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蔡元培,馬寅初,胡適について

                             福光 寛
    この10年ほど中国のことを考えてきて、最近この3人のことを考えるようになった。ただまだまだ資料を読み足らないし、分野が違うこの3人を比較するのはかなり大変な作業だが。ここでは問題意識だけ述べる。(写真は湯島聖堂の孔子像。)
    馬寅初(マア・インチュ 1882-1982)は財政学者としてよりは、人口論で毛沢東と対立して北京大学校長をやめさせられたことで有名だが、蒋介石統治下の中国で蒋介石批判をして独房に投獄された経験も持つ人だ。その生き方は、批判されて長年独房に閉じこめられ、なお屈しなかった孫冶方(1908-1983)と似ている。ところでここで注目したいのは馬寅初が大学の教員として、学生たちとどのように向き合ったかである。馬寅初は、時の政治に不満をもって街頭に向かう学生たちに共感をもっていたように思える。しかし時に彼は扇動者だったようにも見え、少し問題も感じるのである。
 これに対して、蔡元培(ツァイ・ユアンペイ 1868-1940)は、街頭に出ようとする学生たちに自重を促したものの、街頭に出た学生たちが逮捕拘束されると、逮捕された学生の釈放に尽力している。また蔡元培が北京大学校長として、さまざまな立場の一流の知識人を北京大学に招聘し、大学を立身出世の場所とする人々を排して、北京大学を学問追求の場所にしようと努めたことはよく知られている。最後に胡適(フウ・シイ 1891-1962)は、一貫して徹底した自由主義者であったように見える。それを示すものとしてよく知られているのは、晩年の蒋介石との対立であるが、胡適の言動は日本では一般的には知られていない(cf.任育徳《胡適 晚年學思與行止研究》稻鄉出版社2018年;周質平《自由的火種  胡適與林語堂》允晨文化實業股份有限公司2018年をとりあえず入手した)。
 私が考えるに、民主主義というのは異なる立場の人を許容するのでなければ成立しない。その意味で多元主義的価値観が、民主主義の土台だと考える。そうした問題がはっきり見えてきたのは、両大戦期の世界だったのではないか。1930年代、一方で、ヒットラーによるファシズムがあらわれ、他方でスターリンによる独裁が現れた。そのなかで、右であれ左であれ、独裁を否定する。これは一見ただしいのだが、不安も残る。そこには社会を一つの方向に導く哲学がないことだ。多様な意見がでたとき、必要なことは順位付けをする基準なのに、多元主義=民主主義はすばらしいが、そこにはそうした価値観がない。判断基準は別に用意するしかない。では今取り上げた3人の場合、それはなんだったのだろうか?
 政治的な枠組みについて、多元主義=民主主義を受け入れるかどうか。これは一つの判断軸になりうる。しかし又それとは別に、自身はどのような哲学あるいは価値観で、現実の問題に自身の判断をくだしていたか。こちらも見る必要がある。どの人についてもこの二つの側面を見る必要がある。蔡元培,馬寅初,胡適の3人について、そうした二重の作業をすることができればと最近考えている。

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