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雷默「祖先與小丑」『花城』2017年第3期

雷默(レイ・モウ 1979年生)の2017年の短編小説である。筆者のお父さんがなくなるときの顛末が書かれているが、創作なのか実体験なのかは分からない。もし実体験だとすると、現在(2021年)40歳少し上だとして、小説発表が35歳とすると、30歳頃の若い時の経験。『花城』2017年第3期に掲載後、『短編小説 2017中国年度短編小説』灕江出版社2018年222-235に収められた。道士が出てくるところ、山上で埋葬しているところなどが興味深い。あらすじは以下の通り。

食道癌で末期のお父さんの介護をしている場面から始まるが、筆者はお母さんに言われてまず「棺桶」の手配をしている。確かに葬儀会社がなければ、家族で棺桶の手配が前もって必要だ。で家族や親族が集まってるなか、お父さんがなくなる。興味深いのは亡くなったときに道士(道教の僧侶)を呼びにいっていることだ。3人連れの道士は、到着すると、まず色あざやかな着物(道袍)を身にまとい、黄色い紙にいろいろな文字を書き出した。その一枚に人名(瑞木 ルイムー 「縁起の良い木」という意味)を書き出したが、それがどうも亡くなったお父さんが転生して生まれるときの名前のようだ、ということになる。奥さんとそこで相談すると、奥さんは別の名前(嘉木 チアムー 「美しい木」という意味)ではどうかなという。それで道士の責任者に相談して、あっさり書き直してもらえたので、道士に好感をもった。葬礼は3日続き、三日目の朝早くお父さんを山上に送っている。さて奥さんが妊娠したのは翌年の春。奥さんと、では子供の名前は嘉木にしようと暗黙に合意していると、奥さんのお母さんが子供のなまえを西洋風は良くないと言い出したので、幼名を小丑(シアオチョウ 「道化」「小人」という意味)とした。そして小丑が5つになったとき、初めて小丑を連れてお父さんの墓参りにきた。墓穴のそばで遊んでいた小丑がふと「おじいちゃんはここで一人で寂しくないかな」という。「だから毎年春と冬ここにきているのさ」といいながら、ふと熱いものが溢れた。小丑を強く抱き締めながら、私は失ったものを取りもどしたと感じた。

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