見出し画像

パーマカルチャーの3つの倫理

パーマカルチャーの3つの倫理の解説を自分の言葉で一から書き直してみました。ほかのパーマカルチャリストたちに「あまり聞いたことがない表現だけれども、これはこれで、たしかにパーマカルチャーの3つの倫理の核心を表しているなぁ」と思ってもらえるといいのですが。私と同じようにティール 組織の3つのブレイクスルーとの対応関係に気がつく人もいるかもしれません。福音から多くを学んできた私には福音の言葉で表現することもできるのだけれども、それは、また、次の機会に。仏教の言葉で同じことを表現できる人もいるのでしょう。

地球を大切にする(Earth Care) 

地球は、「みんな」がよければどうにかしていいものではありません。だから、地球を「みんなのもの」扱いせず、地球(隣人を含めた周囲の環境)が私たちをどんなに大切にしてくれているのかを理解して、じっくり味わうことが大事だと思います。そこからあらゆる存在への分け隔てのない信頼が育まれていきます。地球は確かに、人々の貪欲は満たしてくれませんが、しかし、一人ひとりの必要を満たすだけのものを十分に与えてくれる存在ではあります。私たちが地球をがんばって大切にしなければいけないのではなくて、地球にとって、私たちは子供のような存在ではないでしょうか。だから、「自分たちが頑張らないと」と考えて、世界を不調和にしてしまうことのないようにしなければなりません。この世界は、何よりも「今、ここ」で、「信頼されること」「聴かれる」ことを望んでいないでしょうか。そして、コミュニティもまた「みんなのもの」扱いしないことが調和を紡ぐ大切な出発点なのではないのかと思うのです。


人を大切にする(People Care)

パーマカルチャーの視点からの人を大切にすることは、私にとっては、まず人(ホモ・サピエンス)を知ることから始まります。ここ数千年で社会が大きく変わった一方、人の脳みそはほぼ変わっていません。何十万年もの間どのような環境でどのように人が暮らしていたのかを知り、人の脳にとって快適なあり方をデザインすることが人が健康に暮らせることにつながります。たとえば、人の社会はゴリラのような上下社会ではなかったからこそ、強い上下関係があると人はストレスで病気になってしまいます。お金はなく食料も貯めることに意味はないから、手に入った余剰物を贈りあわないのはおかしなことでした。そもそも食料の少なくなる時期に合わせて人口が調整されるため、働く時間は少しでよかったのです。文字がなく、「お金」のような虚構も「コンセンサス」という概念もありませんでした。対話を中心に「よく共感しあって、自由にやってみる」あり方がより人らしさが大切にされているあり方といえるのではないでしょうか。


ありのままを活かし合う(Fair share) 

シェアには「持分」という意味があります。それでは、それぞれのフェアなシェア(持分)とはなんでしょうか?人の考え(善悪感)を離れ、自然を観察してみれば、それは、それぞれの天与の「ありのまま」に応じて決まることがわかってきます。畑の中でトマトがトマトらしく、キュウリがきゅうりらしくあれることはとても大切なことですよね。一方で収量も大切です。どちらかでなく、この二つの辻褄を合わせるのがパーマカルチャーではないでしょうか。人がそれぞれ「ありのままでいること」。きれいな言葉だけれど、人がありのままでいることって実際にはたくさんの問題・迷惑を周囲に生み出します(だからみんな、ありのままでいようとしないわけですよね)。人がそれぞれらしくありのままでいることが生み出す問題・迷惑を無理に解決せず、誰かの責任にもしないで、問題・迷惑を楽しんでじっくり味わうこと。「ともに弱くされる」こと、そんな「べてるの家」のようなあり方こそが、本来、人にとって当たり前の故郷だったのではないでしょうか。その繋がり方は、現代社会でも、親子関係などの関係性の中に細々と生き残っています。

補足:知り続けること(Self Care)

何かの原則を守るべきと力んだ瞬間に、そうしたくない自分の心が抑圧されて、それはやがて自分の周囲に不調和を生み出してしまいます。パーマカルチャーの倫理は、それに沿さえすれば、自然と、持続可能で豊かなコミュニティが生み出される「まっとうなのデザイン原則」です。キュウリもトマトも赤ちゃんもそんなデザイン原則は知りませんね。知らないこと(弱さ)こそが愛らしさではないでしょうか。そして、私自身もまた、その原則のほとんどをいまだ知りません。親が未熟な子供を、その子供が日々育っていってしまうのを惜しむように、私たちも地球に愛されていて、無理に早く成長してほしいなんて思われていないと私は感じます。だから、コミュニティのメンバがそんなデザイン原則(パーマカルチャー)をコンセンサスとして共有している必要なんてありません。けれども、デザイン原則は確かに存在していて、しかも、私たちはそれを元来知っています。自己の小宇宙を知り続けること。それは私たちを確かに、「懐かしい未来」へと導いてくれるでしょう。私はこう感じるのです ー 子供がいつの間にか「育ってしまう」ように、この世界はそれを「知っていってしまう」。

追記:ティール 組織との対応関係はこちらを参照ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?