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【小説】コウレイシャカイ 第四話(創作大賞2023•イラストストーリー部門応募作品)


『今日は何かあったの?明日は三年生がブロックCMを撮りに来るから、衣装を持って来てね!』

 下校中のバスの車内、磯棟いそむね実理みりはとうとう学校に戻ってこなかった鹿嶋かしま陵平りょうへいへのメッセージを打ち終わった。後は送信するだけなのだが、その指先にはまだ迷いがある。

(そっけなさすぎかな?逆に踏み込みすぎ?何かあったことなんて明らかなんだけど、具体的に何があったかは知りたいような知りたくないような······というか詮索してるとか思われない?いや実際してるんだけどさ!)

 磯棟を悩ませているのは、鹿嶋ではなくむしろあの金髪碧眼の美女だ。昨日といい今日といい、あの様子からして確実に鹿嶋と何かがあった。だがそれを鹿嶋が磯棟に教えてくれる気配は無い。教えてくれたとして、それが自分の心を砕くようなものだったときが怖い。磯棟は弱気な自分に嫌気が差しながらも結局メッセージの冒頭十文字を削除し、送信する。

 画面に現れた文字列は、やはりどこかそっけない。すぐに既読がつかないのはいつものことなのに、磯棟は追加でメッセージを送りたくなった。

(駄目、やっぱりやめよう)

 磯棟はスマホの画面の寸前で固まった指をピンクのメッシュが入った黒髪にもっていき、くるくるといじる。車窓の外を行き交う自動車は皆ヘッドライトを点けており、すれ違いの眩しさに思わず顔をしかめた。

(············鹿嶋くん、どこで何してるの?)








 再び衝撃音が突き抜け、両足が浮くような錯覚を感じる。

 鹿嶋がホテルのレストランに入ると、エディソンが隅のテーブルに座っているのが見えた。バイキング形式のこのレストランでの夕食の余り物だろうか、クロワッサンが皿いっぱいに盛られている。エディソンがそれらをバターもつけず焼きもせずに貪っているのを引き金に、鹿嶋は空腹感を思い出した。そういえばファミレスでは注文したまま店を出てしまったため、後で金だけでも払いに行きたい。だが今は先にやることがある。

「エディソンさん」

 呼びながら向かいの席に着くとエディソンは口の中のパンを飲み下し、

「鹿嶋くん、だったよな。僕を説得しに来たんだろう?それならよした方がいい。無駄なことだからな」

「説得······そんなこと、俺にはできませんよ。フレイヤさんにはカッコつけちゃいましたけど。できるもんならやりたいです」

「フレイヤさんか······そういえば彼女に伝えなければいけないことがあったな。それで、君は何をしに来たんだい?腹ごしらえ?」

 尋ねたエディソンはクロワッサンに占領された大皿を鹿嶋の方へ寄せた。

「たぶんそれ、あっためた方が美味いですよ」

「······そうか。後でやってみよう」

 言いつつもエディソンはまた一つパンを頬張る。

「説得というよりは訊きたいことがあって。エディソンさん、さっき『やらなきゃいけないことがある』って言ってましたよね?それは一体何なんですか?」

「······発明だよ。誰もが喜ぶ発明品を作ることさ。それを成し遂げるまではこの世にいたい」

「発明······?でもあなたは『発明王』ですよね?少なくとも現代人おれたちが知っているあなたはそう呼ばれてます」

「そうかい。では、僕が生きている間に何て呼ばれてたと思う?」

「······?」

 首を傾げる鹿嶋に対し、エディソンは声を出さずに小さく笑った。


「『訴訟王』だよ」


 それは苦笑であり、失笑であり、嘲笑であった。自分自身への侮蔑だった。

「僕はいろんなものを作った。だがそれは金のためだ。映写機も、電話も、金のため。確かに世の中は僕の発明で豊かになったかもしれないが、それには常に利権闘争が絡みついていたんだよ。僕もはじめの頃は世の中のためになるものを生み出しているという誇りはあったが、それはいつしか金に埋もれていった」

 気づけばエディソンはパンを握ったままだった。握ったまま、どうすることも無かった。

「だから、せっかくこの世に蘇ったんなら、純粋に世の中のためになるようなものを作ろうと思ったんだ。誰とも揉めず、みんなの助けになるようなものを。それができるまで僕は帰らないし、他のことに割く時間も無い。多くのものを発明しておいて、真に誰かのためになるものを何一つ作れないままというのは嫌なんだ」

「······だったら、降霊研究を手伝ってくださいよ」

 自分で言っておいて、鹿嶋は声が震えていることに驚いた。

「エディソンさんが力を貸してくれれば、多くの人が助かるんです。あなたの研究は未完成だったかもしれない。そして、もう既に死者との交信は実現している。でもまだ不完全だ。きっと、技術者としてあなたが助けてくれれば、もっといい降霊や退霊の装置が完成します」

「······僕がいなくなる方が、みんなが助かるのかい?僕だけじゃない、他の降霊者達がいなくなった方がいいのかい?」

「そういう訳じゃないんです。ただ、何というか······俺だっていつかは死にます。ずっと一緒にいるんだろうなって思ってた人だって、突然死んでしまうこともある。それは誰も逃れられない。でも、いなくなってしまった後でも、残るものはあるんです。忘れたくない思い出とか、ずっと誰かの原動力になるような言葉とか、そういうものが」

 鹿嶋は必死に言葉を紡いだ。溢れ出しそうな心を、言葉でつなぎ留めたつもりだった。だが心の底に眠るある少女の存在がどんどん大きくなって、既に鹿嶋の心は決壊し始めていた。

「エディソンさんが残せるのは、誰かを助ける発明なんだと思います。逃れられないものを迎えさせる、あるべき姿に戻すっていうのは、生きてる人だけじゃなくて降霊者の人達を助けることにもつながると思います。それができるのは、エディソンさんしかいないんです」

「『あるべき姿』か······そっちが呼び出したんだがね。やれやれ、僕もそうだが、死者との交流とは随分勝手なことをやっているものだな」

「そう······自分勝手なんです」

 まずい。そう思ったときには、既に鹿嶋の頬を涙が伝っていた。それに気づいたエディソンは目をぱちぱちさせるが、鹿嶋はもはやそれどころではなかった。

「死んだ人にもう一度会いたいなんて自分勝手だ。ましてや、俺のせいで死んだ人に会いたいだなんて。俺はあの子のためになるようなことを、何もできなかったのに······それでも俺は会いたい。ずっと一緒にいてくいれて、俺のせいで死んで、死んだ後も会いたいだなんて、そんなのは勝手すぎる。それでも、俺は······!」

 エディソンには何の話かわからないだろう。そんなことは理解しているのに、鹿嶋は涙を止めることができなかった。

「俺は自分勝手で、無責任だ。でも、自分の責任を果たそうとしている人がいるんです。自分のせいでいろんな人が死んだ、その痛みだってまだ和らいでいないはずなのに。自分のせいで多くの人が危機に晒されてる、その怖さなんて克服できるはずがないのに。それでも自分のできることを、やろうとしている人がいるんです······!」

 嗚咽を洩らす鹿嶋は、もう自分の言っていることに理屈が通っていないと自覚していた。目元を赤くし、鼻をすすり、それでも視線だけはエディソンから外さずに、ただ懇願する。



「お願いします、フレイヤさんを助けてください。あの人、疲れてるとも不安だとも言わないんです。昨日からの事件で、一言も弱音を吐かないんです。そんな人を助けられるのは、あなたしかいません」



「僕は············」

 エディソンはわずかに目を泳がせ、困ったように視線を落とした。

「······パンを温めに行ってくるよ」

 同意も拒否もせず、エディソンは席を立つ。時間が欲しかったのは、むしろ鹿嶋の方だった。涙を拭い、息を吸って心を作り直す。何度目かの砲撃がホテル全体を揺るがすのを感じ、鹿嶋が緊張感を取り戻そうとしたときだった。

「鹿嶋くん」

「······フレイヤさん」

 声をかけられて振り向くと、そこには片手にコップを持って微笑むフレイヤがいた。鹿嶋が慌てて笑顔を作るとフレイヤは優しく、

「無理して笑わなくていいよ」

 言いながら鹿嶋の隣に座り、コップを差し出した。鹿嶋は受け取ったそれを反射的に口に運ぶ。

「······スポーツドリンク?」

「うん。泣いた後は塩分と水分が足りなくなるから。私も昔は泣いてばっかりで、よく頭が痛くなってたんだ」

「俺が泣いてたこと知ってるって······いつからいたんですか?」

 鹿嶋が顔を赤くしながら尋ねるとフレイヤははっきりと答える代わりに、

「鹿嶋くん、私を助けてくれるのは、エディソンさんだけじゃないよ。それと、もう私を助けてくれてるのは、一人しかいない」

「······?」

「君だよ、鹿嶋くん」

 そう言ってフレイヤは、小さく笑った。

「······俺が、フレイヤさんを助けてるんですか?」

「うん。私、君を巻き込んでるよね。本当は私一人が解決しなきゃいけない問題に、君を巻き込んでる。だけど君は、私のために涙を流してくれた。自分勝手なのは私の方なのに、君は泣いてくれた。いろんな人を死なせた私にも、まだ心配してくれる人がいるんだって思って······嬉しかったよ」

 微笑んだフレイヤの瞳には、やはり翳りが見えた。

「そんな君を巻き込んでしまって、申し訳なく思ってる。本当は、私一人の責任なのに」

「······じゃあどうして、フレイヤさんは俺を巻き込んだんですか?」

「············それは」

「ごめんなさい、責めるつもりはありません。でも、気になるんです。フレイヤさん、自分一人で解決しなきゃって思ってるみたいですけど······」

 鹿嶋だって、日咲の霊を降ろしていいのかという葛藤が消えた訳ではない。それでも、だからこそ、同じように葛藤を抱えながらも涙すら流せないフレイヤを放っておくことなどできなかった。

「やっぱり助けが必要なんじゃないですか?だから俺を連れてきたんじゃないですか?だったら遠慮も申し訳無さも必要ない。俺はあなたの力になりたい。だから、無理して笑わなくてもいいんです」

 フレイヤの青い瞳が、鹿嶋の眼差しと重なる。呼吸さえせずに鹿嶋を見つめるフレイヤの唇が、ゆっくりと開く。

「私は」



 ドゴッッ!!



 フレイヤの言葉は、砲撃にかき消された。レストランの壁がぶち抜かれ、ふっ飛ばされた椅子やテーブルが土石流のように周囲のものをなぎ倒しながら反対の壁にまで到達する。

「バイフィールド!鹿嶋!エディソン!みんな生きてるか!?」

 レストランに駆け込んできた葛野は鹿嶋とフレイヤ、そして離れたところで立ち尽くすエディソンを見つけるとすぐに、

「約束の二十分がきた。五百人ほどの増援が待機している。合図と同時に増援が敵を崩し、おれ達は向かいのビルに移動する。バイフィールド、映像と音声はできたのか?」

「既に完成しています。データはここに」

 フレイヤは白衣のポケットから二本のUSBメモリを取り出した。葛野がその両方を受け取ろうとすると彼女は手で制し、

「確認したいんですけど、その五百人のうちに家康さんはいますか?」

「ああ。まだ位相間現象アチーヴメントの調子が上がらないみたいで、四百人しか兵を出せねえらしいがな」

「いえ、いてくれるなら充分です。家康さんと話せますか?」

「今つなぐ」

 フレイヤが葛野から通信機を受け取ると、聞き覚えのあるよく通る声がした。

『フレイヤ、鹿嶋、無事か?』

「私も鹿嶋くんも無事です。それより、来てくれてありがとうございます」

『何を言っておる、世話になった者を助けるのは世の道理じゃ』

「······それでは、一つ頼みたいことがあるんですが」

『わかっておる。この異国の兵士の包囲を崩せば良いのじゃろう?』

「いえ、それもあるんですが······」

 フレイヤはなぜかエディソンを見やり、

「家康さん、鷹狩りが好きでしたよね?」

『ああ、嗜んでおるが······それがどうかしたのか?』

「いえ、もし必要になったらそのときにまたお願いします」

 それだけ言って葛野に通信機を返す。それからトースターの前で鹿嶋達を眺めていたエディソンに歩み寄った。

「エディソンさん」

「フレイヤさん、僕は」

「わかっています。降霊装置は私がどうにかしなきゃいけない問題ですから。でも今はあなたの力を、あなたの発明を貸してほしいんです」

「僕の発明······?どれのことを言っているんだい?」

 するとフレイヤは自信ありげな笑顔を見せて、



「映写機です」








「行くぞ鹿嶋!絶対についてこい!」

「はい!」

 葛野に叫びかえした鹿嶋は、治安部隊ラボポリスの隊員達に続いて敵の中へと駆け出す。駅のロータリーを挟んで六十メートル先にある商業ビルに辿り着くべく、武装した隊員達が手にした自動小銃で歩兵常備軍イェニチェリを霧散させて道を切り拓く。一般人の鹿嶋は隊員達に四方を守ってもらっていることに引け目を感じつつ、怒号と銃声の中を全力で走った。

(何て数だ!家康さん達がある程度を引きつけててもこの人数!)

 白い光のもやを割って次から次へと襲い来る上着ドラマンとビョルク帽の兵士達の数には流石に限りがあるのだろうが、全くキリが無いように感じる。道のりの半分ほどまで来たところで、四十人強の隊員達は徐々に陣形を変え、大型モニターのあるビルの入口をUの字に囲むように展開していった。ホテルにいるフレイヤが操る四足歩行型ハウンドドッグが口内に隠していたマガジンを受け取り、敵を撃ち抜いていく。

「外側は仲間が食い止めてくれる!おれ達は入口を塞いでいるやつらを倒すぞ!」

 葛野達と共に鹿嶋はスピードを上げた。入口に近づくに連れて隊員達は一人、また一人と離脱していき、兵士を足止めするための布陣の一部となっていく。だがそれも追いつかず、歩兵常備軍イェニチェリが入口で待ち構えるだけでなく先にビルの中へと入っていってしまった。兵士達はガラス戸の内側から鍵をかけ、内側に散らばっていく。これまでの動きを見るに敵兵は自律行動ができるようだが、もしかしたらこちらの狙いに気づいているのかもしれない。

「突っ込むしかねえ!覚悟は?」

「できてます!」

「上等だ!」

 鹿嶋の応答に笑ってみせた葛野は商業ビルのガラス戸に弾丸を打ち込んでヒビを入れ、ショルダータックルをぶちかまして強引に突き破る。彼の後に続いたのは鹿嶋と五人の隊員達だ。出撃前に位置を確認した四階の大型スポーツ用品店の隣にあるモニター調整室へ向けて、まずは階段めがけて一直線に走る。またも四方から兵士達の襲撃に遭うが、さっきまでよりも遥かに人数が少ない。治安部隊ラボポリスが一人も撃ち洩らすことなく退け、鹿嶋は真っ先に階段を上り始めた。

「前からの敵は俺が倒します!葛野さん達は追手を!」

「ああ!後が詰まらねえよう速攻で頼むぞ!」

 階段という戦場の性質上、常に前方から敵が突然現れる可能性がある。ならば持続的な武器のうりょくをもった鹿嶋が先陣を切って安全を確保し、確実に敵が迫っていることがわかる後方を隊員達に任せることで弾数の節約をしようという考えだ。

 けたたましい足音が接近し、鹿嶋は敵兵の存在を察知する。

「おおらあぁっっ!!」

 会敵した瞬間に赤い軍服の兵士は半月刀を突き出すが、鹿嶋はそれを裏拳気味に弾き飛ばして消滅させる。もう片方の手で顔面を殴り抜くと、兵士は白い光と化して霧散した。安堵する間も無くさらなる敵が押し寄せ、鹿嶋は両腕を広げて突き進みラリアットの真似事をして兵士達を打ち消していく。

「後ろは気にすんな!お前はひたすら進め!」

 葛野の声に背中を押され、鹿嶋は足を止めず拳を振って歩兵常備軍イェニチェリを倒していく。無我夢中で駆け上がるうちに、気づけば四階まで到着していた。ここに到着するまでの戦闘で鹿嶋は幾度も半月刀で斬りつけられ、傷を負うことは無いとわかっていてもその度に心臓が跳ね上がった。

 階段からモニター室までは三十メートルほど走らなければならないが、ここまで来ると前方の敵はいない。だが真に問題なのはモニター室へ到着してからだ。移動先が無い分、詰め寄ってくる敵を倒し続けなければならない。

「葛野さん、俺はいったん階段に戻って追手を引きつけます!葛野さん達はモニター室へ!」

「任せろ!あと現場主任は俺だからな!」

 言いながら葛野達は走り去り、鹿嶋は踵を返して階段へ急ぐ。スポーツ用品店の入口を過ぎようとしたところで、店内から現れた歩兵常備軍イェニチェリと遭遇した。彼らが振った刀を全身で受け止めて消し去り、武器を失った敵を拳で光のもやに帰していく。最後に残った兵士が持っていたのは、鈍い銀色の輝きを放つ金属バットだった。

(······バット?)

 これまでは恐怖を感じつつも敵の得物を被撃し、その結果ほとんど無傷で戦ってこられたが、その慣れのせいで判断が遅れた。兵士が振り下ろした金属バットは鹿嶋の頭に直撃し、意識の根っこを激しく揺さぶる。

(これ、は······位相間現象アチーヴメントじゃなくて、本物の武器······!)

 両脚に何とか力を入れて、崩れそうな体を持ちこたえさせる。だががら空きの胴体に鈍く光る金属の塊がティーバッティングのように叩き込まれ、鹿嶋の体はくの字に折れ曲がった。視界が眩み、感覚が薄れる。それでも遠くで大勢の足音が聞こえるのを頼りに、鹿嶋の意識は踏み留まった。

(······上がってくる敵を引きつける。まずはこいつを突破しないと!)

 とどめとばかりに高々と振り上げられたバットを、鹿嶋はしっかりと掴み取った。慌てて剣を抜こうとする兵士の腹に拳をめり込ませ、光のもやに戻るのを待たずに放り捨てる。階段まであと少しのところで上ってきた軍団とすれ違い、彼らは一瞬だけ足を止めて鹿嶋を追うか思案していたようだったが、

「データは俺がもってる!来ねえと困るのはお前らだ!」

 あからさまな挑発に応じて鹿嶋に狙いを定めてくれた。意味を理解しているのか、そもそも日本語がわかっているのかはわからないが、どちらにしろ彼らには鹿嶋を見逃す道理は無い。それでも全員を引きつけられた訳ではないが、モニター室に押し寄せる戦力を削減できれば御の字だ。

 戦場が狭い方が対多人数では良いのかとも思ったが、できるだけ葛野達から敵を遠ざけたかったため屋上まで一気に駆け上がる。このビルの屋上はビアガーデンになっているらしいが、流石にこの異常事態では誰もいないだろう。扉を開けてビアガーデンに出た直後、兵士達も階段を踏破してきた。兵士達には触れさえすれば勝てるが、先ほどのようにどこかで実物の武器を調達してきた者もいるかもしれない。ただでさえ路上のケンカ程度の戦闘経験しか無い鹿嶋では、位相間現象アチーヴメントに対する特効ハンデが無ければ数の暴力で押し切られるだけだ。

(······あのとき)

 扉を閉めながら鹿嶋は考える。

(俺が持ってた防弾ガラスに接触したダヴィデの投石は消滅していた。フレイヤさんは『俺が所持している物に触れても位相間現象アチーヴメントは消える』と言っていた。だったら、いけるのか?俺がこの扉を押さえれば、これを開けようとした兵士達は消えるのか?いや······)

 鹿嶋は足を横に向けて前傾姿勢になり、扉に体重をかける。広げた両手を密着させて、敵が迫る扉を押さえつける。

(きっと、迷ってたらできない。俺にはできる。誰よりも俺が信じなきゃなんだ!)

 そして、圧倒的な衝撃が両腕を伝って鹿嶋の全身を貫いた。兵士達が何度も体当たりしてくる振動が、鹿嶋の体力を削る。ガラス戸の向こうの軍団は見る見る内に消え去り数を減らしていくが、同時にガラスにも少しずつヒビが入り始めていた。

(耐えてくれ······!)

 祈る間に敵兵はさらに少なくなり、ついに最後の一人となった。渾身の力を肩に込め、全体重を預けて猛進してくる。

(破られる!)

 直感した鹿嶋は踏ん張っていた足のうち片方だけを体の前に運んで腰を回す。

 そして、ガラスを破ってきた兵士の顔面を拳で迎え入れた。

(············凌ぎきった、ってことでいいんだよな)

 白い光のもやが風に流されて消えていくのを見届けた後で、鹿嶋はようやく長い息を吐き出す。あとは葛野達を狙う歩兵常備軍イェニチェリを倒し、フレイヤが作成してくれた映像が大型モニターで流れるのを待つだけだ。割れたガラスでできた腕の切り傷やバットで殴られた頭の痛みを今更思い出し、鹿嶋は小さく舌打ちした。

 しかし。

「へー、噂通り陵平くんってカッコいいね」

 楽しそうな声が聞こえて、瞬間的に振り向く。そこには赤い髪をポニーテールにし、眼を爛々と輝かせる若い女がいた。

「あんた、昨日研究所で俺をフレイヤさんの所まで案内してくれた······」

「そ。そういう君こそやっぱり鹿嶋陵平くんでしょ。道理で見覚えあると思ったんだよね」

 言いながら女は鹿嶋に歩み寄る。鹿嶋は痛む体に力を入れ直して、

「ってことは、あんたが昨日からの事件の首謀者ってことでいいんだな?」

「うん、そうだね」

「だったら訊くが、あんたの目的は何だ?どうしてこんなことをする?」

「それってエディソンさんを狙った理由について?だったらそれはもう意味無いかも。あの人の位相間現象アチーヴメントはてっきり降霊関係もできるのかと思ったけど、できるんだったらこんな包囲網壊してるよね」

「······じゃあ昨日研究員を殺したのは?」

 鹿嶋が低い声で尋ねると女はとびきりの笑顔で、

「死への恐怖を感じてもらうため、かな」

「何だと······?」

「陵平くんだって大好きな人が死んじゃって、悲しくなったことがあったでしょ?自分が死に直面するだけじゃない、身近な人が死ぬことが怖いって思ったでしょ?ワタシはそういう死への恐怖を駆り立てたいんだよね。それがワタシの役目だから」

「······ふざけやがって」

 鹿嶋の声には怒気が込もり、その瞳には戦意が宿っている。今の女の発言全てが、鹿嶋には受け入れられないものだった。




「そんな役目、俺があんたごとぶっ潰してやる」

「いいよ、やってみれば」




 人のいないビアガーデンを、鹿嶋は赤髪の女に向かって最短距離で駆ける。対して女は片手に拳銃を握り、鹿嶋へまっすぐ突きつけた。先ほどの金属バットのことが鹿嶋の頭をよぎるが、直前まで女が何も持っていなかったことからその可能性を切り捨ててただ走る。

 女が引き金を引くが、放たれた弾丸が鹿嶋を傷つけることは無かった。それを見て女は満足げに、

「すごいね、全然怯んでない。堕とし甲斐がある」

 そう言って手の中の拳銃を乱暴に投げつけた。鹿嶋はそれを左手ではたき落とし、間合いを詰めて右拳を放つ。だが女は突き出された鹿嶋の腕を右手で掴み、体を反時計回りに捻ってこれをいなした。さらに、遠心力を活かして左肘を鹿嶋の鳩尾に叩き込む。

「がぁっ!?」

 強烈な痛みと吐き気を堪えている間に、女は左足で金槌を振り下ろすように鹿嶋のつま先を踏み潰した。あまりの激痛に足の感覚が途切れ、ゆったりとした動作で離れる女に詰め寄ることができない。女が長い脚を振り上げるのがはっきりと視認できるが回避は叶わず、鹿嶋は顔面に回し蹴りを喰らってなぎ倒された。

「ま、今はこんなもんかな。じゃあワタシはもう行くね。エディソンさんが期待外れな分、できるだけ多くの人に死を怖がってもらいたいし」

 手を振って歩き出す女の背中を睨みながら、鹿嶋は必死に思考を巡らせる。

(ただ触れただけじゃ退霊させられない。肉体的にコンディションを崩して精神的に隙を作らなきゃなんだ!そのためにまずは一発、何としても喰らわせる!)

「おおおぉぉぉぉっっ!!」

 雄叫びを上げて全身の痛みを黙らせ、鹿嶋は爆発的に駆け出した。赤髪の女は再び体を回転させて長い脚を振るうが、足先からのスライディングでそれをかわしながら軸足を払って女を転倒させる。もう片方の足で顔を蹴りつけられるが逆に掴んでねじ伏せ、鹿嶋は女を組み伏せた。

「陵平くんが女の子を上から押さえつけてるのを見て、残念に思う子だっていると思うよ?」

「うるせえ、その子はもう死んでんだよ」

 挑発的な笑みを斬り捨て、鹿嶋は拳を固く握る。

 その瞬間、何かが女の背中から飛び出て鹿嶋と彼女の間に割り込み、勢いよく展開されて鹿嶋を弾き飛ばした。

(今のは······翼?)

 受身を取って転がりながら、鹿嶋は数瞬前の出来事を思い返す。立ち上がって女に目を向けるが既にその背中には何も無い。不審に思うが攻撃の手は緩めず、鹿嶋は再び女に突っ込んだ。しかし今度は確実に女の背中から何かが飛び出る。それは一対の翼だった。三つの湾曲があり、鎌のように先が尖った黒い翼。自分の両腕ほどの長さのそれをはためかせ、女は鹿嶋の視界の上方向に消えた。直後、後頭部に鋭い衝撃が加えられて鹿嶋は前方に崩れ落ちる。空中で一回転した女のかかとが鹿嶋を襲ったのだ。

(あの翼も位相間現象アチーヴメントか?物体を分断する能力があるとはフレイヤさんから聞いていたけど······さっき一瞬だけ出てきたように見えたのは俺に触れて消滅したからだとしたら、位相間現象アチーヴメントの消去は退霊よりもやりやすいってことか)

 笑みを浮かべながら浮遊する赤髪の女の背中に触れ、翼を消して地上に引きずり降ろさなければいけない。起き上がって身構える鹿嶋に対して女はふと思いついたように、

「ちょっと試したいことがあるから、頑張って生き残ってね」

「······!」

 鹿嶋が悪寒に震え横に転がろうとしたのと同時、女は猛スピードで空中を突き進み、揃えた両足で鹿嶋をはね飛ばした。

(や、ばい!)

 危機感が頭の中で暴れ回るが、それだけでは何の解決にもならない。

 赤髪の女に蹴り飛ばされた鹿嶋は八階建てのビルの屋上から投げ出され、硬いアスファルトが待つ地面へと落下しているのだから。




〈つづく〉

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