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どこかがおかしいバルーン宇宙葬

2008年からはじまったリーマンショックで多くの人の仕事が奪われた。わたしもその波をかぶった一人であって学生時代の友達に相談した。これからどうなるんだろう。3年後に気を取り直して大学で講義をすることになった。もうこれでしばらくやっていけるだろう。そう感じた矢先の2011年3月に東日本大震災が起きた。たいへんなことになった。ただこうやってまだ両足で立っているではないか。

そうして毎朝散歩をするようになり気分転換をした。散歩から帰宅するとそこにはきれいな空が開けていた。こんなにきれいだったのかな。これだけでもいいか。しばらく見上げているとなにやらバルーンが見える。どこまでも高く飛んでいく。

あるオンラインイベントでバルーン宇宙葬について話をした。写真を見せてこれが葬式の様子ですといった。どのような反応をするのかを探ってみた。イベントには6人が集まってきて率直なことをいうひとたちばかりだった。6人中5人は60代以上であってひとりだけが40歳代くらいの女性だった。男女半々だった。さてどのような反応をするのだろう。わたしは静かに観察していた。

まずひとりの女性が矢継ぎ早にいいだした。こんなバルーンを空に飛ばして葬式だなんてばかげている。第一にバルーンは環境によくないではないのか。あれだけの数を飛ばして後処理はどうするのか。いろいろと環境配慮といわれている今日であのような儀式をとりおこなうのはよろしくない。たとえお金が多くかかろうとも通常の埋葬をしてお墓を買うべきであろう。

次に40代の女性が加えた。この写真を見る限りではなにかのお祝いではないか。これが葬式であるとは信じられない。わたしの国ではこういった光景を葬式としてとりおこなう習慣はない。バルーンを飛ばすというのはおめでたいとき。祝福するときにとりおこなうものだ。葬式ではない。これが日本で許されているのか。確かにそういった儀式への理解は国によってさまざまだろう。この宇宙葬は合法なのである。

空に舞い上がる途中で爆発したらどうする。それを考えると恐ろしい。なぜなら爆発の勢いで遺灰がとびちりそれがなにか宇宙空間で合体をして幽霊(ゴースト)となったらどうなるのか。そんなことが起きるわけはないが夜に寝ることができない。

高齢の男性が会話にはいった。あのようなバルーンが落ちてきたらどうするのか。わたしの経験ではあるときバルーンが落ちてきて乗っていた電車が停止した。その安全確認のためしばらく立ち往生をした。それだけではない。そのバルーンが割れて中に入っている遺灰が飛び散ったのならどうする。人の遺灰が他人の頭にかかったのなら不吉で仕事などいけるわけがない。

続けてシニアの女性がいった。わたしはもともとバルーンというものに対しては反対。あんなものを打ち上げることに違和感がある。ああいった素材のものをいたずらに空に飛ばすことはエコという観点から反対である。けしからん。ただでさえバルーン反対派だというのに葬式に使うというのはさらにばかげている。

やはり反対派が多いのだろうか。

ところがひとりだけ賛成をする人がいた。その人の意見はこうだった。それは故人がとても前向きに物事を考えていた証であろう。空に向かって鳥のように飛んでいく。それでいいのではないか。本人が生前にそれを家族に話している。そういう願いがあったのだ。その願いを家族は持ってうけとめた。バルーン宇宙葬として送り出した。悪いことではない。賛成だ。

空を見上げるごとに故人のことを思い出す。あのひとは鳥のように空を飛びたかった。そしてその願いはかなった。いいことではないか。

遺灰のはいった大きなサイズのバルーンと小さな風船を50くらい飛ばしたところで環境破壊ではない。いずれどこかで落ちてどこかに吸い込まれていくであろうがそれだけで環境が破壊されることもなかろう。

年間30程度というではないか。月に3回。10日に1回。そういった葬儀が行われるだけである。しかもそれはビジネスとして合法である。しかも10年くらいは継続して行われてきている。

これが参加してきた人の意見だった。以下の視点は残念ながらなかった。東京というところは墓地でいっぱいになってきた。入りたいところがあっても入れない。応募してもはずれるようになってきた。

通常のお葬式は平均100万円もしており永大供養にすると月2万円かかる。家族が毎年集まって毎回儀式を行う負担が耐えきれない。なによりそういった死後に向けての終活を家族と話すように変化してきた。死を控えたひとが率直に家族と話す。

この短時間の集まりでは4対1で反対派の意見が多かった。わたしも反対である。というのはあの宇宙葬を見た外国の人たちはどう解釈するであろうか。そこが気になる。カトリックやプロテスタントをはじめとするキリスト教やさまざまな仏教を通じて死後の世界を信じているひとたち。家族の在り方を伝えていくひとたち。こういったひとたちにしてみれば空間や金銭そして遺族の負担はあるもののどこか故人に対しての思いに陰りがないか。

わたしのことは早く忘れてほしい。空に行くのだから。そういっているのか。

散歩から帰るときときどき空を見上げることがある。そこで風船やバルーンをみてそれに遺灰がはいっているとなると不気味なことを感じるのはわたしだけだろうか。一体このような葬儀を希望した人というのは生前にどのような仕事をしていたのだろう。

それより家族としてのつながりはあったのか。空にいきたい。それを言うのはあるだろう。しかしそれを家族がそのとおりにした。どこかおかしくはないのか。

大学生の読者の方々に向けて書いている。社会人のひとにも少しは参考になろう。これを授業にとりあげるとしたら読者の方は賛成か反対か。わたしはこういった出題をするのが好きだった。2011年から10年間授業をしたときにもこういった質問を考えていた。

そして賛成でも反対でも理由に説得性があればよしとした。