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飛行体撃墜の争点を整理する

10年ほど前に企業勤務を辞めて大学で働くようになった。それで時間が余りすぎて何かをするしかなかった。そうするとまず健康づくり。そこで運動をしようと決めた。もくもくと走ることの効用がまだわかなかったこともああった。よくやっていたテニスを始めた。地元のテニスクラブを探すと朝テニスというのをしている。

朝7時からテニスをするというのはやや変なことはわかっている。日中に汗を流し軽くゲームをするくらいがよい。ただどこを探しても料金が高くて適当なのがなかった。それで地元の公営コートまで片道5キロを自転車でいく。汗をかいた後に9時になって家に戻る。途中とてもさわやかな状態にもどれた。そうして上を見上げるのがとてもよい。

そこには季節を問わず青い空があった。雲一つないときもありぼんやり見上げていた。ときどき飛行機らしい物体が見えた。そうしているのが好きだった。

あるオンラインイベントで中国の飛行体撃墜事件について話をする機会があった。ほとんどの読者はニュースで事件について知っている。識者による解説がテレビやネットで流れている。この事件については単なる憶測でなく争点を整理する必要があろう。どちらが被害を受けたのか。どちらが悪いのか。そしてこれからどうしたらいいのか。そういったことだけでなくなぜこの事件がそれほど簡単ではないということをとらえる。

飛行体を撃墜した事実についてどう争点を整理するかだろう。私の意見としては少なくとも3つの争点があると考えている。ひとつは撃墜された物体は一体何だったのか。次に物体の所有者はアメリカ空軍の警告にどう反応したのか。そしてアメリカと中国は何に基づいてどういう話し合いをしなければならないか。そういった争点があろう。

争点というからには二項対立の形式をとったほうがわかりやすい。ここではそういった表現を意識しながら書いてみます。

まず撃墜された飛行体について。飛行体は熱気球であろう。気球は有人・無人どちらであっても飛行機をみなす。乗客を乗せようが乗せまいが飛行機と同じ扱いをするはずだ。アメリカ側は偵察用の飛行体であると主張。一方の中国側は気象観測用と主張している。さてどちらが正しいのか。

アメリカの領土で撃墜されたものである。今後何であったのかは明らかになるだろう。問題は中国が台湾情勢を懸念して飛ばしていた飛行体が太平洋を渡りアメリカの上空にたどりついたのではないかと主張している場合だ。そうなるともともと中国の上空にあったものが流されてアメリカにたどりついた。それを撃墜していいのかどうかという争点があろう。

つぎに通常、飛行体という認識があれば事前にアメリカ側に通告をする。そしてその通告には飛行計画というものが含まれる。事前に航空局に計画を提出していなければ運航してはいけないことになっている。どうもそれを怠っておりなされていなかったのではないか。

撃墜前にアメリカ空軍は上層部の指示に従って飛行体に向けて警告したはずだろう。領空侵犯をしているためにただちに退去せよ。警告の記録がある。それは無線で行われる。その無線を無視したか可能性がある。あるいは傍受できていなかった。飛行体の所有者が中国の政府なのか民間なのかが曖昧なところも問題だ。

民間であった場合は中国内では政府から委託をうけてビジネスとして飛ばしている。中国政府のいうことは聞くであろう。ところが所有者が国外に飛来したため所有権を放棄したのではないか。中国政府もアメリカまで飛んでしまうとは考えていなかった。

ただし中国の民間企業というのは国営であるところが事件をさらに複雑にする。ビジネスというお金儲けを目的とした企業が国防にまでは関われないはず。中国政府の依頼で飛ばしたと主張する。それを知っていて飛行体を意図的に飛ばしたとなるとさらにややこしい。

最後に今後はアメリカ政府と中国政府のそれぞれの代表が会議をして取り決めをする。これが難航することは明らかである。上空の飛行体のとりきめにはオープンスカイ条約というものがある。アメリカとロシアはその条約からは脱退しているのである。

それは両国がICBMという大陸弾道ミサイルを所有しておりミサイルは成層圏を飛行して敵を攻撃する。そのため飛行体として乗客を乗せることを目的としたものでなく軍事的な目的なため国を守るためにある。条約に加盟していない。条約のおいてもその圏内・圏外というのが曖昧である。大陸弾道弾というのは領空侵犯をして敵の基地をたたく。

条約がないところでどう話し合いをするのか。なにを根拠に話をしたらいいか。両国が片方のいい分だけを主張することにとどまらないように願っている。報道では必ずどちらかが悪い。こちらは正しいといったことが止まないであろう。これら難問の隙をついて必ずだれかがヒーローになろうとする。だからいっただろう。こっち側が正しかったではないか。そうなってしまう。

この事件があってから不思議と自宅の上空を何度か見上げた。いつもと変わらない空が広がっていた。熱気球などは飛んでいないではないか。恐怖どころが気持ちのいい朝を迎えることができている。恐怖の囚人になることなく過ごせばいいであろう。

なにかの戦争ドラマの余興のようなニュースに振り回されることはしたくない。できるだけ青い空の下で朝を迎えたいものだ。別にこの事件でヒーローがいようがいまいがそんなことはどうでもいいようなことにも映る。しばらくすればあんな事件があったというだけにもなってしまうだろう。