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磐梯YOHAKU日記

はじめに

会津若松から一駅隣に位置する福島県磐梯町(ばんだいまち)。キャンパスが存在せず、地域を巡りながら仲間と学び合う大学である、さとのば大学の春季プログラムに参加し、身の回りや関心をテーマにしたマイプロジェクトに取り組みながら1ヶ月過ごした。
これはその中で、僕の目線から「動画のような文章」をコンセプトに、様々な葛藤を抱きそれと同じくらいの気づきを得た1ヶ月間の一部を切り取ったものである。

おおた食堂

大好きなお店。実家のような安心感がよくしっくりくる。ご夫婦で営まれていて、地元の方々のタバコの煙がうっすら香るどこか懐かしい香りのするお店。「またきたの〜」という女将さんの声に安心して同じ席に座る。お客さんで賑わう店内。シンプルな薄い水色の”メニュー”をと睨めっこ。あえて壁にかかっている年季の入った木の板のメニューは見ない。3月7日。求めていたのは幼少期に曇りのない純粋なレンズを通して受け取った人の温かみ。この気づきを大事に抱きしめながら今日もやってきた。食べた煮込みカツ丼と味噌汁はいつも以上に深く、身体に染み渡った。この人生で一番ゆっくりと噛み締めた食事を終えた頃には僕だけになっていた。
親父さんはお話がお好きで、昼食を食べに来たのに陽が傾くまで話して帰るのがいつものルーティーンになっていた。
娘さんがいらっしゃる埼玉に行った時の話をいつも、その時を懐かしむように話される様子が目に焼きついている。東京では伝わらなかった会津弁の話。そして、磐梯の話になると

「磐梯は何もねえべ。でもそれがいいんだい。」

とおっしゃる。言葉に果てしない深みを感じた。半世紀以上も町民を支える食堂の店主として町を見てきたからだろうか。
1ヶ月という短い期間ではこの欠片しか見つけることができなかった。
だからまた来させてください。もっといい姿をお見せできるように頑張ってきます。


未日常と斉藤さん

ばんだいナンデモ交流拠点「未日常」の建物
作業後の斉藤さん

瑞雪の降る昼下がりだった。寒さなど感じられないほどのインタビューへの緊張感を必死に押さえつけながら足早に向かった「未日常」。名前には非日常も日常になっていく過程で、これからの日常を造っていく場所にしたいという意味が込められているそうだ。ここは磐梯町の空き家活用の拠点なんだって。中に入ると木の爽やかな香りに包まれた空間で、丸メガネに長い顎髭が特徴の斎藤拓哉さんが出迎えて下さった。「2階で作業しながらでもいいですか?ちょっとうるさいかもしれないけど」とお試し移住体験に向けて改装作業の横でのインタビューとなるはずだった。
「次は壁を白く塗ってから、畳をフローリングに張り替えるんですよ」と斎藤さんが改装のプランを教えてくださると同時に、瞬く間に押し入れが解体されていった。
もうインタビューどころではない。男心がくすぐられた。気づけば手とズボンは白い塗料にまみれてインタビューの時間を終えた。メモも録音も何一つない。インタビューとしては大失敗だったのかもしれないが、「また明日もおいでよ」という言葉を胸に、高揚感とともに滞在先へと歩を進めた。

斎藤さんの人柄に惚れ込んで、改装の爆音が轟く「未日常」で朝から授業を受け、午後は改装の手伝いをする生活になるのはもう少し先の話だ。


帰り道

三角屋根に、優しい緑色で塗られた建物の珈琲屋さん。コクが深く苦味の強い珈琲ばかり飲んできたので対照的な酸味の持つ魅力を知りたいと伝えると、「じゃあ飲んでみますか?」と試飲でわざわざ淹れて下さった浅煎りで華やかな珈琲とその心遣いに充足感で満ち溢れながらあえて1時間半歩くことを選んだ帰り道。珈琲店で僕らのためだけに試飲を用意して下されば、途中で立ち寄ったパン屋さんでも焼き立てを出してもらった上に「これも持って行きな〜」ともう一つ売り物のパンを袋に入れて下さった。おじいさんおばあさんの温かみを大切に口の中で頬張りながら、一歩いっぽも踏みしめて、巌とかまえる磐梯山を目に焼き付けながら帰路についた。
僕も磐梯の一員になれたかな。


余白・仲間・メモリー

「さあ、成果発表が近づいてきた。」
この憂鬱さに耐えながら今日もパソコンの前に腰掛ける。顔に覇気がない。自分でも分かる。文章に自分の想い・感情が乗っていかない。こんなもの誰にでも書ける。どんどんネガティブになっていく。自分だけ他の3人とは比べ物にならないくらい完成度が低すぎる。あと2日しかない。どうしたらいいんだ。1年ぶりに涙が出そうになった。磐梯での1ヶ月全ての想い出がネガティブなものになってしまう。なんとしてもそれだけは避けたい。

1時間も使ってもらった。講師陣もラーニングアシスタントの先輩方も仲間たちもみんな温かく見守ってくれている。

認めよう。俺にはセンスがない。だけど、それでも一生懸命やってみよう。きっと誰かが見てくれてくれている。

と心に刻み込んで、今まで書いたことのない、全く新しい形式で文章を書いてみた。それがこの文章だ。

この土壇場で僕を支えてくれたもの。それは余白だ。
地域ではなんだかゆっくりと時が流れていく感じがしていたのも余白で溢れているからだと思う。
一度でもいいからネットに載っている情報しか見ない旅行ではなく、ネットに載っていないものを探す旅をして、一人ひとりそれぞれの感性を大切に地域を味わってほしい。心が晴れやかになって浄化されるんだ。


ずっと忘れたくないこの空間・感じたこと。
自分の記憶に、まるで動画のようにいつまでも収めておきたい。

To be continue
まだ未完成。いつまでも未完成。
一生懸命に言葉を紡いでみました。
最後までお読みいただいてありがとうございました。




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