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吉田キミコ画のある風景③: 大きなキミコ画のある部屋が好き

「大きな絵」を壁に掛ける醍醐味は、1枚の絵が部屋全体の秩序を規定すること、これに尽きると思うのです。そんな魔法のような所業は、大テーブルにも長尺カウチにも75型テレビにも豪華シャンデリアにも決して真似できません(そのどれも持ってはいませんが)。

2009年9月からの1年を再びニューヨークに暮らしました。マンハッタン東61丁目のアパートメントからMoMAもMETもグッゲンハイム美術館も徒歩圏内でしたが、なんといっても「歩いてすぐ」はホイットニー美術館でありました。もっとも、同美術館が現在のミートパッキング地区ではなく、まだアッパーイーストサイドにあった頃の話です。

週末ともなると、ニューヨークタイムズ
の分厚い「日曜版」を小脇に抱えてはホイットニーの人となるのが至福のときでした。とは言え、毎回「入館」するのはお金が嵩むものですから、たいがいは美術館付属の、半地下のカフェでその新聞の隅々にまで目を通したあと、帰りに1階のミュージアムショップを冷やかして帰る。それならお茶代だけで済みます。「フリーミアム」と言えるのかどうか。美術館の入場無料エリアに馴れ親しんだ人々は、やがて機会を捉えてホンモノの「入館者」になるやもしれません。フリーミアム戦略は、移転なった新生ホイットニー美術館の1階「レストラン」にも、金沢21世紀美術館の内部に迷い込める「自由通路」にも通底しているように思えます。

さて、その旧ホイットニー美術館のミュージアムショップで出会ったのが、所蔵絵画の複製の自動額装販売機。そんな自販機、後にも先にもここでしかお目にかかったことがありません。好きな絵を選び、何種類かあるフレームの中からひとつを選んでクレカ決済すると、あらあら不思議、バッチリ額装なった複製画が取り出し口からガチャンと出てくる……ハズもなく、製作から配達には10日間だったか、2週間だったか……なおも時間を要す、という仕組みでした。「複製画」とは言えそれなりに値が張るものですから、現物を手にするまではハラハラドキドキ不安な気持ちにさせられる、自販機ならぬ「自不安機」(自ずと不安にさせる機械)でありました。

しかして、その後、額装なったエドワード・ホッパーの「日曜日の早朝」はきちんと東61丁目のアパートメントに配達されたのであります。するとどうでしょう。それまであんなにも殺風景で無個性だった我が家のリビングの表情が一変したではありませんか。以来、「額装のホッパー」はニューヨーク、札幌、東京……と転居のたびに僕の引っ越しに帯同してくれまして、今日に至っています。

ただ、「額装のホッパー」くんには申し訳ないことこの上ないのですが、吉田キミコさんの大きな油絵が一枚、また一枚と我が家にやって来るうちに、だんだんと辺境の地に追いやられてしまっています。「日曜日の早朝」の現在の所在地は、札幌のマンションのウォークインクローゼットの中なのでした。

かたやキミコさんの絵は、お迎えするたびに、額装に気を配るのはもちろんのこと、掛ける壁のペンキ塗りまで持ち主(=僕)自らの手でやってから、慎重に慎重に位置決めしているような次第。とりわけ、キミコ画に特徴的なバーミリオンの発色を引き立てるペンキの色選びには気を遣います。ペンキそのものももちろん輸入ペンキ——最近はもっぱら英国製のFarrow & Ball*——です。

*Farrow & Ballのペンキを安価に入手するためメルカリを最大活用していることは、別のnoteの文章に書きました。

さて、もはやキミコ画のない我が家の部屋を探しおおせることは不可能です。我が家全体の秩序は吉田キミコ画によって保たれているといっても過言ではありません。例えば、二人の息子にとって、札幌に住もうが、東京に住もうが、室内のレイアウトや窓から見える風景の違いこそあれ、壁に掛かる絵は常に吉田キミコ画伯作でしたから、キミコ画のある風景=「実家に帰ってきたあ」となるに違いありません。ましてや、息子の息子——孫ではありませぬ、「息子の息子」です——に至っては、生まれて初めて鑑賞した絵画、すなわちアートの原体験が吉田キミコだなんて、なんて幸せな息子の息子でしょう。とりわけ、キミコさんの絵に欠かせない犬さんや兎さんや豚さんはいまや彼の大切な仲間なのです。

ただ、我が家の壁の数は有限でして、もはや「大きなキミコ画」を掛ける余白が限界を迎えつつあります。また、キミコ画の素晴らしさは、息子や息子の息子や息子のお嫁さんのみならず、広く多くの人々に開かれることが大切なのだ、と考えるに至っています。「鉄道王」「鉄鋼王」で、あの「カーネギーホール」のアンドリュー・カーネギーは言いました。「持てるモノは死して後世に遺すよりも、「管理者」として生きて活かすべきだ」(カーネギー『富の福音』より意訳)と。——僕が「吉田キミコ美術館」をいま、どうにか実現に漕ぎ着けたいと切に願う所以です。


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