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続、偶然に偶然が重なることもあるのだ

さて、月日の流れは早いもので、おいらが独立して自分のデザインスタジオを立ち上げて仕事をするようになってもう20年ほどになります。

長女が彼と住み始めた家が彼女の生まれた家の同じ階の隣の家だったことは前回の話で書きました。

ミラノの運河に近い家で、実はその家の通りの隣の通りに数年前からおいらの友人が住んで知るのです。その友人は元ボスのところで一緒に働いていた人なんだけれど、彼はその後CADソフトの販売やコンサルタントのビジネスを始め、事業がうまく行き、イタリア以外にもスイスで会社を開いたりしていた人です。そして、何よりもおいらを始めてスタジアムに連れて行ってくれた人で、おいらがインテリスタであると自覚することを大いに助けてくれた人です。「インテリスタとはなるものじゃない、生まれるものだ」という言葉があるのですが、遠い日本で生まれたおいらが、実はインテリスタとして生まれていたことに気付かせてくれた恩人ということです。それで、彼にも長女の家の偶然の話を電話でして「そりゃ一回一緒に近所で食事をしよう」という話になっていたのだけれど、彼の事業がうまく行きすぎて、今度はカナダにオフィスを開くことになり、食事をする前にカナダへ引っ越してしまったので、約束の食事は先延ばしになっています。

このミラノの運河沿いは、リストランテや飲み屋さんがずらっと並ぶ区域で、毎月最終日曜日には骨董品の市も出たりと、なかなかに賑やかな場所です。再開発が進んだミラノの中央駅に近い区域のような高層ビルもなく、何十年も変わらない雰囲気のミラノらしい場所。そもそもミラノは周辺をぐるっと運河が囲む街だったのですが、運河の大部分は蓋をして環状線の道路となっているため、運河のまま古い雰囲気を残しているのは南のごく一部に限られるのです。

この家に住み始めた長女、おいらの元ボスの娘の所有する家は賃貸で別の人が住んでいるらしく、その隣に住み始め、何しろ渡り廊下で繋がった数軒が並ぶ作りの家なので、ご近所さんはしょっちゅう顔を合わせるようです。これはおいらが住んでいた頃もそうだったのでよく分かります。当時のおいらも並びの家の人達はみんなお友達になって、時々バカンスから帰ったご近所さんにお土産のお菓子をもらったりしていたものです。

長女もご近所さん達と仲良くなって、時々一緒にワインを飲んだりするようになりました。ある時、この階の一番昔から住んでいるという夫婦のシニョーラが、長女と話をしながら「ずっと前にも日本人の若いカップルが住んでいたことがあったのよ。赤ちゃんが生まれてしばらくして引っ越しちゃったけれど」と話したそうで、長女が「その赤ちゃんが私ですよ」と言うと、その人は大そう驚いたそうで、顔色を変えて長女を自分の家に招き入れ、20年以上前に我が家の妻がプレゼントしたという陶器を見せて「これあなたのママにプレゼントしてもらったの」と感慨深げに教えてくれたそうです。

この人とは別の機会に長女とこの家の近所にあるトラットリアで食事をした帰り道でばったり会って、おいらも再開しました。

そんなことがあって、偶然には偶然が重なることはあるものだと思っていたら、おいらの元ボスから電話があり、おいらがいた頃の仕事の公衆電話のプロジェクトの本が出たらしく、取りにおいでと言われました。もう20年も前の仕事ですが、そのすでに倒産している生産会社の創立80周年だかなんだかに合わせて出版されることになったそうです。

それで、久しぶりに元ボスのスタジオに本を受け取るために遊びに行って、ついでに我が家の長女が元ボスの娘の家の隣に住んでいる話をして驚かせようと思い、何が起こったか長い長い話をしゃべりました。ところが元ボスはあまり驚かないのです。というのも、元ボスの娘は賃貸で貸している人といつもコンタクトを取っているらしく、近所に日本人がやってきたこと、その名前なども話をして既に娘に情報が伝わり、その娘とコンタクトを取っている元ボスも我が家の長女がそこに住んでいたことは知っていたということらしい。

せっかく驚かせようと思ったおいらには肩透かしでしたが、世界は案外小さいモノなのだということを再確認しました。

さて、ある日長女がその家にいるとき、お隣の家に誰か来ていると思っていたら、出てきたのがおいらの元ボスだったそうで、長女も小さい頃に何度も会っているし、写真でよく見ているのですぐ分かったそうで、挨拶をしたそうです。何でもその家のタイルを張りなおすのに、外国に住む娘の替わりに元ボスがタイル選びに訪れていたそうです。

世界は広いようで案外小さいということをみんなが思い出せば、もっともっとみんなが住みやすい世界になるはずなんだけれどなあ、なんて思います。

Peace & Love


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