「日本国憲法第1章天皇」について「第2回」

天皇制と軍事国家・大日本帝国を結び付けていた米国が憲法草案の段階から、何ゆえ第1章に天皇条項を持っていったか。

 5月3日憲法記念日。現日本国憲法は昭和22(1947)年5月3日に施行され、既に73年が過ぎようとしています。その73年の間、国内も世界も大きく変貌しつつあります。米ソ冷戦の片方の主役ソヴィエト連邦はロシア連邦と変わるなか中国の台頭は著しく経済規模は日本を追い越し、今や世界第二位の規模を占めます。その中国の武漢に端を発した新型コロナウィルスが世界を震撼させているのが今です。日本における新型コロナ感染対策で政府の対応は後手後手といった印象が拭えず先の見え難い状況です。原因の一つとして「憲法的」に不備な点がある事は否めません。現憲法には緊急事態条項は無く政府といえども踏み込んだ対応が出来ず、機を逸してしまっているのが実情です。
 緊急事態のたびごとに法整備をするのでは新たな事態に対応することは難しいのです。憲法を見直し緊急事態条項(国家緊急権)を新たに付記する必要があるように思います。私たちが私たちの命と経済を守るためにです。
 何度も申し上げるように、本論は改憲ありきではありません。国政の基本的な位置づけにある憲法を世界的な環境変化のなか再度国民目線で見直し、考える必要があると思うのです。私も国民の一人として考え、是は是とし非は非として皆で話し合ってみたいというのが執筆の趣旨です。
どうぞ忌憚のないご意見をお願いいたします。
 憲法記念日の夜に筆をとったせいで筆が滑りましたすみません。

 さて、話は「天皇制と軍事国家・大日本帝国を結び付けていた米国が憲法草案の段階から、何ゆえ第1章に天皇条項を持っていったか」であります。
 
 第二次世界大戦は日独伊の枢軸同盟と米英中ソを中心とした連合国との対戦でありました。しかし、イタリアは1943年9月には降伏し同盟を離脱。ドイツは1945年5月に全軍が降伏しました。しかし、日本軍は孤軍となりながらも神風特別攻撃隊という欧米的思考では想像を絶する必死の攻撃を続け、降伏の気配さえ見せませんでした。7月26日にポツダム宣言が米国大統領、英国首相、中華民国主席の名において大日本帝国に対して発されたのですが日本側は無視を続けました。しかし、同8月6日広島に原子爆弾が投下され、続いて9日には長崎に投下が成されるに及んで日本側(鈴木貫太郎内閣)はポツダム宣言受諾をせざるを得ない状況に追い込まれました。そうしたなか「天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラサルコトノ了解ノ下ニ受諾ス」を条件に受諾の旨を通知したのです。日本側はあくまでも国体護持(天皇制)に拘りました。ポツダム宣言は「無条件降伏」をいっていますが、それは日本軍に対してであり、日本国に対してのことではないという理解のもとで降伏調印がなされていったのです。
何れにしても「天皇の国家統治の大権」は大日本帝国にとって国体そのものであり、それは歴史であり当時の日本人のアイデンティティーそのものだったのではないでしょか。
連合国側(米軍)が天皇に係る条項を拒否すれば日本は玉砕覚悟の徹底抗戦を継続し連合国側は本土上陸作戦をせざるを得なくなる。結果的には米兵だけでも7万人から50万人の犠牲者がでると予想される事態となり連合国側も日本の「国体護持」認めざるを得なかったのです。その一方で1945年9月2日の降伏調印の前日にはアメリカ議会では昭和天皇を戦犯として裁く決議案が提出されていたのです。米国にすれば日本の軍国主義の源泉は天皇制にありと見ていたわけですから当然かも知れません。そうした中、同年9月27日、昭和天皇が連合国軍総司令官のマッカーサーを訪れ会見しました。
マッカーサーは昭和天皇の「私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対して、責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここに来ました」のお言葉に感動し天皇制存続を決意したと思われます。しかし、アメリカ議会の決議と相反する日本側の国体護持(天皇制維持)との板挟みになったマッカーサーにとって天皇制と軍国主義をどう切り離すかが大きな問題となります。
マッカーサーは日本国憲法のドラフトをまとめる責任者である連合国軍民生局長のホイットニー准将に対して自らの考えをまとめた手書きのメモを渡しました。いわゆるマッカーサー・ノートと言われるもので日本の憲法改正に際して守るべき三つの原則を示しました。
1. 天皇は国家の元首の地位にある。皇位は世襲される。天皇の職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法に表明された国民の基本的意思に応えるものとする。
2. 国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。
3. 日本の封建制度は廃止される。貴族の権利は、皇族を除き、現在生存する者一代以上には及ばない。華族の地位は、今後どのような国民的または市民的な政治権力を伴うものではない。予算の型は、イギリスの制度に倣うこと。
以上が日本国憲法の骨子となったのです。そして天皇条項は第一番に掲げられたのです。
 次回は「日本国憲法第1章天皇」について第一条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」について考えてみます。


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