精神がすべてのベースになることを主張、また科学精神の別の表現が、哲学上の多元主義だと述べ,それをさらに政治上に及ぼすことを主張している。(写真は占春園で見かけたヒメジョオン。2020年6月6日)  顧准 レーニンの誤り 1973/04 p.109  科学と民主  一、科学精神の上に立脚した民主だけがしっかり頼

顧准 直接民主と議会清談館(中) レーニンは独裁をもたらした 1973/04/20

 顧准《從理想主義到經驗主義》光明日報出版社2013年pp.125-128の訳文である。  顧准(グウ・ジュン 1915-1974)は以下でまずカウツキーとレーニンを対比して、革命を達成した点でレーニンを評価している。しかし続けて、レーニンのやり方がスターリンの独裁を導いたとする。ではどうすべきか。顧准は米国の政治史を引いて、革命後、米国のように政権が交代しうる形を取れば、ソ連で生じた多くの弊害は避け得たとしている。顧准は権力を取るうえで、レーニンを肯定。しかし権力掌握後は、

顧准 資本主義も変わった 帝国主義と資本主義(下) 1973年5月8日

 顧准《從理想主義到經驗主義》光明日報出版社2013年pp.103-107を翻訳したもの。手元にある《顧准文集》民主建設出版社2015年pp.257-261も参照している。  日本では、中国の経済学者、顧准(グウ・ジュン 1915-1974)はほとんど知られていない。しかし、かれの到達した知的水準がかなり高いことが、以下の翻訳からもうかがえるだろう。学問的に不毛であった文化大革命が終わる時期、ただ一人病躯に鞭打って北京図書館に通い詰め、資本主義や民主主義の本質を理解しようとし

顧准:探索的過程 by 張曙光 2018

張曙光《中國經濟學風雲史》八方文化創作室,2018 p.948 顧准(グー・ジュン 1915-1974)の探索(人生上の大きな疑問に対して答えを得ようと探し追い求めること)は前世紀の50年代初めに処分を受けてから始まった。その思想の発展と探索の内容からみて、3つの段階を経ている。  第一段階。発芽期(萌芽期)。1952年から1956年ソ連共産党20回大会前後。党校での学習期間が進んでいる。顧准の探索はすでにマルクス主義理論から開始され、(しかしまだ)完全にマルクス主義の範囲に