奴隷制度への賠償

わたしが初めてアメリカにいったのは1981年の7月。今から42年前になる。場所はユタ州ソルトレークシティー。アフリカ系アメリカ人はほとんど見かけなかった。しばらくして団体でシカゴに移動した。するとアフリカ系の人たちが多くいる。そこでわたしは思った。都市に行くと黒人のひとたちが多いのかな。

4年後にミシガン州ミシガン大学に留学。それほどアフリカ系の学生は見かけなかった。わたしには寮で夕食をとるときに席をいっしょにするアフリカからの留学生がいた。その男性と食事をした。何を学んでいるの。答えは文学というのが返ってきた。7年後にジョージア州でビジネスを学んだ。南部には多いだろうことは知っていた。

そこでは空港に着いた時からアフリカ系のひとたちが目立った。その人たちから学んだこともあった。驚いたのは空港での出来事だった。女房が2歳になる長男をベビーカーに乗せているときだった。女房は食べ物を与えている。わたしは両方にバックを抱えている。ふたりとも手がふさがっている。

それをみたアフリカ系の女性の店員がベビーカーとバックを持ってくれるという。その方が手伝ってくれたことでわたしたちはようやくテーブルにつくことができた。わたしはひそかに驚いていた。こんなにやさしいアフリカ系のひとがいるのだろうか。その女性に感謝をするととてもやさしい瞳だった。わたしは気持ちを抑えきれなかった。1992年のことだった。

あるオンラインイベントでアメリカにおける奴隷制の賠償について話す機会がある。アメリカでは1865年からどうやって奴隷制度による被害を受けた人たちを償えばいいのか。それにはいくら支払いをすればいいのかが議論されている。

特に裕福でリベラルなカリフォルニア州では賠償責任について賠償額の計算がされているという。奴隷解放が行われたいまでも差別に苦しむひとたちがいる。それで平均寿命がやや低くなり給与格差に苦しんでいる。

カリフォルニア州全土においてその賠償額を計算したところ差別行為によりひとりあたり最高額で約$1.2mを賠償する。日本円で1億7千万円の賠償額になるという。中でも物価と所得が高いサンフランシスコでは$5mになる。日本円にすると7億円。とてつもない賠償をしなければならない。

これをカルフォルニア州が税金で支払いをした場合にはどうなるか。総額で$800bとなり日本円で112兆円という。州全体の予算である45兆円よりはるかに多い額になる。これを支払うことは難しい。しかしまだ多くのアフリカ系アメリカ人が差別に苦しんでいる事実はある。

差別により不当な扱いを受けた。寿命が短く所得も低い。そういうひとたちにいったいいくら償わなければならないのか。その額を計算することは難しい。しかし被害を受けていることは確かだ。これは無視することはできない。

日本でも差別行為により不当な扱いを受けている少数派がいることは認めざるを得ないだろう。北海道にはアイヌ民族がいる。その数は5万人と聞いたことがある。そのひとたちの生活スタイルを犠牲にしていることはないか。彼らの民族的側面を理解せずに追いやっているようなことはないか。そうであればなんらかのつぐないをしなければいけないだろう。ではいくら支払いをすればいいのだろうか。彼らが迫害を受けたとすればそれはいけない。

また東京では在日韓国人のひとたちがいる。その人たちは日本に居ながらにしてある種の隔離をされてきたともいえる。そういう人たちは韓国に帰るわけではない。この東京で生まれて育ち東京で仕事をして生活をする。その人たちに対して迫害をしたことはないだろうか。

就職において差別をしたり不当な仕事をさせてきたことはないか。同じ仕事をしているのに給料を安くしたり休暇を取らせなかったりしたことはないのだろうか。不当ないじめ行為をしてきたことはないか。彼らは日本人の大多数として生まれてきたわけではない。親を選ぶことはできなかった。それだけの理由で外見から不当な扱いをしたことはないだろうか。そうであってはいけない。

わたしはこれらのことに対して専門ではない。しかしアメリカに住んでアフリカ系アメリカ人のひとたちと話をした。いっしょに勉強もし仕事もした。そこで気づいたことは差別はいけない。絶対にいけないということだ。

ただ差別がいけないのであって彼らを意図的に多く昇進させたり給料を能力以上に多く支払う。そういうことをプロモーションする必要はないという考えを持っている。何かというと機会の平等ということであろう。彼らにとっても平等がほしいということで納得してくれるはずだ。

不平等で差別をしてきたものだからこれは賠償をしなければならないだろう。こういう議論になることは致し方ない。

さて大学生の読者の方はどのような意見をお持ちだろうか。おそらく日本にいて日本人として暮らしてきただけならばこういったことは話題にすらならないだろう。日本の会社にいればそんなことは話題にならない。

そういうわけにはいかなくなっているのが今の世の中といえる。東京であればどこにいっても外国人のひとたちを見かける。特に西側の渋谷では若い人たちが多く住む。その中にはアフリカ系にひとたちも多く見かけることだろう。差別はいけない。したと認めれば賠償をしなければならない。謝るだけでは済まない。実際にアメリカではその研究も進んでいる。日頃から心がけておきたい。