見出し画像

南京国民政府期の公債投資 1927-37

尹振濤《歷史演進,制度變遷與效率考量》商務印書館2011年,pp.237-244

p.237   (二) 北洋政府時期
    北洋政府が大量に公債発行を開始すると、中国人出資銀行(華資銀行)は次第に証券市場に足を踏み入れ(涉足)近代中国証券市場において主要投資者の一つになった。1918年までの、近代上海の主要な銀行のいくつかはみな大量の有価証券を保有しており、有価証券保有量の銀行の資産総額(放款總額)に占める比重は平均7.59%以上である。

p.239   (三)南京政府時期
 南京国民政府時期、銀行の証券投資業務は成長する趨勢で不断に増加しつつあり、全国重要銀行の保有有価証券総額は持続的に成長した。

p.240   銀行業務の角度から見て。有価証券投資業務の資産業務全体に占める比重は次第に増えている。南京国民政府時期は北洋政府時期と比べ、占める比率はさらに大きくなった。北洋政府時期の全国重要銀行の有価証券投資額の資産総額に占める比率は一般には10%以下であった、1934-36年、全国銀行保有有価証券総額の資産総額に対する平均比率は、17.9%,18.58%,14.45%であった。

p.241  銀行保有有価証券の主要はやはり公債が主である。当時の推計によれば銀行保有有価証券の中の80%は政府債券であり、総数は約6億元とされる。

pp.242-243 近代銀行の証券投資は主要には以下の数種の方式により実現されている。
 第一、公債の売出の引き受け(承銷公債)。(中略)国民政府発行の公債の割引(折扣)はとても大きく、割引いて銀行におろされて、直接募集あるいは間接募集された。割引は一般に5-6割に及び、銀行は募集人を務めることで、売り出しにおける割引と手数料で利益を獲得した。
 第二、直接投資。国民政府時期の公債の利率水準は常に高く、一般に年利率は6%以上であった。銀行の公債への直接投資は、高い利息を得ただけでなく、100%の額面価値を回収できたので、獲得した利益は厚く、利潤率は通常15%以上に達し、一般の実業投資収益率や銀行主管業務である貸出収益率をはるかに上回っていた。このほか証券取引には現物と先物があり、有価証券の価格差は大きく、公債投機の条件を提供した。価格差を利用して、しばしば厚い利益をえることができた。また政変や
p.244   債券整理の情報、債券市場に固有の季節波動などを利用して、また頻繁な売買操作を通じて暴利をえることができた(訳者注記:価格差を利用して以下の文章は、逐語訳が煩雑に思えたので大意を示すにとどめた。)。
    第三、有価証券を発行準備とすることで。(中略)国民政府は、銀行が紙幣を発行にあたり、50%-60%の現金準備のほか、残余の準備金は有価証券形式で充当できると規定した。銀行の保有有価証券が多いほど、紙幣の発行量を拡大できた。銀行は大量に紙幣を発行すると同時に、現金準備はますます欠乏(匱乏)し、政府公債の購入或いは有価証券の買い入れが銀行が貨幣発行を拡大する必要条件だった。利益を増やそうという動機にかられて、銀行は有価証券投資特に公債投資を不断に拡大した(訳者注記:この説明は50-60%の現金準備という曖昧な書き方がまず気になる。また公債が増えれば発券を増やせるという論旨は、現金準備比率が下がることが許されているのでないと、成立しないように思える。そもそも適正な準備があることをどのように当時、チェックされていたといえるかなどの疑問もわきあがる)。
 第四、有価証券担保貸付。銭庄と比べて、銀行は担保にさらに注意した。担保には、不動産、貴金属、手形(票據), 荷物預かり証(棧單)などなど。国民政府の時期、有価証券の保管が比較容易であり、一般に公開市場で随意に現金化できた(變現),そこで銀行間の同業間貸借の主要担保は有価証券とされ、特に公債担保が主となった。銀行業の資金が緩和しているときには、担保貸付は容易であり、また証券市場もまた活発であった。逆に言えば証券市場の値も固く、証券担保の保証も強く、銀行も安穏であった。しかし証券市場が暴落し証券価格が急落すれば、担保の動揺に銀行もまた影響を受けた。証券市場と銀行の関係は十分緊密であり唇と歯とが接する関係といえた。

新中国建国以前中国金融史

main page: https://note.mu/hiroshifukumitsu  マガジン数は20。「マガジン」に入り「もっと見る」をクリック。mail : fukumitu アットマークseijo.ac.jp