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艾偉「小説兩題」『上海文学』2013年第7期

 艾偉《小説兩題》載《中國當代文學經典必讀  2013短篇小説卷》百花洲文藝出版社2014,pp.26-48(原載『上海文学』2013年第7期)の要約 著者の艾伟アイ・ウェイは1966年生まれ。浙江省の人。重慶で都市建築を学んだ(写真は水道橋より御茶ノ水方面望む。左手は都立工芸高校校舎。水景は神田川。)。

 この小説は子供の時の思い出から始まる。李小強(リー・シアオチアン)といういたずら坊主が、喻軍(ユー・チュン)という友達との物の取り合いの果てに道端の生石灰(しょうせっかい 消石灰の事故(三重県) 消石灰の取扱について(農水省)) を喻軍の目に入れてしまい、喻軍を失明させた。怒った李小強のお父さんが李小強を庭の木に逆さ刷りに吊るしたのを、見に行こうと、友達の郭昕(グオ・シン)が誘いに来るところが最初だ。この小説の前半は、この「事故」をきっかけに李小強という子供が、いかに変わってしまったかが書かれている。時代は「文化大革命」の終わりだろうか、子供たちは人をとらえては学校に連れてゆき批判闘争をしている。李小強はそれを主導するような子供だ。
 喻軍も李小強もお父さんは警察あるいは軍であろうか。喻軍のお父さんが李小強のお父さんの上司という関係。だから学校の先生は、李小強が問題をおこしても、李小強には手をつけない。
 ここで興味深い話が入っている。毎年冬になると、付近の農民が町に入ってきて食事を要求するというところだ。文革の終わりであれば1970年代半ばに入ってなおそうなんだと思う(町と周囲の農村とにそうした緊張関係があったんだと感じる 福光)。そして、かつて教会だった町の保健所(衛生院)のおばさん(嬷嬷)と協力して、李小強は、町に入ってきた農民や、鼓楼に身を寄せる目が見えない人や、歩けない人たちに食べ物を配って歩くことをする。その食べ物はではどこからきたものか?喻軍と李小強のお父さんの行き先は、新疆でそこからきたことを推測はできる(しかしはっきりとは説明されていない。)。校長は、李小強のこの事績を教育局の報告して、李小強を賞賛しようとするが、李小強は頑として応じない。
 その後、李小強は町のコソ泥(=たまたま医薬倉庫の管理人)に、お母さんの金時計を渡していた事件が発覚するが(その結果、お母さんによってまた宙吊りにされるが)、それはそのコソ泥が自分は気功で目の見えない人を直したことがあると話したので、気功を学ぼうとしたのが理由だったことがほのめかされている。
(李小強は多分、自責の念からこれらの突飛な行動をしたのだろう。福光)

 小説の後段は、目が見えなくなったはずの喻軍(ユー・チュン)と私(筆者)との話。私は喻軍のママに喻軍に会って欲しいと頼まれる。事故以来、喻軍は学校にもこず部屋に閉じこもっていると。
 喻軍に会うと、喻軍は不思議なことをいう。すべて見えるのだと。そして七色のガラス玉の色を、並んでいる順番に当てて見せた。しかし喻軍のママはいう。医者の話では全く見えないのだと。
 それからも喻軍のママの依頼で私は喻軍に会った。夜までいることもあった。ある日の夜、二人は町のはずれの水道タンクの上に上がる。一面に星が見える。喻軍はそこで正確に星座の位置を当てて見せた。
 君は見えなくなったじゃないの?と聞くと喻軍は答える。
 この世界では一つの門が閉じると別の門が開くんだ。僕は耳を使って色を聞き分けているんだ。
 君たちは目が見えるから、僕より見えないんだ。
 またしばらく時間が経って喻軍のママに出会った。喻軍が絵を描いている。その色は誰も見たことがない色だと。そして知っている人に会うことを恐れているので、喻軍と会うことはできないと。郭昕は喻軍が完全に狂ってしまったと伝えてきた。
 そして時間が経ち、1988年に、大学を卒業して町に戻った私は喻軍に出会った。彼は黒い眼鏡をかけ、かなり遠くから私に挨拶した。
 彼の実家は今では彼のアトリエになっていた。彼は言った。絵を描くことで気持ちをおちつけられるようになった。聞き取ったことをすべて描くことができた。アトリエにゆくと、そこには星空というテーマの絵が掲げられていた。私は、絵を見て宇宙を聞き取ったように思い感動した。そのとき、何年も前、彼と草地の上で横になって、彼が星空(宇宙)の様子を描写したとき、思わず私が涙をこぼしたことがあったことを思い出した。「喻軍、君はすごいね。これは壮観だね。」。喻軍は温和に笑って答えた。「すべては神様が決めたこと。最も偉大な芸術家は時間というものだ。(一切都是天命。時間是最偉大的藝術家。)」と。

コメント:この話の一つのポイントは消石灰(水酸化カルシウム)による失明事故。日本でも話題になったことがあるが、おそらく筆者は消石灰の事故に関して何か知っていたのではないか。
 消石灰は、強アルカリ性で、酸性化した土地の酸性度を弱めたり、カルシウムを補ったりという意味で、土壌改良剤として農業や園芸に広く使われているが、目に入った場合、失明など重大な事故につながる恐れがある。消石灰は学校ではかつてライン引きに使われていたが、危険性が知られるようになって、学校では炭酸カルシウムへの置き換えが進んでいる。
 そうではあるが現在も広く使われているものなので、1970年代、中国で道端に積み上げられていたという話はありそうである。
 また子供たちの間の過失重大事故は時に起きている。一つ言えることは、相手を回復できないまでに傷つけたり、時に死なせるといった重大事故については起きなかったことにはできないということだ。意図的でなくても過失でも、事故の記憶はなくならない、たとえ子供でも、加害者の責任は重い。逆に回りの大人の責任としては、そうした事故が生まれる危険を可能な限り低めることが必要だろう。
 この小説の前段では、いたずらっ子の李小強が、事故後、人が変わったとするが、それが当然で逆にそうでないと、困る。それほど大きなものを彼はこの事故で背負ったのだ。
 この小説の中にはいくつも興味深い小話が入っているが、前半で注目した話の一つが冬の寒い時期になると、農民が食べるものを求めて都市にはいってきて物乞いするというくだりだ。これはそれほど、農村が疲弊して飢えていたことを示す。
 天突然下起了雪。
   每年这个时候,就附近的农民进城要饭。
 では都市ではたらふく食べていたのか?多分、人によって違うが多くの人は決して飽食ではなかった。主人公はお腹が減って腹が痙攣していた(我们的肚子陈陈痉挛)という。
 後半は目が見えなくなった喻軍との交流の話だが、光を失った喻軍の言葉が美しい。 
 この世界では一つの門が閉じると別の門が開くんだ。这世界一扇门关闭了,另一扇门就会打开。
   君たちは目が見えるから、僕より見えないんだ。虽然你们的眼睛亮着,可其实比我还瞎。    

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