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ストレスに気づかず対処法を誤ると大変なことになる

2011年、今から12年前に企業勤務を辞めて大学講師になった。あの時わたしは冷静ではなかった。実は冷静になれないような状態はずっと続いていた。はるか前の2000年までさかのぼる。正確には1999年と記憶している。どうも身体がだるい。ぐっすり眠れない。横になっているだけでも疲れがとれない。そんな状態だった。

仕事は経営コンサルティングをしていた。赤坂に拠点を持つカート・サーモン・アソシエイツで働いていた。そこはその後にアクセンチュアに買収されてアクセンチュア・テクノロジーズという会社の一部になった。アクセンチュアというのはゲリラ部隊のようなコンサルティング会社で有名である。軍隊だとみなしてよい。

長期出張、土・日勤務、平日は朝7時から夜11時というときもあった。年収はいいが続くわけはない。その会社を辞めてインドのアイ・ツー・テクノロジーズというサプライチェーンの会社に移っても同じだった。そこはコンサルティング会社を辞めてくるひとたちがほとんどだった。2000年のITバブルがはじけ破綻をした。リストラになり三菱商事グループの会社に移った。体調はもどらなかった。

1年すると親会社の三菱商事に出向になった。それから1年間はそれはそれはサラリーマン生活としては最高であった。上司が素晴らしかった。水を得た魚のようにしていた。ところが1年後に別の部署に異動になると上司のようなひとと合わなくなった。狭い評価しかせずモチベーションを保つことができなかった。そのため社内のカウンセリングを受けるようになった。ほとんど効き目がなかった。

しかたがなく同じような仕事をする日本ユニシスという会社に転職をした。46歳でよく採用してくれるものだった。そこでの仕事はそれほど忙しくはなかったが体調は回復しなかった。いろいろ聞いてみると社内では身体を壊している人が大勢いた。豊洲にある本社の10階には医務室があって常に3名の産業医が待機していた。わたしはそこをよく利用した。また、カウンセリングもしてもらった。ユニシスのカウンセラーとはよく話が合った。

それでもわたしは会社を辞めざるを得なかった。振り返ると冷静ではなかったのが原因だった。

8月20日にオンラインで読書会があった。ダイヤモンド社が発行するハーバード・ビジレス・レビュー8月号が課題図書だった。読書会に集まったひとたちは18名。そこが3組に分けられた。わたしの部屋には7名いた。すべて男性だった。シニアが4名。若いビジネスマンが3名だった。そこで2時間を使って気になった記事をあげた。読んだ後の感想と論点を順番に出し合う。そして他の人があげた論点に対して反応をするというものだった。

わたしは自分のエピソードからストレスに気づかなかったこと。そしてその対処法を間違えたことによる失敗談をした。部屋にはいってきている人たちに向けてだった。特に若いビジネスマン3名に同じ失敗をしてほしくない。話題に出したのが「マイクロストレス その正体と対処法」という記事をあげた。

これは特集の最初の記事としてとりあげられている。著者はバブソン大学のロブ・クロス准教授と元HBR編集者のカレン・ディロン氏。記事の流れはマイクロストレスを認識した経緯、発生源、身体的反応、そして対処法の順番で書かれている。

著者はグローバル企業30社、300人に対して調査を行った。その調査の目的は当初は勝ち組は他とどう違うかというものを調べるはずのものだったという。ところが実際は対象者は仕事と家庭の両方に苦戦をしており、勝ち組どころではなく行き詰っていた。いわゆるバーンアウトで燃え尽き症候群だった。その原因として普段は気づかないような些細な出来事があった。そのような目につきにくい小さなプレッシャーをマイクロストレスと定義した。

専門家の証言を引用している。ひとりはニューヨーク大学医学部、行動神経科学者、ジョエル・サリナ。マイクロストレスは察知されずに深刻な悪影響を及ぼすという。もうひとりはノースイースタン大学心理学部、神経科学者、リサ・バレット。脳はマイクロストレスの原因を認識できない。積み上がると大変な影響を及ぼすという。

これらの発生源は3つに分類できるという。まずコラボできないとき。次に余裕を奪われているとき。そして自分の価値観にあわないと感じるとき。なるほどこれでは悩みが雪だるま式に積みあがるはずだ。

そうすると身体的反応として血圧が上がる。心拍数が異常になるという。そして睡眠や食欲にも影響することだろう。

記事の最後では対処法をあげている。仕事以外の人との関係構築だという。組織の外で幅広い人間関係持つこと。なんらかの関心事を持ち合う。そこで(利害のない)本音のつながりができる。心からつながれる多様なつながりを大切にする。たわいのない会話から自然体の交流ができるという。

スポーツ、ボランティア活動、市民活動、宗教のコミュニティ、読書クラブ、ディナークラブがあげられていた。その中で具体的にはサイクリングがあげられていた。

わたしはこの記事を読み読書会で論点提示をした。ひとつはマイクロストレスに気づくことは大変難しいのではないか。そして測定法としてあげられている血圧測定、心拍数測定、定期健診による血液検査といった項目。これらは理解はできる。しかしながらこういった数値を正しく測定しどの程度危険な状態になっているかを測定し把握することがとても難しいこと。読者の皆さんは測定しているのだろうか。気づいたときにはもう遅いということが多い。

もうひとつは組織の外で持ち合う関心事。これもいろいろなものがあるけど、なかなかはじめたり選んだすることが簡単ではないこと。自分にあったところを見つけるのは簡単ではないのではないか。これらの2点をあげた。

わたしのエピソードを交えて書いておこう。40歳で多忙を極めていたときは数値が悪いとわかっていても仕事をせざるをえなかった。そしてそのとき身体的反応があったにもかかわらず無理をした。すると身体はもとにもどることなく病院やクリニックに通う羽目になった。診察券は増え続け22枚までになった。気づいたときには眠剤を常用するようになった。

そして早くからはじめていたボランティア活動。42歳には浅草で外国人相手に観光ガイドをした。18年間。月1回日曜日の午後に決まって行った。時間は1.5時間。200回実施した。時間は200時間になろう。また千葉県の東葛地区にある市民によるテニスクラブに入会した。2011年から4年間だった。

そのテニスクラブというのは600人の会員がいて平均年齢は60歳。とんでもなく高齢者が多いクラブだった。ところが5つのコートを確保しているにもかかわらず会員が多すぎて土日は混雑していた。そこで平日の朝7時から2時間ほど集まってテニスをすることがあった。真冬になっても熱心な会員はいた。寒くても7時に集まり2時間して帰っていた。

そのうちたわいのない会話をするところからズケズケと物をいうひとたちが現れた。そして冗談にもならない悪評をいいだすひともいた。さらに競争心が強すぎる。ストイックにやりすぎる。またテニスのことしか頭にない人たちがかたまってきた。そうなるとわたしのような趣味でやっているものにとっては負担になってきた。よかったこともあり副産物もあった。しかし減量にはならず2015年に退会した。

もうひとつ。テニスをやめて柏市の手賀沼にあるランニングクラブに入会した。リレー大会が柏の葉公園であった。そこに見学に行ったとき一番応援熱心なクラブに入会しようと考えていた。そこで見つけたウィング・アスリートクラブに入った。年間4千円。日曜日の朝8時集合。レベルに分けて手賀沼を走る。きれいな手賀沼が開けており魅力的だった。

ところがこのクラブに集まってくる人たちというのは半端なひとたちではなかった。お正月の箱根マラソンの後に行われる社会人の箱根マラソンに出場するようなひとたちだった。日曜日の朝に準備運動をする。わたしにとってはこれまでにやったことのない走るための本格的なウォームアップだった。しかもこのウォームアップというのは準備体操だけでなくて手賀沼を半周8キロくらいを走る。ここまでが会員にとってのウォームアップだった。

柏に隣接してある公園からはるかはなれた手賀沼の折り返し地点がある。そこまでいって帰ってくると18キロ。これはこのクラブのひとたちが走る距離としてはあたりまえの距離だった。わたしにとってはレベルが高すぎたのである。しかも彼らの話す言葉がよくわからない。

LSDをしましょうと代表が声掛けをした。Long Slow Distance(ロング・スロー・ディスタンス)の略ということがわからなかった。これはゆっくりと長く走ることをいう。わたしはこれを最初に聞いたときまさか薬物のLSDのことかと勘違いしていた。ここの人たちは走りすぎて薬物まで手を出しているのか。そんなはずはない。

そうしているうちにこんなひとまでいることがわかった。走りすぎてひざの骨が擦り切れてしまった。そのため人工関節をいれて走っているとのことだった。それを聞いたとき怖くなりここはわたしのいるところではないと考え始めた。

どこかに気軽につながれるところが必要であろう。しかしふさわしいところを見つけるには時間がかかる。40歳になったら探さなければ遅いだろう。しかもよいと思ったところがとんでもないところだったということは往々にしてある。テニスクラブもランニングも失敗だった。忍耐も必要だ。1年くらいはじっくりと集まってくる人を観察しよう。

わたしはマイクロストレスに気づくことができなかった。これは大変なことになると気づいたときには手遅れだった。しかもその対処法が逆にストレスになるようなストイックなところを選んでしまった反省がある。ただこうやってエピソードを書くことでなにかしら読者のひとに発信することができる。

ひとついえることはこういったマイクロストレスの存在を意識すること。これを侮ってはいけない。軽く見ていると大変なことになる。そうであれば早めに対応すること。それは無理をしないことだろう。会社で許されるのであればのんびりだらっとしていてもよい。家でもだらっとしていること。それで給料がもらえるのであればいいではないか。ありがたいことだ。

もうひとついろいろな組織の外の活動がある。試行錯誤でやってみること。必ずどこかに合ったところはある。わたしは読者に希望を持ってもらうために必ずあると信じて書いている。

というのはわたしは持っている診察券は22枚だったが、いま使っている診察券はたったの1枚になった。しかもその1枚は年4回しか使っていない。診察ではなく検診のようなものだけになった。

ストレスをためてしまう悪循環からいつかは好循環へ。どこかにきっかけがあり、いつかいい循環になる。抑制と均衡。大きなものを失うことを考えれば意識した方がいいだろう。

大学生の読者の皆さんにとっても参考になりますように。