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「お金は怖くて、面白い」と娘に伝えたかった  高井浩章インタビュー

ミシマ社とインプレスによるレーベル「しごとのわ」の新刊「おカネの教室 僕らがおかしなクラブで学んだ秘密」の作者、高井浩章さんは3人の娘を持つ現役の新聞記者だ。「おカネの教室」は、中学校の「そろばん勘定クラブ」という奇妙な経済・金融講座を舞台とした青春小説というユニークな作品になっています。異色作はどうして生まれたのか。7年も続けた家庭内連載で娘に伝えたかったメッセージは何か。父親として、本が生まれた背景や、ベテラン記者としてのお金の考え方を聞きました。
(この記事は2018年3月に「おカネの教室」出版に合わせてインプレスの媒体に掲載されたものです。前後編を1本化して、多少構成を手直ししたうえで転載させてもらいました。聞き手はミシマ社の編集アライさん。
「おカネ」の創作体験記も是非、こちらからどうぞ)

「良い本がない…もう自分で書くかって」

--「おカネの教室」は、ご自身の娘さんに「お金や経済のことが楽しくわかるような本を読ませたい」と思って書かれた本なんですよね。

ええ、そうです。書き始めたのが2010年の5月で、ちょうど三姉妹の長女が小学5年生になったころでした。当時は2008年のリーマンショックの余波で、「世の中がどうなっていくかがわからない」という雰囲気が漂ってました。そんな時代に、子供に少しでも今起きていることの原因や意味を知ってほしかった。それと、小5になって娘が自分でお小遣いの管理をするようになったんですね。そろそろお金の使い方、付き合い方といった教育がいるよな、と思った時期でもありました。

初めは「なにか良い本はないかな」と探したんです。学習系の漫画みたいなヤツとか。でも、ひとことで言うと、どれも物足りない。みんな、どこか「上から目線」で、中身も教科書的。「お金の基本的な役割は価値の交換・尺度・貯蔵の3つです」とかね。これではお腹にドスンとこないし、娘は絶対に読まないな、と思ったんです。「金持ち父さん貧乏父さん』みたいな柔らかい読み物も探したけど子供向けは良いものがない。それで、まぁいいか、もう自分で書くか、となって。

ーーそこで「書くか」となるのがすごいです。

実は、長女が低学年のときに、すでに家庭内連載を1本終えていて(Kindleで個人出版した童話「ポドモド」)、前例はあったんです。その前には、子供を寝かしつけるときに、魔女の女の子の話や冒険モノなんかを連載みたいな感じでやっていたり。その延長上で「次はお金をテーマでやろう」と。本業が新聞記者ですから、文章を書くのは抵抗がない。むしろ、いつもお堅い記事ばかり書いているので、自分がもともと持っている軽い文体で物語を書くのはストレス発散にもなりましたね(笑)

ーー小説仕立てにしたのはなぜですか。

飽きっぽい我が娘に読み通してもらうためですね。面白い物語になっていないと、他の本に逃げられてしまうので。

「これで行ける」と思ったのは、構想を練っていたある晩、布団のなかで「お金を手に入れる方法は6つあるのか」と気づいた時でした。5つ目まではわりと簡単だけど、6つ目は意外で、なかなか気づかない。これを最後の謎として引っ張っていけるな、と。あとは、舞台設定だけ決めて、細かいことはあまり考えずに書きはじめました。
家庭内連載のオリジナル版は、もっとギャグや話の筋と関係ないウンチク、内輪ネタがたくさん入ってました。これも涙ぐましい読者引き留め策です。そのあたりは本ではバッサリ削ってます。

ーー娘さんのウケはどうだったんでしょうか。

初めから長女に「早く続きを書いて」と言われたので、「つかみはOKだな」と。そのうち、3歳違いの次女も読むようになって、この子が「次の、まだ?」とせっついてくれましたね。休みの日にお父さんが続きを書いていると、「えらい、えらい」とアタマをなでてくれたりして(笑)。原稿は当初は月1本くらい、悪くても3カ月に1本くらいのペースで書いて娘に渡していました。ただ、本業の記者稼業が忙しくなると止まっちゃうわけです。2013年からはかなりペースが落ちて、2014年は丸1年書いてないんじゃないかな。

ーー休載を挟んで通算7年、よく最後まで書き切りましたよね。

サボっていると、主要キャラの3人が夢に出てきたり、考え事をしているとアタマの中に割り込んできて、催促するんですよ、「続きを書け!」って。カイシュウ先生は「言いたいことあるんだけど!」とウズウズしてるし、ビャッコさんは「わたしの悩みはどうなるんですか」と迫ってくる。これは最後まで書かないと3人に悪いなと思いました。かっちり構想を決めてなかったので、物語がどう決着するか、自分でも書いてみないと分からなくて、「この人たち、どうするんだろう」と気になったのもあります。

2016年に仕事でロンドンに赴任したのも大きかったです。最後の4分の1ほどは、ロンドンに来てから書きました。仕事はそれなりに忙しいんですけど、時差の関係でだいたい夕方ごろに解放されるという、とってもホワイトな労働環境でして(笑)。平日の夜や土日に、まとめて執筆の時間がとれるようになりました。ロンドンの職場の仲間に「娘向けにこんなの書いてるんですよ」と見せたら、「オチが気になるから早く完結させて」と催促されたのもある。

ーー主要キャラ3人のうち、謎の大男・カイシュウ先生が高井さんとかぶってくる印象です。

自分の分身を登場させたつもりはないんですけど、物事の説明の仕方というか語り口なんかは似ているかもしれないですね。価値観も近い、かな。バスケも共通項ですね。私は2メートルに30センチほど足りないので、ポジションはガードでしたが。

「人間の脳は、お金を理解するのに向いてない」

ーー「大枠しか考えずに書き始めた」ということですが、「ここは絶対におさえておきたい」というポイントはどこでしたか。

まず伝えたかったのは「お金っていうのは勝手にわいてくるものじゃないんだよ。誰かが価値を生まないとお金は生まれないんだよ」ということ。作中でいう「かせぐ」ですね。それがないと、世の中は豊かにはならないんだよ、と。「君のお小遣いは、父ちゃんが稼いでるんだよ」、と(笑)。お父さんだけじゃなく、世の中が回っているのは、誰かが働いているから、価値を生んでいるからなんだよ、と。

もうひとつは、お金というのはすごくトリッキーなものなので用心しなきゃいけない、ということです。人間の脳はお金を理解するように進化してないので、簡単にこのトリッキーなものに振り回される。お金や、それに密接に関係する金利や確率という概念は、せいぜいここ数千年で生まれたものです。数十万年、数百万年という人類の歴史と比べるとごく最近の出来事で、要は慣れてないわけですよ。だから賢い人でも、お金ですごく簡単に失敗する。その失敗、お金の落とし穴みたいなものを、娘たちには転ばぬ先の杖でなんとか回避してほしいと思ったんです。だから作中では「安易に借金なんかすると大変なことになるよ」「世の中には悪い奴、盗む奴がいるから気をつけろ」ということを、実感として伝わるように繰り返しています。

はじめはこの、「お金は大事」と「お金は怖い」という2つのメッセージを伝えられれば良いと思ってたんですけど、書いているうちにどんどんテーマが広がってしまいました。
お金というのは世の中の裏側にへばりついているというか、社会と表裏一体なので、「財布の中のお金をどうしたらいいの?」というテーマをきちんと書いていくと、どんどん世の中の仕組みそのものの話になってしまう。「お金は誰かが稼いでいるって言うけど、じゃ、そもそも『かせぐ』っ何なの」となるわけです。うちの長女は疑問があるとドンドン突っ込んでくるやっかいな性格なので、私のアタマの中の『バーチャル長女』に攻め込まれないように、ロジックの穴を埋めたり、全体像を描こうとしたりするうちに、予想より大ぶりな読み物になってしまいました。実際の感想は「面白い」とか「早く続き書いて」とかだったので、わたしの独り相撲だったのかもしれませんが(笑)

ーー書くうえでテーマ以外に気を配ったのはどこですか。

肌感覚で伝える、ということですね。私は亡くなったコラムニストの山本夏彦さんの大ファンなんですが、彼は「ポケットの中の千円札から天下を語る」というようなことを書いてます。自分はそれしか方法を知らない、と。

「おカネの教室」でも、10円玉、100円玉、500円玉、1万円札あたりが地に足のついた議論の主役で、100万円はちょっと別枠なものとして出てきます。肌触りがないような桁の話って、やっぱり人間にはよくわかんなくなっちゃうんですよ。金利が何パーセント、というのも感覚的にどういうことかパッと理解できない。お金の罠ですね。
だから、100円玉や1万円札から考えて、基礎体力をつけないといけない。自分のなかにそういう軸みたいなものを持たないと、話が大きくなったときに、ちゃんとお腹に落ちてこない。大ぶりなテーマについては、ビャッコさんという女の子の悩みという枠組みのなかに位置づけて、感情移入しながら読めるように工夫しました。

「借金は人生最大のトラップ」

ーー「お金は怖い」という実感は20年以上の経済記者としての経験から来ているのですか。

「借金の危うさ」を記者として感じたのは、4年いた関西で商工ローン、企業向けの高利ローン業界の担当をやっていた時です。当時は商工ローンが大きな社会問題になって、連日ワイドショーで取り上げられていた。取材していて「これは地獄だな」と思いました。

それ以上に大きいのは個人的な経験です。実は私が小学生のとき、自営業だった親の会社の経営が行き詰まって、けっこうな額の借金を作ってしまったんです。ですから、子供のころの我が家はそれなりに貧乏でした。まあ、住んでいたい地域や時代からして、貧乏な家庭がそれほど珍しかったわけではないし、子どもは暢気なものでしたが、育ち盛り、食べ盛りの男の子を三人も抱えて、両親は大変だったと思います。実際、お金で苦労する姿を見て育ちました。零細自営業の家庭というのは、子供がそういう実社会に早くから触れやすいものです。手伝いで自分を労働者と意識するし、お金に汚い大人や質の悪い下請けイジメなんかを嫌でも目にする。

そんな環境で育って、大学生、社会人となってから我が家のことを振り返る機会ができたりして、借金そのものや金融リテラシーの欠如が招く怖さを痛感しました。「借金ってのは、人生最大のトラップのひとつだな」と。

身近な例だと、たとえばリボ払いなんて簡単に手を出せるけど、残高が許容範囲を超えたら、もうほぼゲームオーバーなわけです。脱出不可能。でも、先ほど言った通り、人類はお金を扱うのが苦手なので、まともな知性がある人でも間違えちゃう。基礎の基礎を身につけてないと、取り返しのつかない間違いをあっさり犯してしまう。

ーー金融関係の本では「どう儲けるか」という視点が多いですが、この本はリテラシーや教養に重点を置いているところが異色ですね。

そもそも娘向けの読み物でしたから、具体的なノウハウじゃなくて、「かせぐ」という行為自体について、つまり自分がどうやって社会の一員として立ち位置を探していくか、職業を選ぶとはどういう意味があるのか、という問題意識が先に来ています。お金が、社会を回す、あるいは経済が成長するうえで果たしている役割といったテーマもその延長線上にあるものです。

本書の中でいうと「ふやす」、つまり資産運用について、ノウハウのようなものを盛り込むという選択肢はありました。今回の書籍化でそこを補足する手もあった。でも、すでに「ふやす」ための本は、どれを読んで良いか分からないくらい世にあふれています。「定石」のようなものもある。無駄遣いしないで地道に積み立てるお金をつくって、低コストで長期運用志向の商品をリスク許容度に応じて組み合わせる、といった感じで。この「定石」を身につけるのはそんなに難しくないし、あえてこの作品で書く必要はないかな、と。3人のキャラの関心からもずれて物語の流れが緩んでしまう恐れもあって、やめました。

もう少し突っ込んだ話をすると、私自身はこの「定石」に何となくすっきりしないモヤモヤ感を持っていることも取り上げるのを見送った理由の1つです。

お金というかマーケットを中心とした金融資本主義っていうのは、本質的に非常に不安定なものなので、リーマンショックのような危機を繰り返しています。最近だとビットコインがバブルのように急騰してその後暴落しましたよね。規模や社会への影響には差がありますが、同じようなことが繰り返されている。
そういう危機に対する「定石」の処方箋は「耐えろ」です。危機は一時的なので、そこはむしろ買い場だ、うろたえるな、という。
この「耐えろ」という手法に対して、「備える」という別のアプローチもある。『反脆弱性』(ダイヤモンド社)などの著者のニコラス・タレブがそうです。不安定で予測不能なことがマーケットを含む人間社会の本質なのだから、そうしたリスクにこそ備えが必要だ、という発想です。私は彼に考えが近いのですけど、それにはかなりの見識と強い自制心がいる。さすがにハードルが高すぎるので、今回の本では見送りました。取り上げるなら、続編ですかね(笑)

「経済ってこんなに大切で、面白いのか、と」

ーー「おカネの教室」という作品には、「お金は怖い」と「お金は面白い」という思いが両方含まれているようです。高井さんが考えるお金とは、どういうものでしょうか。

「お金は怖い」という話をたくさんしたので、「お金は面白い」「お金は大事」という方を話しましょうか。

私は1995年に記者になったときに株式市場と資産運用業界を担当したのですが、それまで恥ずかしながら株式や経済の仕組みをほとんど知らなかったんです。自営業の家の子供の常で世間知のようなものは人並み以上にありましたけど、経済理論とかお金と経済全体の関係とか、何も知らなかった。「まぁ、なんとなく、こうなんだろうな」という程度の認識しかなかったんですね。

新聞記者というのは幸せな仕事で、その業界のトップ、第一線の人たちに直接、話が聞ける。自分の子供みたいな奴がくると、「お前、何もわかってないな」といろいろ教えてくれる人がいるわけです。社内にも経験も見識も豊富な先輩記者がいて、刺激をたくさんもらえる。

そうしたものを私なりに消化して、1年半くらいたったとき、資本市場に参加する、株式投資でお金がお金を生むというサイクルに参加するのは、自分にも世の中にもメリットがある行為だし、これを誰かがやらないと世の中が回らないじゃないかと、ストンと腹に落ちるような時が来たんですね。お金を回さないと日本という国全体が元気にならないのに、日本人はずっとそれを避けてきたんだ、ということにも思い至った。ぼんやりと全体像がわかってきたんです。

そうした目で見ると、それを何とかしようとしている人がたくさんいるのにも気づいた。賛否はありますが「ビックバン」という金融改革がおこなわれたり、さわかみ投信という、旧弊に縛られない独立系資産運用会社が生まれたり、資本効率を重視する経営者が出てきたり。そうした「お金をうまく活かそう」という流れと、バブル期の負の遺産の不良債権問題が綱引きをしているような時代でした。
いったん「軸」ができてみると、日々の経済ニュースのつながりやインパクトも実感できるようになって、「経済やお金、マーケットというものは、こんなに大切で、しかも、こんなに面白いのか」と、どんどんのめり込みました。

ーーお金や投資のことは大事だな、とは思っても、なかなか踏み出せない人が多いですよね。

「世の中を変えよう」という人たちが増える一方で、20年前のそのころは、株式投資なんてのは金持ちの道楽みたいなもので、庶民が欲をかいて手を出せば最後は損するんだ、というイメージも強かった。まだまだ、そういう時代でした。バブルの反動もあったでしょうし、根っこの部分で、お金そのものや投資を汚いとか胡散臭いと見る風潮は強かった。

その後、株式相場が長期で上昇する時期が何度かあったことや、日本人の意識が少しずつ変わって、投資家の裾野は地道に広がってはいます。でも、日本人全体でみたら、自分で理解して投資に取り組もうという人は少数派でしょう。「ちゃんと考えたことすらない」という人が多いと思う。なんでかと言えば、めんどくさいんですよね、単純に。株式投資やそれが経済の中で果たす役割なんて、入門書を読めば分かる程度のことです。でも、まぁ読まないですよね。我が娘がそんな本を読むかと考えても、絶対に読まない。ほとんどの人が、知らないまま大人になるわけです。

で、30、40歳になって、貯蓄と投資のことも考えてみるか、と意識が向かった時に初めに手に取るのは、たいていノウハウ本なんです。でもノウハウから入ると、土台ができていないので、自分が何をやっているかよくわからない状態になる。手っ取り早くお金を増やそうとして、運が悪ければ、いきなり痛い目にあう。

やっぱり、そういう行為にどう自分が携わっていくべきかという、軸を持った方がいいんです。脇道にそれたり、迷子になったりしないためには。

とはいえ、「日本人の金融リテラシーが低いから俺が変えてやる」なんて大胆な発想からこの本を書いたわけじゃありませんよ(笑)。「自分の娘には大人になる前にこれくらいは知っておいてもらいたい」と思ったことを書いただけです。

「市場経済への信頼が揺らいでいる」

ーー本には「お金には信用や信頼が欠かせない」と言う部分がありますよね。一方で、格差問題やオフショアの部分を読むと、「いや、全然信用できなくないか…?」と思ってしまいます(笑)。

お金が持つプラスとマイナスの側面は、表裏一体で切り離せない。それはお金が人間社会を写す鏡でもあるからですよね。お金というものが成立するには「信用」が不可欠というのは間違いない。これは人間の本性でもある。お互いを信頼し合うことで、より多くの価値を生んで支え合う。

でもそれは、すごく簡単に悪用できる仕組みでもある。生き物としての人類は、お金の扱いに慣れていないからです。この弱点も人間の本性です。金融の知識に長けていて、その弱点をついてお金を悪用する連中というのはいつの時代も必ずいる。そういう輩を作中で「ダニ」と書いたわけです。

このダニ軍団を何とかしないと資本主義というシステムがおかしくなっちゃうよ、という議論はリーマンショックのちょっと前から行われていました。たとえばインドの中央銀行総裁だったラグラム・ラジャンというエコノミストが共著者になっている『Saving Capitalism from the Capitalists(資本主義者から資本主義を守れ)』という本は金融危機の数年前に出ています。皮肉の利いたタイトルで、健全な資本市場を軸としたCapitalismを、それを悪用しようしているCapitalistsから守れ、と。そういった問題意識の研究や著作は、リーマンショック後にはすごく増えました。資本主義、市場経済への信頼が揺らいでいるんですね。

ーー正直、株式市場や経済って、実感を持ってわかりにくいところがあって。資本主義が危ない、という話もなかなか自分ごととして捉えられないように思います。

株価が上がるのは、基本的には「景気や企業業績が良くなっている」ということですよね。企業がより多くの価値を生んでいるから株価が上がる。市場経済においては、企業が儲かるのは本来、世の中が豊かになるのとニアリーイコールのはずなんです。経済の主役は民間企業であり、株式を上場しているような企業は大きな影響力を持っていますから。

でも、今、問題になっているのは、企業の利益が増えて世の中が豊かになっているはずなのに、その実感の裾野が狭いことなんです。なぜか。単純化すると、分配がゆがんでいるからです。会社がもうかっても従業員の給料はなかなか上がらなかったり、大もうけしている企業がちゃんと納税をしなかったり、という問題がある。
納税という面では日本はマシな方だと思いますが、欧米大企業の節税はすさまじい。みんなが知っている超有名企業でも、すごく複雑な節税スキームをつくって少額の税金しか払っていない会社はいっぱいある。問題は、それは違法行為じゃないってことです。むしろ節税をちゃんとやらないと株主に叱られるし、バカ正直に税金払ってたらライバルに買収や研究開発で遅れをとってしまう。節税して資本を手元にキープする企業と比べて、複利効果でものすごい蓄積の差が出てしまうから。誰もこのゲームから降りられなくなっている。

ーーみんなが一斉に「税金払いましょう」となったらいいけど、そんなことないですもんね。

それは企業単位でもそうだし、国単位でもそうです。格差問題をどうにかしなきゃいけない、分配システムを修復しなきゃいけない、というのは薄々みんな気づいている。でも、現実に起きているのは、国同士の法人税の引き下げ合戦です。たとえば米国。トランプ氏は反エリート感情や格差への憎悪みたいなものを背負って大統領になったはずなんです。でも、彼の経済政策は富裕層への減税とか、格差を助長するものばかりです。解決策を示すどころか、今ある問題をよりいっそう膨らまそうとしている。

トランプ政権を例に挙げましたけど、問題の根はもっと深い。米国では昔から多くの会社が登記上の本社をデラウェア州に置いてます。事情を知らない人には、なんでデラウェアなんだよ、そもそもソレどこだよ、って感じですよね。なぜデラウェアかと言えば、税率が低くて、企業への規制も極めて緩いからです。米国内のタックスヘイブン、租税回避地なんですね。会計上の利益を最大化するには、本社をそこに置くのが合理的になってしまっている。
欧州にも同じような仕組みはあります。EU(欧州連合)の中なら、アイルランドがそういう存在です。「そんな西の外れより、もっと真ん中のほうに会社や工場を作ればいいのに」と素朴に思いますよね。でも、税率引き下げ競争の結果、アイルランドの存在感が不釣り合いに大きくなってしまっている。イギリスも旧植民地や王室直轄領を結んだタックスヘイブンのネットワークを持っている。

こうした歪みや格差を「なんとかしなきゃ」というのは、ずっと言われていて、ちょっとずつ直そうとはしている。でも、問題の大きさと対策が全然つり合わないんですね。だから、今、世界中で市場経済やグローバリズムに不信感を持つ人が増えているのだと思います。

「ビットコインは大きな問題提起をしてくれた」

ーーそういう中で、今、日本でも「お金を改めて見直す」ということが注目されています。特にビットコインの騒動があって以降、その傾向が強いですね。いまの、お金を取り巻く環境をどう見られていますか。

ビットコインへの関心を一気に高めたのは「欲」ですよね。値上がりするのを見て「買っとけばよかった」と後悔し、「今からでも遅くないかも」と思うわけです(笑)。これは過去のいろんなバブルと同じ心理で目新しいことじゃない。

ちょっと違うのは、仮想通貨に関心を持ってみると、「あれ、こんなのありなの?」っていう素朴な疑問が湧いてくるところです。一部だけど仮想通貨で支払いが可能なサービスやお店があるし、「これって、一応、『お金』なんだ」という素朴な驚きと戸惑いがある。誰もがスマートフォンでITサービスを享受する時代に、ITを使った『お金』が生まれた。

そこからもう少し深く考えると、これって普通のお金とどう違うんだろう、という疑問が浮かんでくる。支持者は「ビットコインは無国籍通貨」だと言いますよね。国家がコントロールする従来の通貨とは違う、と。これはコスモポリタン志向の人には魅力的に響くわけです。その裏では、世界中で進んでいる政府に対する信頼感の低下がある。リーマンショックや、あるいはその前から進んでいた格差問題といった市場経済の制度疲労で、だんだんと今の経済はおかしい、大半の人間にとってメリットがない仕組みになっているんじゃないのかという考えが広がっていた。そこにカウンターカルチャーのようにビットコインが浸透した。
金融危機後に各国の中央銀行がとった異例の金融緩和も、「今の貨幣制度って、もうもたないんじゃないか」という不安を後押ししたのでしょう。昔ならそういう時はゴールド、「金(きん)」が選択肢として買われたんですけど、ビットコインの方が目新しくて格好いいし、ものすごい勢いで急騰したので、そっちにお金が流れた。

経緯はともあれ、普段は考えない「お金って何だろう」という疑問に向き合うきっかけができたことは、とても良いことだと思います。ビットコインが大きな問題提起をしてくれた。「お金とは何か」というのは、考えれば考えるほどわからなくなるテーマなので、簡単には答えが出ない。だからこそ、考えること自体に意味があるように思います。

ーー今、高井さんがいらっしゃるイギリス(注:3月まで2年、ロンドンに住んでいました)は、日本と比べてお金や経済に対する考え方や距離感みたいなものに違いはありますか。

今の資本主義や市場経済のモデルを作ったのはアングロサクソンで、株式会社を中心に富を再生産するシステムの元祖はイギリスです。経済については大人の国というか、お金が汚いといった感覚はないですね。外交でも、もうかることなら、多少、評判やプライドが汚れようがなりふり構わず国益を追求するところがある。

ただ、この国でも従来のシステムはうまく回らなくなっています。イギリスは先進国の中ではアメリカと並んで格差がすごく大きい。アングロサクソンモデルの影響にくわえて、元々、階級社会で貴族と労働者階級は別世界に住んでいるような国ですから。中流階級にとっては、若いうちにローンを組んで家を買って、リタイアする頃にはそれが一財産になって老後は安泰、みたいなモデルがあったんですが、今の世代には不動産が高くなりすぎて手が出ない。買うどころか、家賃を払うのも厳しい。だから、若い世代の感覚が違ってきているんですね。資本主義の母国とも言えるこの国で「資本主義って、もうダメだろ」と考える人が増えている。

イギリスは2大政党制で、いま政権を握っている保守党は伝統的に市場経済重視ですが、もう一方の労働党が最近復活してきた。いまの党首のコービン氏は古参の社会主義者なんですが、20、30代の人たち中心に彼を支持する草の根組織が急成長して影響力を増している。若者の社会主義的な傾向は米国やフランスにも共通する、おもしろい現象です。冷戦期を知る我々の世代からすると、「それ、もう派手に失敗した路線なんですけど」と思うわけですが(笑)。

ーー日本でも同じようなことが起きますかね。

日本経済はバブル崩壊後の最悪期は抜けてますし、経済統計上は景気も良くなっている。実際、新卒採用はものすごい売り手市場になっている。イギリスや南欧の若者よりは、少なくとも短期的にみれば置かれている状況は悪くないかもしれない。でも、若い人を見ていると、もっと深いところで私たちや一つ上の世代なんかとは違う、意識の変化を感じますね。ワークライフバランス重視というか、必死で仕事するよりほかに楽しいことあるんじゃないの、という気持ちが強そう。一方で起業して一発当ててやるぜという人も昔より多くて、二極化してるような印象です。いずれにしても、怒りをエネルギーに社会を変えてやろう、というパワーみたいなものは感じないかな。欧米の若者は、デモなんかへの参加も盛んで、一部の連中は火炎瓶投げたり、車を焼き打ちしたり、良い意味でも悪い意味でもパワフルです(笑)

それでも、今の市場経済や資本主義に対して、「これで大丈夫なの?」と思う気持ちってのは日本の若者にもあって、やっぱりその根底には格差問題、富の分配の問題があると思うんです。今の状態って、どこかおかしいんじゃないか、と思う人が増えている。そういう意味では、日本とイギリス、あるいは他の欧米諸国には共通部分がある。

ーー最後に、読者の皆さんに一言、どうぞ。

いろいろと小難しいことを言いましたが、基本を押さえるという意味では、経済や金融ってそんなに難しい話じゃありません。「おカネの教室」も、「ちゃんと読めば誰でもわかる」ように書いたつもりです。なにしろ、元が自分の娘向けの読み物ですから。数式がない数学の本みたいに、経済用語はできるだけ避けて書きました。お金なんて、誰もが日々、使っているわけですから、フツーの言葉でフツーに話せば、「言われてみればそうだよな」と、分かるはずなんです。

そういう敷居の低い本ですのでどなたにでも気軽に手にとっていただきたいですし、何より、私自身、カイシュウ先生とサッチョウさんとビャッコさんという、7年間付き合った3人の登場人物たちの住む世界をとても気に入っています。経済や金融の入門書としてだけじゃなく、笑ったり怒ったり悩んだりする彼らの物語を多くの人に楽しんでもらいたいですね。

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