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Collier & Rohner, "Democracy, Development and Conflict", 2008

ポールコリアの民主主義と経済発展との関係についての論文
Paul Collier and Dominic Rohner, "Democracy, Development and Conflict" , Journal of the European Economic Association, Vol.6 No.2/3, Apr.-May 2008, 531-540

解題 Paul Collier(ポール・コリア 1949-)はオックスフォード大学に所属する経済発展論の教授。研究対象はアフリカ。2008年前後に彼は単独或いは共著で民主主義と経済発展との関係について多数の論文を発表している。その中で本論文の趣旨は、所得から判断される経済発展段階に応じて民主主義が国内の安定に与える影響は多義的で、所得の低い場合は、反乱を誘発することを指摘し、民主主義が必ずしも国内の安定をもたらさないことを指摘する。そして以上の結論を計量的手法で導いている。この議論は、経済発展段階とは無関係にともかく、政治形態は民主主義的なものでなければならない、といった議論への反論になっている。
 この論文で念頭に置かれているのは、アフリカである。また計量的手法で結論を導いていることにも注意が必要である。この論文の読み方は多義的である。所得水準が低い国における民主主義の困難を示している(これをコリアの仮説とよぶことにする)と読むこともできるし、所得水準が高い国における民主主義の不可避性を論じているとも読める。ただ大事な点は、著者がアフリカの研究者であり、念頭に置かれているのが、一人当たり所得が低い、アフリカにおける民主主義定着の困難、性急に民主主義政体を西欧社会が求めることへの批判だという点である。この論文を、現在の中国のようにすでに一人当たり国内生産が世界の中で高所得に分類される国家において民主主義が採用されないことの正当化に使うのは妥当性を欠くように私は感じる。ではまだ所得水準が低かった、改革開放期の中国について主張するのはどうか。この点は、主張としてはありうるのではないかと考える。
    中国について経済発展によって民主化が進むという仮説(リプセット仮説)が存在した。しかしそうならなかった。Paul Collierの論文は多義的であるが、その主張の力点は所得の低い国では民主主義は、政治的安定にむしろ反する側面があると主張する(=コリアの仮説)にある。他方で、コリアの仮説を、平均すれば十分所得水準が高い現代の中国に適用して、民主主義の回避を主張するのは、私には悪質な冗談に思える。

 論文要旨 現在、国際社会が好む国内平和を促す戦略は、民主主義の促進である。合理的な存在としてみると民主主義的説明ができること(democratic accountability)は反乱の誘因を低めるという理由である。我々は、民主主義はまた政府の抑圧の可能性を制約し、そのことは反乱を容易にする、と論じる。民主主義の純効果は、それゆえに曖昧amibiguousである。我々は所得が高い国ほど好ましい結果になると示唆する。経験上我々は、豊かな国において民主主義は国をより安全にする、ある所得水準以下で民主主義は政治的暴力への勢いを増すことを見出す。我々はこれらの結果が、政治的暴力のさまざまな形により支持されることを示す。
はじめに
 
多くの低所得の国々がしばしば政治的暴力に悩まされている。ソビエト連邦の没落以来、これらの国々で平和を促進するための主要な国際的戦略は民主主義であった。この戦略の合理性rationalityは、民主主義の本質的な好ましさより高いところ(over and above)にあるが、政府をより説明可能accountableにし、市民が暴力的反対となる原因をより少なく持つだろうということである。このような説明可能効果accountability effectは、真にもっともらしいが、民主主義は暴力のリスクにこのほかの効果をもつであろう。とくに説明可能性accountabilityは、治安safetyを維持するうえで有効な政府の戦略を削減するかもしれない。たとえば、説明可能性に制約されなかったスターリンとサダムフセインはともに平和を維持できた。双方の社会でより民主的な後継政府は、広範な不満に対して原因を明確に説明するものの、より多くの暴力に直面した。というのは法に従うことは、治安維持が許容することを制限したからである。民主主義はかくして抑圧にある意味、後退することになる。それは潜在的には、説明可能性[という好ましさをー訳者補語]完全に打ち消してしまう。民主主義は暴力にリスクを増やしている。
 経験上、民主主義のこれらの相反する効果の強さは多義的であり、この論文において我々はそれを経験的に調査する。我々は説明可能効果は、所得が上昇するとともにより強力であると示唆する。その純効果は多義的であるが、それは体系的に所得に関係している。推測できること(corollary)はその純効果がゼロである所得水準が存在し、その水準の上下で効果が異なっていることだ。
 なぜ我々は所得水準に伴い説明可能効果が変化すると予測できるのか。まず第一に所得の上昇は、より大きな政府支出の割合を伴う経済の構造変化を強めるからである。このことは民主主義の説明可能効果の重要性を高めることが期待できる。というのは説明可能性は、政府支出の効率性を増すと仮定できるからである。この民主主義の効率性の受け取り(ボーナス)は所得水準が高いほど、ますます重要になるであろうから、民主主義への反乱は、[高い所得水準では―訳者補語]損失が受取を超過するであろう。このことは高い所得水準では、民主主義が治安を促進することを含意している。
 所得の上昇による経済構造の二番目の変化は、一次産品の割合の減少である。一次産品[が各地に保管されていること―訳者補語]は反乱の一つの動機である強奪の機会を生み出すので、このことは重要である。もし所得が低い時に、強奪が反乱の主要など動機であれば、[所得が低い時に―訳者補語]民主主義的説明可能性を高めることは、大きな影響を持たないだろう。
 第三に、所得が上昇するとともに個人の好み(選好)が変わるからである。Inglehart(1997)は、物質的報酬という「道具的」目的が、イデオロギーや民族意識(identity)といった抽象的目的に比して、重要性を減じ始めることを発見した。強奪の機会は、説明可能性に比べてより小さく評価されるようになる。より高い所得水準では、民主主義の欠如はより大きな不満につながるだろう。
 第四にWeinstein(2005)が示したように、個人の選好を所与としても、反乱組織の全体的選好は経済機会の構造に対して内生的である(経済構造の変化とともに全体的選好は変化する―訳者言い換え)。強奪の機会が顕著なところでも、採用の逆選択(逆選択とは情報が非対称である市場で望んでいる選択とは反対の選択をすること)は組織の目的が手段的instrumentalになることを保証している。それゆえ所得の高い水準では、反乱組織の選好は、民主主義的説明可能性と言った抽象的目標により重みを置くだろう。
   これら4つのメカニズムそれぞれの含意は、所得が上昇するとともに、民主主義的説明可能効果democratic accountability effectは、政治的暴力への誘因が減少することにより、強まるということである。(以下略)


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