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鳥取県米子市皆生温泉の歴史

江戸期の藩の文書には、

「皆生村」「海池村」の両方の呼び方がありました。


「皆生」に統一されたのは、

幕末の慶応三年(一八八七)


皆生に温泉が見つかったのは

遡ること明治三三年(一九〇〇)のこと。


福生村上福原の漁師の 

“山川忠五郎” が裸足で砂浜を歩いていると足の裏に熱を感じ、

そのことをきっかけとして浅瀬に湧き出る温泉を発見♨♨


本格的に温泉経営をしたのは八幡市次郎でしたが、

多額の資金調達ができず、

皆生温泉の開発に夢を託された一人の男

がいました。


その男の名は 有村松太郎


皆生四条通りと渚の遊歩道が交差するところに鎮座し、日本海をバックに米子の中心街を眺めています😌


彼を中心とし、

「皆生温泉土地株式会社」が設立


ここから皆生温泉の歴史が動きはじめました😁♨


元々は波打ち際に〈砂場〉と言われる

露天の温泉が作られ、

利用する人も増えていったようですが、

冬になると温度が下がり、夏しか利用ができなかたったようです😭😭😭


そこで、

有村松太郎の山陰鉄道建設に活かした技術による温泉開発が始まりました!!


更には、

大正九年十一月に購入した土地を元に

「皆生温泉都市計画設計図」が作られ、

三条・四条・五条などの通りが作られ始めました。


そして、

顧客誘致にはまず交通の便が先決と考え

大正十二年七月に

「米子電車軌道株式会社」を設立。


皆生温泉を賑わう温泉地にするべく

たくさんの方が関わり、とてつもない努力と

そこにはドラマがあったのです😎✨✨


歴史を知ることでより一層

皆生という街が好きになりました🥰💕


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