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張聞天 廬山会議補充発言1959年7月24日

 以下は張聞天の《在廬山會議上的補充發言  1959年7月24日》載《張聞天文集四》中共黨史出版社2012年修訂版231の翻訳である。廬山会議で、彭徳懐の意見書が公開され、それに同調した張聞天などを毛沢東は、追いつめる態度をとった(7月23日)。これに対して張聞天は1959年7月24日補充発言を行い、民主の風気の重要性を訴えた。会議に生じた異常な緊張状態ー張聞天たちが孤立した情況をこの発言はよく示唆しているように思われる(写真は水道橋から神田川を望む 2021年6月25日)。
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 (私たちは互いに 訳者補語)仕事の職位の違いから、異なる角度から問題を見ているので、問題の見方は完全には一致しないものである。私は経験がなく、横から見てきた者だ。そして大衆(群衆)運動関係全体の(経験は)多くない。同時に、皆さんが大変喜んでは聞いていないと感じている。我々は欠点を、皆さんは(立場上 訳者補語)成績を語らねばならない。ここで主要な(問題は 訳者補語)問題を見る角度が異なっているということだ。
 みなさんは異なる見方、異なる意見を、いつも話すことが出来、激しい議論(争論)を経て認識が一致すれば、問題は解決する。このようになる会議はとても味わい深いものだ(很有味道)。現在、顧慮する(発言の結果不利になることを恐れて発言を控える 訳注)人が少なくない。彭縂(彭徳懐)が書いた一通の手紙が、人々の議論を引き起こし、問題を見ることがさらにはっきり(清楚)できるようになった。柯應施同志が今日何点かを考えた。このような意見の交換はとても良いことだ。(不名誉な)帽子を被せられることを恐れず、好き勝手に帽子を被せたりせず、激しい議論を恐れず、話があればすぐに話し、みんなの認識が一致すれば、何の負担(圧力)もなく、気持ちは朗らかで痛快である(心情舒暢)。何か思う所を直ぐに話せば、いかなる緊張もない。私が時に思うのは、私が関係していないことだ。私が話したり話さなかったりするのは、私が行っている外交工作のことで、話してからなお若干の後悔がある。話すべきではなかったと。緊張状態は確かに存在している。民主の習慣(風氣)を養うことは本当に重要だ。この点はすべて責任ある同志(負責同志)に重要であり、下面(下級の同志)にとってもさらに重要である。

中ソ対立と廬山会議
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