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#46 本当にあった留置場エピソード

留置場での生活については、前話で紹介しましたが、その他の...

・入って早々に"市長"と呼ばれたこと
・被疑者として警察官が来たエピソード
・護送車に乗った時のエピソード
・担当さんたちの話

私にとって印象深かったことをいくつか紹介したいと思います。

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留置場では、今でも忘れられない出来事がいくつもありました。
まずは留置場に入って間もなく、数名から"市長"と呼ばれたことについて。
取調べが終わっても続いた接見禁止。外部からの情報は、弁護士との面会または留置場内で回ってくる新聞のみ。その新聞すら、留置場内の人間に関係するものは切り抜かれていました。

ただ、この切り抜きが面白い役割を果たします。
一般的に、被疑者は逮捕当日の遅い時間か翌日に連行されます。
そのため昨日の新聞で扱われていた事件が、翌日から切り抜かれていることもしばしばありました。様々な事件がありましたが、牢屋の中にいると
(あ、きっとあの事件の容疑者だ)
と思うようなことが何度もありました。
そしてその翌日、切り抜かれた新聞で予想が判明する、といった具合です。
なぜ市長と呼ばれるのか、頭の中は疑問符でいっぱいでしたが、ようやく理解しました。

次に、警察官が被疑者として連れられてきたエピソード。
私の取調べ期間が終了し、牢屋の中で過ごしていた時のことでした。新聞で「愛知県警の警官が危険ドラッグ所持」と「警察官が盗撮」2つの事件を見ました。

私が留置されていた尾張留置施設は、一時的に愛知県警本部の留置場の代わりとなっており、私を含め、新聞に載るような愛知県内の事件の容疑者が連行されていました。
先述の切り抜き以外は、当然のことながら誰がどんな事件で入ってくるのかは分からない原則になっていました。しかし、容疑者本人と担当さんとの会話で、私の牢屋の両隣に入ってきたのは新聞で見た2人の警察官だとわかりました。

その2人は容疑者だけれども、愛知県警の警察官。言ってみれば、担当さんたちの同僚になるわけなので、留置場の人たちが彼らにどのような対応をするのか、私は少し注目していました。

私は、担当さんたちから大変親切にしていただきました。また、私以外の人たちにも冷たい対応をするような姿を見たことがありませんでした。しかし、この警察官の容疑者2人への対応は驚くほどに冷たく、厳しいものでした。
「これくらいのこと警察官なら分かっているだろ」
「いちいち手間がかかるようなことをさせるな」
隣で見ていて怖いくらいの対応でした。

数日が経ってから、担当さんに聞けるタイミングで
「どうして、あそこまで厳しい対応だったのですか?」
そうストレートに聞いてみると、
「同じ警察官として、悔しいんですよ。多くの警察官が一生懸命やっているのに...」
たった1人の行動が、多くの人が積み重ねてきた信用や期待を裏切ってしまう。
痛いほど、悔しい気持ちが分かる気がしました。

他には、護送車に乗った時のエピソード。
取調べの移動は基本的にセレナでしたが、一度だけ護送車に乗りました。屋根の前方にはパトカーのようなサイレンが付き、青地に白の線が入っているバスのような大きな車です。
護送車は、バスのように複数人を連れていくものです。いくつかの留置場と警察署を経由し、名古屋地検へと向かいました。私と同じように手錠をかけた人が何人も護送車に乗せられ、最後には車内は満席状態となりました。車内には落ち着かない人、同行する警察官に文句を言い続けている人など、危ない空気が漂っていました。

内側に頑丈な金網が張ってある車を見るのは初めてで、自分が被疑者であることをここでも再認識させられました。

最後に、担当さんたちの話。
よく覚えている愉快な話として、担当さんたちが毎晩のように魚釣りの話をしていました。私の部屋が管理室の正面のため、よく聞こえました。印象深く残ってい流のは、おそらく上司にあたる人がイカ釣りについて若い担当さんに毎晩のように語っていたこと。どこの釣り場、どこの民宿、どこの船が良いなど、楽しそうな話でした。なかなか寝付けなかった私にとって、留置場の外の世界を色々と想像させてくれる、有り難い子守唄となりました。

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