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大好きな漫画の話

私が今まで読んできた中で一番好きな漫画は「BANANA FISH」という漫画です。当時、掲載されていた雑誌が「別冊少女コミック」なので少女漫画とジャンルかと思いますが、アメリカが舞台のギャング同士で殺しあう漫画で、学生の時に出会ってから今までに10回以上は全20巻を一気読みしています。Kindleに入っている唯一の漫画でもあります。

「BANANA FISH」の作者は吉田秋生という方で、有名なところだと鎌倉が舞台で映画にもなった「海街dialy」を書かれています。

「BANANA FISH」のあらすじはWlipedia先生にお任せするとして、一言でいうと「アッシュ・リンクスというニューヨークのギャングのボスの主人公が日本人の大学生(奥村英二)と出会い、様々なトラブルやマフィアとの対立、時には国家が絡んだ争いに巻き込まれながら友情を深めていくストーリー」で、その感情があまりにも強すぎるためBLなのか?友情なのか?という論争がネット上でも盛り上がっていました。

アッシュ・リンクスは幼少期に軍人に鍛えられて銃の扱いが非常にうまく、IQ200、他を圧倒する容姿と非の打ちどころがないのですが、少年期に負った心の傷によってだれも信用できなくなります。主人公のアッシュはストーリーの途中まではずっと孤独でした。
その孤独を救ったのが全く異なる環境で育ってきた英二で、その無償の愛や純真な心に触れたことで、アッシュ・リンクスの心は救われていきます。

私がこの漫画のどこに部分に惹かれたかというと「過酷な過去を乗り越え、常に危険に晒されている中を生きるアッシュ・リンクスのその生き様と、英二に出会ってから変化する心境」の部分です。

アッシュ・リンクスは漫画の冒頭でヘミングウェイの小説『キリマンジャロの雪』を引用しています。

キリマンジャロは高さ1万9710フィートの雪におおわれた山で、アフリカの最高峰と称される。西側の頂上はマサイ語で「神の家」と呼ばれている。その頂上近くに、ひからびて凍りついた一頭の豹の死体がある。そんな高いところまで豹が何を求めてやってきたのか、だれも説明したものはいない。
(ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』より)

そして作中でアッシュ・リンクスはこの豹に対する見識を述べています。

「俺は自分の死を思う時、このヒョウについて考える」
「ヤツはなぜ、何のためにそんな高地へとやって来たのか。獲物を追い彷徨ううちに、戻ることのできない場所へ迷い込んでしまったのか、それとも何かを求め、憑かれたように高みへと登り詰め力尽きて倒れたのか」
「ヤツの死体はどんなだったろう? 戻ろうとしていたのか? それともなお高みへと登ろうとしていたのか。いずれにせよ、ヤツはもう二度と戻れないことを知っていたに違いない」
(アニメ『BANANA FISH』13話「キリマンジャロの雪」より)

アッシュ・リンクスは自分自身が普通に戻れないことを知っていて、小説に出てくる豹と重ね合わせているのですが、奥田英二は「アッシュは豹と違う」と告げ、その言葉に救われます。でも、恐らくアッシュ・リンクスがこの話を持ち出したのは、奥田英二に知っておいてほしかっただけだったのではと思いました。最終的にはアッシュ・リンクスは図書館で命を果てます。アッシュ・リンクスは読書家だったためヘミングウェイの小説に出てくる「神の家」が図書館だったのかと推測できるのですが、豹のように孤独の中で死んでいったのではなく、アッシュ・リンクスには奥田英二という”友達”がいました。

実際、最初に読んだ時にはあまり深く考えずに読んでいたのですが、ヘミングウェイの小説が出てくる意味やアッシュ・リンクスがなぜ死に場所に「図書館」を選んだのかなど、読めば読むほど解釈が変わった箇所がありました。

私の稚拙な感想文だとストーリーもわかりづらく、登場人物の心の変化も伝えきれていないので、読んだことが無い方にはぜひ一度読んでもらえるとうれしい作品で感想が聞きたいです。

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