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芸術家的世界と、実業家的世界を分けて考えたら、少し生きやすくなった。

コロナ自粛期間中に時間がたくさんあったので、改めていろいろなことを学んだり、考えたりして、自分の中でちょっとしたブレイクスルーになった考え方があるので、少しまとめてみようと思い書いている。

まず、ふとしたアイデアからこういう表を思うがままに書いてみた。

芸術家的世界と実業家的世界の比較

これは本当にその時思いついたままに書いているのもあるけど、僕としては割としっくりきている。

いやこれはこっちだろとか、これはないだろとか皆様それぞれにいろんな考えが浮かぶと思うし、それぞれあってもよいと思うのだけど、逆に皆様の考えがあれば聞いてみたい。自分はこういう分け方で世界を理解すると何かいろいろなことが腑に落ちた。

これはよくある、芸術家はお金を稼ぐのに向いてないとかお金は悪だとか善だとかそういうことを言いたいわけではなく、要はこの世で生きるために必要なのはこの二つの世界のバランスをとることだ、ということを改めて感じたということだ。

どちらかに寄りすぎていても、この世ではおそらく幸福に感じられないのではないか?と思っている。

しかし、世の中の傾向がどうも右側に寄りすぎているな、ということを感じることも多いのでは??いや、それは僕が芸術にかかわる仕事をして生きているからかもしれないし、むしろこの世(物理的空間?と呼ぶべきか)で生きるためには必ず実業家的世界での何らかの活動が必要だから仕方がないのかもしれない。

自分も含めて、芸術を志す人たちをずっと見ていて百万回くらい問われる問題が最初の"自分のやりたいことをやる"のか”人が求めることをやる”のか問題だ。

結論から言えば、人によっては救いにはならないかもしれないが、この世界で幸せにいきたいのならば”そのどちらも満たすことをやれ”だと思う。

ここで注意しなければならないのはあくまでこの物理世界で(現世で?)幸せになるためには

という注釈付きであるということ。例えばトップ画像のゴッホは生きている間大変な苦労を重ねたというエピソードが有名だけれども、死後の社会的評価はご存じの通りものすごく高い。

僕が思うにゴッホは見事なまでに芸術家的世界に寄って生きていたからこそ、社会的な生きづらさを多大に抱えながら生きた芸術家だと思う。もちろんそれが不幸だとは言い切れないし、ただただ、そういう風にしか生きられないという人間性だったのだろうと思う。

ただ、やはり一人では生きていけないこの世界で、実業家的世界の価値観がまったくないと大多数の価値観とそぐわない部分が大いに出てきてまた生きづらい。

精神レベルでいえば、自分のやりたいことだけやっていればいい。しかし肉体レベルでいえば誰かの求めることだけやっていればいい。でもこの世界に生きている限りは、悲しいかなみんなどちらももっていて、それぞれが不可分に行ったり来たり相互作用を繰り返しているから難しくなる。

時に、どちら側かに寄りすぎている人間は、どちら側かを馬鹿にしたり、卑下したりする。しかしそれはある意味、自分の中に持っているどちらかの要素が満たされないことへの反動、嫉妬なのかもしれない。

人それぞれに、この二つの軸のバランスがあると思う。どこでちょうどよいと思うかも人それぞれかもしれないが、完璧にバランスをとれる人はそういない。

振れ幅が大きすぎてまるで人格が日々変わってしまうような人もいるだろう。僕は芸術を扱いながら同時にそれを商売にもしているので、まさにそれの繰り返し。

みんなそれぞれいろんな局面で、この二つの世界を揺れ動きながら格闘しているのではないか?

こんな風に世界を見てみると面白いなあと思っています。


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