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博多弁で昼飲み

吉祥寺の丸井前で待ち合わせして、タナカ君と駅前の焼き鳥屋で昼飲みをしました。

タナカは福岡の高校の同級生。つまりは半世紀に近い親交があるわけですが、このところなにかと相談にのって貰う案件が多く、頻繁に会うようになってまだ1年です。

「用事で東京行くから、午後、ビールでも飲もう」

とメールを貰ったのはほんの前日。新幹線と中央線を乗り継いで吉祥寺くんだりまで来てくれるというのには緊張しました。アルコールをふだん滅多に口にしないものですから、昼間からビールを出す店はホテルのラウンジか昼夜通しでやっているイタリアンくらいしか思い浮かばなかったからです。しかも、井の頭公園の桜はこれからが見ごろ。小洒落た店は平日でも、どの時間帯でもごった返しているに決まっています。

とまれ、オチはタナカには「昼飲みのできる店」の当てがあったということ。なんでも学生時代を西荻窪で過ごした、というではないですか。吉祥寺は彼にとっても折に触れ帰るべき地元だったというわけです。

さて、タナカが目星をつけた店は図星でした。まさに「昼間っから昼飲み」のメッカの様相を呈していました。

「年寄りばっかやん」

とは、店に入ったタナカの博多弁第一声。我々二人は「年寄り」枠の外と言わんばかりの口ぶりです。

「世の中、案外暇人が多かね」

こちらは僕の口をついて出た博多弁。なにげにマウントを取っているようで、その実、言う本人も「多忙」にはほど遠く……。

2時間強過ごした後、割り勘で店を出ましたが、現金出納係を買って出てくれたタナカに2千円託したにも拘らず、お釣りが千円来ました。訊けば、合計でたった2千7百円余だったとか。アルコール摂取量で按分すればタルミのお釣りはこんなとこたい、との説明でした。ビール2杯ですっかりできあがっていたことと相まって、もはや昼飲みマジックの虜です。

閑話休題。博多ではちょっとは名の知れた温泉宿「大丸別荘」の前の社長が自死した、というニュースは世間から驚きをもって受け止められています。もちろん、温泉の衛生管理上の問題が次々と発覚してからの展開があまりにもジェットコースター然としていたこともありますが、あの、世に言う「開き直り会見」の社長(当時)のイメージと人知れず自ら命を絶った「失意の人」のイメージとがあまりにもかけ離れている、と多くの人が感じたのだろうと思います。

ただ、僕はあの「子どもの頃から(いま世間が一斉に不潔と叩く)うちの温泉に毎日入ってきましたもんで」という発言は「開き直り」とはほど遠いと感覚的に理解しました。そして、

「なにこの社長。どうしちゃったの? 信じられない……」

とテレビの会見を観てただただ呆れる家人に向かって、僕は社長の胸中をこう代弁してみてもいます。

「あのね、同郷だからか……僕にはこの社長のおとぼけぶりにむしろ彼の弱さや愚直さが透けて見える気がする。心が弱っていればいるほど、こんな素っ頓狂な態度、言葉になりがちなんよ、概して博多の人間は。家族や従業員、ひいてはお客さんに旅館は大丈夫、自分もへこたれてません、といいたいがあまりの空元気? 空気の読めなさ? ほんと馬鹿だよね」

この場合、「ほんと馬鹿だよね」は「社長」のことであり、僕自身のことでもあったわけですが、それでもこのときは自分の直感に百%自信があるとは言い切れませんでした。「元社長自殺」のニュースに接して、直感は確信に変わったのでした。

別に博多弁に限ったことではないと思いますが、同郷の友人、知人、あるいは赤の他人とでも、訛りと標準語のちゃんぽんで語り合えることは素晴らしいことだな、と最近とみに思います。博多の重力からできるだけ遠くに身を置くことが成長の近道なのだ、と盲信していたような一時期——それも、けっこうな長い年月——がありましたが、どうやらその限界が見えてきたとき、自分に掌(たなごころ)の言葉と、それも含めて飾らない自分でいられる友がいる有り難さを改めて痛感します。

だいぶ前のことになりますが、JR博多駅ホームのベンチで背中合わせになった高校生カップルの、

女子「うちのこと好いとーお?」
男子「好いとーくさ。言わんでも分かっとろうもん」

ではないですが、行間の深い余韻を味わえる言葉と人間関係をもっと大切にせねば、と思いつつ、昼飲みの酔い覚ましに薄暮の御池のダッグボートたちに一羽、また一羽と挨拶をしながら、歩いて家に帰りました。




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