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後悔しないライフキャリアをつくるには

ヘルスカウンセリング学会学術大会、これは非営利活動法人ヘルスカウンセリング学会会員の方たちが年に一度、全国から集まって、自身の研究や活動の成果を発表し、会員間で共有したり、新たな知見を学んだりする場だ。ヘルスカウンセリングを学んだ者たちが、互いの状況を話し合ったりして刺激をもらう場にもなっている。
今年も9月23・24日の2日間、第30回の記念大会が開催され、私は大会長を務めさせていただいたが、2009年1月に学会員となり、はじめて参加した第16回学術大会のことを2009年6月24日に記事にしていた。


人生の経歴と進路であるライフキャリアは、従来は所属、職務、職位、所得などで表される職業的上昇志向をもち、組織従属する他者報酬追求型であった。それは常に社会的に正しいかどうか評価されるため、不安や緊張を伴い、ノルアドレナリン分泌持続型であるため、肩こり、頭痛、不眠、高血圧など、交感神経緊張による疾病に悩まされやすいものであった。
ヨーロッパ諸国のワークライフバランス志向にみられるよう、これからの自分の人生は愉しいかどうかという自己評価によるライフキャリアが求められる。自己満足や社会貢献による人生満足感がえられる自己報酬追求型でありたいものである。そこではドーパミン分泌持続型である、食依存、タバコ・アルコールを含む薬物依存、セックス依存などによるドーパミン分泌にたよる代償行動はいらない。生きること自体がドーパミン分泌を促し、精神健康が促され、幸せになれる。だから生活習慣病が克服できる時代にもなれるだろう。
もちろん他者報酬追及型がなくなるわけでない。他者報酬追及と自己報酬追求のバランスがはかられるということである。これまでは、子どもや配偶者や親など家族間で、それぞれがどのような進路で人生満足感が求められるかという話し合いやその実現を助けあう関係はなかった。あくまで所属、職務、職位、所得などで表される職業的上昇志向を助けあうだけであった。私たちは過去の専ら生き残りを図るサバイバル脚本から、お互いの人生が満足し合えるように助け合える愛情脚本に転換が迫られている。この転換を促す社会貢献がどれだけSATで可能か、私たちの挑戦が試されていると言えそうである。

「ライフキャリアの充実と共有化を考える」
今年9月に開かれる第16回ヘルスカウンセリング学会学術大会のテーマだ。

自分の気持ちを抑圧しないで表現しようとすると、見捨てられる怖さや否定される怖さから率直になれない。これは、育成史のなかで、「自分が満足するように生きていいのよ」という無条件の愛で包まれる実感のメッセージを親から受け取ってこなかった…あるいは、学校や会社で自己主張することを「生意気だ」「今に見ていろ」といった反応を得てきたことが原因…率直になることを阻む社会環境が日本にはあった。

宗像恒次:SAT法を学ぶ(2007、金子書房)

と宗像恒次(「SAT法を学ぶ(2007、金子書房)」)はいう。
これからの人生、自分が「愉しいか否か」で生きてみないか?
そういう生き方が、結局は自分を健康にし、社会も元気にするのだ。



あれから15年が経ち、時代もかなり変わりました。私がまだ会社員をしていた頃から、すでに管理職にはなりたくないという人が増えていました。内部監査人の立場ながら、そこにある想いを尋ねると、「これはいけないことだけど」という枕詞とともに、「課長はいつも会社に残り、いつ帰っているのか実際のところわからない。休みだって出てきているんじゃないかな。業務は増えるし、責任は重くなる。こなせる量を越えている。それに見合うだけの昇給もないし、やってられませんよ」と。

業績を積み、会社への貢献度が高いと認められると報酬が増えたり、職位が上がったりして、それがステータスとなる時代だった。イコール、その人の価値と見られるような社会だったため、仲間を蹴落としてでも評価を得ようとする者も少なくなかった。私はそれが嫌でたまらなく、我が道を行くと早くから決めていた。

係長のとき、ある課長から言われた。「あなたは俺のようになるな。もっと要領よく立ち回らないと干されるぞ。もったいない。うまくやれ」。私は、その課長のことを尊敬していた。営業部門の責任者だった彼は、ある時、販促部門から紹介された某新製品に対し、「市場を全く見ていない。すでにスペックで負けてるんだ」とやり合った。当時、学術部門にいた私は、その通り、よく言ったと心の底で思っていた。けれども彼は「売る前からそんなことを言うな。売ってなんぼだ」と諭されたのだ。製品として世に出た時点で負けているのに、それを見直そうともせず力でねじ伏せる。それが社内営業の上手い人のやり方だった。

宗像の言う「生き残りを図るサバイバル脚本」の一例だと思い、私の過去を振り返ってみた。

多かれ少なかれ、まだこんな会社は残っているのではないだろうか。

ヘルスカウンセリングを学び、会社員最後の6年半は、カウンセリングマインドを持った監査人として、私は多くの職場を回らせてもらった。そこで出会う社員一人ひとりから、時間をもらって気持ちを聴いた。雇用する側、される側、組織がめざすところと個人の想い、そのベクトルの方向は90度以内にあってほしいと私は考え、まずはその見える化からやってみた。「お互いの人生が満足し合えるように助け合える愛情脚本」は、そのベクトル合わせからではないだろうか。

1ヵ月ほど前の2023年8月25日、私は会社員時代管理職をしていた監査一課の仲間たちが同窓会をやるというので呼んでいただいた。当時のエピソードがみんなから披露され、その時に言えなかった本音も、いろいろ聞かせていただいた。それがめちゃくちゃ嬉しかった。普通、そんな場に上司を呼ぼうだなんて思わないのではないだろうか。でも、みんなは私との5年ぶりの再会を楽しんでくれた。一人は職場のリーダーを任され、私に教えてもらったからと、なんとか組織をよくしようと、みんなの気持ちを聴いているという。嬉しかった。

カウンセリングマインドを持った監査人の育成、まだまだ続いていたんだと思えた夜になりました。ありがとう。リストラに遭ってなお、自己満足や社会貢献による人生満足感がえられる自己報酬追求型の生き方をしていてくれた彼に、私は心よりエールを送ります。これからも貫いて!

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