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わたしの視点(東琢磨・会社員・パートタイムフリーランスライター)

被服廠に関する極私的な覚書と若干の提言

東琢磨(『ヒロシマ独立論』『ヒロシマ・ノワール』著者、『忘却の記憶 広島』共編者)


SNS上で被服廠のことについて書き飛ばしていたら、なんか書いてくださいといわれたので、まとめてみることにしました。
私個人は、いわゆる「里帰り出産」で、生まれたのだけは庄原ですが、ずっと被服廠の近くで育ってきました。被服廠からすぐの翠公園が、子どもの頃の「シマ」。被服廠はずっと身近な異界でした。長じて、近年は、被服廠を中心に、いろいろな人たちも案内してきました。
ですから、非常に個人的な意見でしかありません。

とはいえ、まず明確に主張しておきます。
県所有の3棟で「全棟保存」というだけではなく、国所有の4号棟も含めて、「4棟全棟保存(及び活用)」であると。

「被爆の記憶」という文脈ももちろんですが、それにとどまらず、軍事化の証人でもあり、この建物は散在するその痕跡のひとつとしても最大規模のものでもあるということです。
現在の広島が歴史を振り返っていく上で、現在の語りとは異なる、もう一つの世界性を獲得していくうえでも非常に重要であると考えています。
平和公園があくまでも中心であるとすれば、立地的にもやや不便なところですし、観光客を誘致することよりも、むしろ地域住民、広島市民のための施設として新生させていくことを主眼に考えた方が建設的だと思いますし、予算面、活用案、また、住宅地・文教地区であることに十分配慮しながらの工事計画も練らなくてはならないでしょう。
また、現在の状況からすると、駅前、基町、バイパス延伸など、さまざまな再開発案と並べて考える必要もあるかと思います。私たちにほんとうに必要なのはどういうものなのでしょう? 軍事化の巨大な生き証人が生まれ変わって、さまざまな福祉や文化施設あるいはその関連の商業施設になると考えてみることもたいせつなことではないでしょうか。ごく一部の強い者のために使う予算があるのであれば、こうした歴史的建造物が弱いもののためにこそ生まれ変わるためにこそ使ってほしいものだと個人的には切に思います。


[参考]
ネット上(Facebook)に発表したものをそのまま転載しておきます。毒がある書き方をしていますが、あくまでも個人的な意見。思想としてお読みください。なんかのヒントもあるかもと思い、そのまま提示します。

〈日記〉*12月17日 10:11
パブコメも募集するみたいだから、ツレアイに書けといわれたけど、被服廠は全棟保存しかない。
実家の近所で見慣れた建物だし、かなりの頻度でいろんな人を案内しているし、あれは、全棟あって意味がある。
○理由
(1)軍都の身体としての配置の意味。軍服工場がこれだけ大きいという意味。現在のゆめタウンのタバコ工場(喫煙室に展示がある)、糧秣廠だった郷土資料館などと一緒に見ていくことの重要性。(2)広島電鉄、旧宇品線を繋ぐように全棟が配置され、出勤者の流れ、物流がよくわかる。(3)爆風の被害が最も顕著に残っている棟(保存の方向)をメインに、他の棟はリニューアルして、軍事(史)博物館としてはどうか。てな感じか?(4)皆実高校、県高側も開いて、公園のようなつくりにする。予算がない? サッカースタジアムつくるより重要だろって感じだけど、何か?

〈日記・覚書〉*12月18日 10:17
被服廠のこと。冷静に考えてみると、保存するとして、免震工事などで予算だけではなくかなりの時間がかかる。その間の凄まじい騒音をどうするかとかも、外野からも考えた方がいいかも。
というのが、職場が数年間の免震工事中で、騒音が凄まじいのだ。
(ぶっ壊して、新しいものを建てる方がたぶん安上がりで早くできるのだろうねと、職場のみんなで話してる数年間)
訪れたことがない方にはぜひ一度足を運んでみてほしいけど(市内中心部などからはバスが一番近い。それか広電。だけど、正直アクセスしにくい)、比治山の陸軍墓地から眺めてみるのもオススメだ。陸軍墓地から被服廠などを睥睨するとだ、背後に旧ABCCが控えることにもメンションしてね。いずれにしろ、住宅街と学校が建ちならぶなかで、その距離感にも驚くはず。近隣の住宅とは、車が離合できるかどうかの幅の道しかないどころか、場所によっては、「ここ、被服廠の土地じゃね?」みたいなところまで住宅が建て込んでいる。ここまで放置していたことにもあらためて驚かされるが、壊すカネもない、たとえ壊しても土地自体の活用案もない、保存したとして、これまた活用案も人材もない。正直いうと、そんな広島の象徴として放置しておくのがいいんじゃね? (ま、結果的に放置されてきた)というのが、実はずっと被服廠に対しての思いでございました。出来損ないの軍都というのが真実という友人もいるけど、原爆落とされようが、その出来損ないの軍都であっても、早々には一掃できないほどの痕跡がこの街には残ってしまっているのだ。戦争をする国家としての日常とは、そんなふうになるということだ。


付録:被服廠アクセス案内 *12月18日 10:53
(1)広島駅・中心街から
・広島バス(地元民言語で「赤バス」)
1)26番で「大学病院入口」下車(駅からは最短)。
2)23番で「出汐町」下車(駅からは遠回り、中心街からは本数多し)・広島電鉄(同じく「ひろでん」)1)5番線(駅からは最短ルート。中心街は通らない路線)「皆実町二丁目」か「皆実町六丁目」下車。この二つの電停からそれぞれ真っ直ぐに出勤できるように設計されていて、どっちから行っても同じ地点に着く。2)3番線(中心街から)「皆実町六丁目」下車。(2)平和公園から「本通り」「袋町」「中電前」といった電停から、広電の1番か3番で、宇品方面に乗る(駅方面とは逆方向!。「原爆ドーム前」からは3番のみ)。「皆実町六丁目」下車。*広電は、1番が駅~中心街~宇品港、2番が駅~中心街~宮島口、3番が宇品港~紙屋町(八丁堀は通らない)~西広島(己斐)、5番が駅~宇品港(中心街は通らない)というのが基本。*バス路線は、バス停の場所などがものすごく分かりにくい。*いずれも下車数分徒歩。地図必携。被服廠が明示されていない地図も多いので、その場合、県立皆実高校、県立工業高校を目標に。*ご連絡いただき、タイミングが合えば、ご案内もいたしますです。*ちなみに、被服廠だけ見るのは惜しい。先に書いた、旧糧秣廠(郷土資料館)、ゆめタウンのタバコ工場展示、陸軍墓地なども回るのがオススメ。



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