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学習系イベントでズルをする方法

コロナにより急速にリモートワークが広がった。家で仕事をする。そして家で家族と過ごす。これが普段のスタイルになった。するとちょっと仕事以外の人とどのように過ごすかが気になる。気軽なリモート・パーティはあまり有効な時間の使い方ではなさそうだ。もうちょっとためになるものはないかと贅沢になる。そこでネットで学習系のイベントを探す。すると学習できそうな内容を掲げて案内を出している。

ただ学習といえそうな案内をしているとはいえ、ほとんどが広告であり、登壇者の著作物を宣伝するようなところでしかない。そうするともうちょっと踏み込んで討議型のイベントを探してみる。課題図書が与えられていてそれに対してワイワイとイベントにきたひとと討議をする。そんなイベントが見つかる。しかしこういった学習型オンラインイベントはちょっと注意しなければならない。ほとんどためにならない。

その理由は参加してくる人がそれほどまじめに入室くるわけではないことにある。他の参加者のひとに頼ってしまい自発的がない。他力本願な人たちがくる。それが慢性化してくるとだれも一生懸命にやりたくなくなる。主催者も自発的な貢献型参加者もやる気をなくしてくる。

わたしが2011年から定期的に参加している英紙エコノミスト読書会というのがfacebook上にある。発起人は2009年に早稲田大学ファイナンス学科を卒業した尊敬する人物だ。彼の五反田にあったアパートではじまったものだった。知り合いに声をかけて口伝えで広がった。はじまった当初はそれは厳しい読書会だった。タダ乗りをしてくるひとたちには容赦ない忠告をした。タダ乗りというのはイベントにきてもだまって聞いている人のことをいった。

しかし読書会の人たちがめざしているのは野心にあふれていた。彼らは本気だった。タダ乗りは許すことはできない。時間の無駄になるからだ。これはよく理解できた。

そして13年の歳月が流れて現在もタダ乗りは相変わらずある。ところが定期的にきているひとたちまでもが次第にだらけてきた。そしてズルをするようになった。そのズルも中には巧妙なものまで登場してきた。それを書いてみます。

イベントが行われるのは日曜日の朝9時。決まって3つの記事を30分づつ使って討議する。2時間で終了。だいたい10人程度の人が集まる。このイベントには3つのフェーズがあって、準備、当日、そして終了後とやることがある。それに手を抜くというものだ。どういうことだろうか。

まず準備としては英紙エコノミストを読む習慣を持っていないといけない。どこにでもあるような英字新聞ではない。読むといっても気軽にはじめられるようなものではない。まず定期購読をしなければならない。その定期購読をしていない参加者がいる。

しばらくすると次第に読む習慣がついてくる。習慣というのは週に記事を10くらいは目を通すことをいう。関心のある記事を選ぶためには必要な作業だ。わたしはビジネスとファイナンスの記事には必ず目を通す。また科学の記事も読んでみる。その中からイベントにいくときは討議できそうな記事を2つくらい選んでおく。そういったことをしない参加者が多数に増えてきた。

どうしてそれがわかるかというとイベント前に討議したい記事を投稿しないのだ。ここから他人本願になっている。だれかが投稿するだろう。わたしには関係ない。そんな消極的な態度がめだってきた。討議したい記事がもはやないというひともいる。読まなければ論点設定には決してつながらない。この論点出しと最初に出した論点の深堀が討議の目的である。そこをやらない。ずるをするためにこれでは本来の読書会にならない。

こういった定期購読しない。習慣を持たない。記事を投稿しない。それがめだってきた。

さてイベントの2時間の中においてもずるいことが行われるようになってしまった。それは参加者がファシリテーション役を積極的にやらない。各記事30分程度の割り当てがある。毎週3人がファシリテーションをする機会がある。それをだれもやりたがらなくなった。なぜかというとファシリテーションのはじめにファシリテーターが記事の要約をするという重荷がある。

この1分間の要約をやりたがらないひとが増えてしまった。要約をするには記事を精読しなければならない。そして筋書きをあらかじめイベントの前になんらかの形でまとめる。1分間で参加者の前で発表をする。簡単なことではない。自分で書いた記事でもないからだ。しかもエコノミストは内容が難しいため要約も難しい。その練習さえやろうとするひとがいなくなってしまった。

そしてとても残念なことが起きてしまった。だれもやりたがらないのでネットにあるルーレットをつかうようになってしまった。それでだれがファシリテーターになるのかを決めるようになった。当たったひとがファシリテーションをする。積極的に手をあげるひとはいない。ここまで消極的になってしまった。そしてもっと悪いことが起きた。

それはイベント開催中にファシリテーターに当たったひとが他のひとが記事のファシリテーションをしているときだった。自分のカメラをオフにして要約をする。他の討議には参加せずその背後で要約をつくる。そして自分の順番になったときに要約を参加者に見せてさも事前に準備してきたかのように見せる。これは感心しない。他のひとたちが記事の討議をしているときにディベータとして参加をしないのだ。これが行われているのである。これは十年前には考えられなかった。

最後に準備とイベントのあとには振り返りを行う。自分は他のひとと比べてどのくらい投稿をし論点を出したのか。ファシリテーションは半年に何回したのか。メンバーは平均回数どのくらいなのか。自分はどのくらいの位置にいるのか。そういった位置取りをしたほうがよい。どうもそれをしていない。そのくらい他力本願なのだ。

そうなるとトップにいこうとしなくなる。成長曲線を描いていない。自分の目標はなんなのか。関心事はなんなのか。そういった振り返りをしたほうがいい。その中でケリのついていることがあればそれは放置してもいいのでないか。エコノミストに書かれている問題は難題ばかりだ。

わたしはこの読書会のはじめのころを知っている。ずるは許されなかった。どうしてもこういったことがズルのひとつに見えてしまう。ひとは楽な方に流れる。確かにそうであろう。聞いているだけの方が話をするよりはるかに楽であってエネルギーを必要としない。でもなぜ2時間聞いているだけが有意義な時間の使い方のなるのだろうか。

もともとアイデアやコンセプトだけに終わるのではなく実際の役に立つスキルとして職場で発揮できるような読書会であったはずだった。それが消えかけているのはとても残念なことである。

さてここまできてしまうとどうしたらいいか。わたしの考えでははじめのころにもどるのがいいのではないか。なにも表立ってイベントを告知するのではなく気心の知れた友人どおしてこっそりと読書会をする。それでいいのではないか。都内のスタバで2時間。例えば渋谷や赤坂見附。そのあたりで4,5人集まって読書会をすればいいのではないか。

なにも部屋をどこかに用意してディベートをする必要もなかろう。読書会であれば読書を続けることが目標だ。10年続ければそれでよい。それ以上読書会に参加することもないだろう。討議する必要はない。そして10年続ければ読書会よりも大事な目標がたってくる。

この読書会を始めたひとは最初なにが書いてあるのかよくわらかないといっていた。だれかいっしょに読んでくれる人はいないか。そういう正直な気持ちではじめた。わたしも最初はなにが書いてあるのかさっぱりわからなかった。しかし読書会を通じて読み続けると次第にわかってきた。討議の練習はためになった。

治るかどうかわからないけど苦情として2通書いておいた。

読んできていないことに対して書いた苦情
Some attendees belong to a certain category. Some of them don' read the article before the event. Some start to read it with off-camera during the session. The others just read the summary without reading the article in full. You never know what attendees do during the session. It is possible to abuse the event. But six out of 12 attendees raised their hands and contributed to the discussion during my session. I appreciate to them. So they don't belong to this category. They must have read it with preparation. But for the others inside the category, they didn't even read the rules in this group, "Give more than take". They don't care about the event, either.

カメラオフにしてまとめをすることに対する苦情
There is something to tell you. Members enter the event and a host picks three facilitators. If chosen to be a facilitator, they ask the host if it is possible to be the second or the third turn. During the first session, they make the camera off and start to make a summary of the article behind the back without participating in the first session. This kind of act has been going on since March this year. It has been detected at least three times. I am very sorry to say that some members are looking down on other members. What is left is grievance.