見出し画像

夢判断で神経症は治るのか

30年前に職場で働く同僚がうつ病と診断された。診断後は自宅で1年間静養。埼玉にある彼の自宅に見舞いに行った。普段と変わらない様子であったが精神的ダメージは相当なものだった。比較的物静かだった彼は思わず口を開いた。体温調整がうまくいかなくなった。そのため冷房車に乗れない。そこまでになってしまうのか。1年後に復職したもののしばらくすると退職した。

わたしは彼が休職する前は同じように青山にある日本コカ・コーラで働いていた。薄暗いオフィスに4年間勤務した。あまりいいところではなかった。退職をして経営コンサルティングをすることにした。赤坂にあるカート・サーモン・アソシエイツ。朝から晩まで働いてもなぜかやる気がした。それは年収がよかったからだ。忙しく、厳しい職場。コンサルティングをするひとたちはゲリラ戦を勝ち抜くゲリラ部隊のような人たちだった。やがてわたしにも彼に似た神経症、いわゆる精神疾患が襲ってきた。

厚生労働省によると2022年時点で精神疾患で苦しむ人は全国で420万人いるという。そのうち30万人は入院患者。残りの390万人は外来患者とある。こんなに多いのか。

神経症とは何だろう。精神疾患のことをいう。ヒステリー症状。ノイローゼ。パラノイア。不安症。強迫観念で苦しむ。その結果、抑うつ。うつ病となる。精神の病であるから極端なことをいえば気が変になっている人のことをいう。狂人、譫妄(せんもう)、そして妄想が絶えない人といえる。つまり現実を正確に把握できない。幻覚症状もあるという。

なんらかのジレンマ(葛藤)によるものなのだろうか。

5月6日に読書会があった。そこではフロイトの夢判断について2時間話し合うというものだった。課題図書はNHKテキスト。100分de名著というものを使う。このテキストでは識者がナビゲーターとなり4回にわたって名著を解説する。テレビ放映もされている。それに対して参加者から感想や気づきを得るというものだった。

朝の10時からはじまった。わたしを含めて5人が部屋に入った。ここではフロイトの夢判断について参加者がどのような反応をしたのか。いくつか紹介することにしよう。はたして夢判断で神経症は治るのだろうか。

結論からいうと治るとはかぎらない。

夢判断は顕在していないところの原因を探る手法。顕在していないのは潜在内容のことをいう。夢として出てくるのが顕在であり夢内容である。それすらも正確に把握することは難しい。そして潜在意識の中にあるものが夢思想である。その思想を解明しようとするのが夢判断。これは相当に難しい。

分析手法を会得するのには専門的な訓練を必要とする。日本人にはこのような分析がなじまない場合がある。分析はあまり好まない。なにかと詮索されることを受け付けない。

物事を隠したがる日本人にとってはすべてを正確に医者に対して話すことはありえない。自分の方からおぞましいものをあえて開示しないであろう。隠し通す。その状況から病原を探り出すのは並大抵ではない。なにかあったとしてもそこから解釈をしていくのであって仮説にすぎない。

そうなると夢判断ではなくて夢占いではないのか。そのような反論も出た。

素人がわかったつもりで夢に解釈を加えない方がいいだろう。フロイトの夢判断はほとんどが仮説のかたまりであって真実ではないという反論もあった。患者でさえはっきりと覚えていない夢の情報である。そこを他人である医者が解釈を上塗りしていけば間違った探索におちいる可能性があるということだ。

しかしこの無意識という知識(領域)があることを発見した意義は大きい。つまりひとはコントロールできない自分がいるということなのだ。フロイトまでは説明がつかなかった。つまり、意識できない知識によって人は動かされる。

わかっているのにやらかしてしまったということがある。例えば人を傷つける。これはよくない。しかし憎悪によってそのときの気分でしてしまった。感情を抑えることができない。そういうことはありうる。

いまでもひとは95%の判断を感情、感性、感覚でしているという。理性ではない。なので自分を傷つける。他人に暴力を振るう。どうにもならないときにはアルコール依存症や薬物依存になる。

これは無意識によるものだ。抑圧された願望があるためにそのような行動をしてしまう。こういった説明をした意義は大きい。意識できないのであるから無意識というのである。つまり認識できない。わからないということだ。

どうだろう。読者の皆さんの中で後からわかっているのにやらかしてしまったということはないだろうか。

ならば日本人に合った方法があるのではないか。そんな意見も出た。参加者の中にそれを知っている人がいて森田療法をいうものを紹介してくれた。この方法はフロイトのように医者が体系的な手法で分析をするのではない。

認識をする。認知療法といわれるものらしい。それでなにかしらの行動を起こすことによって治療を進める。認識と行動である。分析をしないので西洋手法ではない。

どちらかというと自然に任せる。ひとがもともと持ち合わせている生体恒常性(ホメオスタシス)の力を使うのではないか。自然界で生きてきた人間はだれしも生物として一日の疲れやストレスを平衡にもどす力を備えている。日常のストレスで歪んでしまったものが自然に治るというものに近いのではないか。わたしはそう考えた。

わたしは読書会を通して夢判断が神経症の万能薬にはならないのかという質問を持っていた。万能とまではならないまでもなんらかの効き目があればいいであろう。しかしそう簡単ではないということがわかった。

それにしてもわたしの友人を含め、全国に420万人が精神疾患であるというのは驚く。これは少ない症状とはいえない。むしろ多い。日頃から気を付けなければだれでも精神病になってしまうということだろう。

大学生の読者の皆さんはどうだろうか。日頃から気分の変調や体調の変化に気を付けているだろうか。なってからでは遅い。そうなるとなかなか治すことができないようだ。