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【小説】コウレイシャカイ 第五話(創作大賞2023・イラストストーリー部門応募作品)


「鹿嶋くん!」

 ホテルの屋上で戦況を見下ろしていたフレイヤは、黒髪の高校生が大型モニターの前を突っ切って落下していくのを目にして思わず叫んだ。鹿嶋は重たい音を立てて歩道橋の上に叩きつけられ、ピクリとも動かない。

(またなの······?また私は、誰かを死なせたの?)

「フレイヤさん」

 膝から崩れ落ちそうになるフレイヤを、隣で位相間現象アチーヴメントの映写機の調整作業に勤しむエディソンが呼び止める。

「まだできることはあるはずだ。まだ助けられる人が必ずいる。今はそれに取り組もう」

「············わかりました」

 顔を上げたフレイヤは脳波連動型カチューシャを通して飛行型ワーカービーに指示を出し、エディソンから四つの映写機を受け取らせた。

「この子達の出番が無いといいがね」

 飛行型ワーカービーを興味深げに見つめながら呟くエディソンの肩には、鋭敏な体躯とつぶらな瞳を併せもつ鷹が止まっている。

「そうですね······信じましょう。葛野さん達を、そして鹿嶋くんを」

 真剣な面持ちで祈るフレイヤの傍には、さらに三羽の鷹が飛来してきたのだった。








(······痛い。めちゃくちゃ痛い)

 コンクリートに背中から打ちつけられた鹿嶋は上手く呼吸ができず、全身が痛みに支配されているようだった。だがかえって頭はクリアだったために、すぐに違和感に気づく。

(生きてる?あんな高い所から落下したのに?)

 仰向けの鹿嶋が見上げる商業ビルの屋上は、八階建てのはずなのに遥か遠くまでそびえ立っているように感じられた。全身が痛いためどこかが骨折していてもすぐにはわからないだろうが、視覚も痛覚もまともに機能している。不思議な話だが、自分は生きているとしか思えなかった。

 ビルの屋上から何者かが飛び出したのが見えた。その人物の背中には鎌のような形状の翼が生えており、それを広げてゆっくりと降下してくる。

「······生きてるよね?」

 鹿嶋が何らかの反応を示す前に、歩道橋の路面から五メートルほどの位置で尋ねた赤髪の女は翼をしまい、鹿嶋の顔面めがけ両足を揃えて落下してくる。鹿嶋は必死に横へ転がってこれをかわし、すぐさま起き上がって臨戦態勢を取った。持続的な痛みはあるがそれは体を動かすと発生するというものではないため、骨や筋肉に異常はないらしい。

「ほら、やっぱり生きてた。どうせならワタシがスカートだったら良かったのにとか思った?」

 軽口を叩く女の様子に最大限の注意を向けつつも鹿嶋は適当に、

「だとしても暗くてよく見えねえよ」

「それって明るかったら見たってこと?あーあ陵平くん、それを聞いたら残念に思う子が」

「その子はもういないんだよ。わざと言ってんじゃねえぞ」

「おお恐っ、優しいのが君の取り柄じゃないの?」

「······おい、あんたは俺の何を知ってるんだ?」

 すると女は妖しく口角を上げて、

「うーんとそうだなあ······どうして君が生きてるのか、とかかな。陵平くんも知りたいでしょ?」

「······」

「沈黙は肯定と同義語だよ?まあいいや、すごく簡単なことだから。ワタシには人を殺せない。それだけだよ」

「人を殺せないだと?どの口が言ってんだよ。あんたは研究員の人達を殺しただろ」

「あれはスレイマンさんとか始皇帝さんとかダレイオスさんとかダヴィデさんとか、血気盛んな人達がやったの。ワタシは頭で思っただけで物を壊すことはできる。でも命を奪うことはできない。陵平くんが生きてるのだってそのせいだよ。あ、でもけがが無いっていうのは流石にサービス外。陵平くんが無事でいることを祈っている人達のおかげだから、感謝しなきゃ駄目だよ?」

 正直に言って、赤髪の女が言っていることの全てをすんなりと理解できた訳ではない。鹿嶋は自分が今対峙している敵が何者なのか、どうしても確かめたかった。

「······お前は、何者なんだ?」

「ワタシはね······いろいろ言い方はあるけど、一番好きなのは」

 続けて女が何事かを告げたが、鹿嶋はそれを聞き取れなかった。砲撃の音が炸裂し、自分が立っている歩道橋が破壊されたのだ。衝撃に体を叩かれた鹿嶋は瓦礫と共に宙に投げ出され、体を丸め歯を食いしばって着地する。転がりながら勢いを殺すが、夏用の学生服は上下とも擦り切れ、鹿嶋の四肢から血が滲んだ。

「ちょっとスレイマンさん、タイミング悪いよ」

 綺麗に着地した赤髪の女が愚痴り、治安部隊ラボポリス・徳川連合軍対歩兵常備軍イェニチェリの乱戦と地続きの場所に立っているとは思えないほど厳かな空気を纏う、髭をたくわえた禿頭の男が接近してきているのに鹿嶋は気づいた。移動式砲門を番犬のように従える禿頭の男は、

「敵は速やかに殲滅する。それが勝利の原則だ」

 重厚な声で応え、砲門の照準を鹿嶋に合わせる。

(あれがスレイマン一世······!あいつを倒せばとりあえずこの戦いは解決するんだよな)

 鹿嶋はもう一度立ち上がり、拳を握る。その様子を見たスレイマンが容赦なく手で合図をすると、たった一人の生身の少年を殺すためだけに砲門が火を吹いた。

(ビビる必要は無い!砲門を消してスレイマンに一撃喰らわせる!)

 黒い砲弾に拳をぶつけると、あっさりと白い光に変化した。そのことにスレイマンがわずかに表情を硬直させたのを目にした鹿嶋は、走る勢いをさらに加速させる。

「おおおらああっっ!!」

 拳を振り抜くとスレイマンは身を翻して回避したが、鹿嶋の体は止まらない。勢いそのまま移動式砲門に突っ込み、消滅させた。だが直後に背中へ強い衝撃が加えられ、鹿嶋は全身の空気を吐き出す。スレイマンが全体重をかけた蹴りを入れたのだ。息を吸いながら方向転換する鹿嶋を、赤髪の女のドロップキックがさらに襲う。吹き飛んでアスファルトの上を転がった鹿嶋を見つめるスレイマンの表情には、疑問の色が濃く現れていた。

「少年よ、なぜ我らに抗う?お前には特殊な力があるようだが、所詮はただの人間に過ぎない。なぜ我らの崇高な目的を阻もうとする?なぜ人々の幸福の邪魔をする?」

「幸福だと······?」

 眉間にシワを寄せる鹿嶋を見て女は楽しそうに、

「スレイマンさん、陵平くんはワタシ達の最終目標を知らないんだよ」

「そうか、ならば教えよう。私達は、万人が死の恐怖から解放される世界を目指している」

「······何だよ、それ」

「よくぞ訊いてくれたね」

 鹿嶋が呟くと赤髪の女は眼を輝かせ、

「死にたくない、死なせたくないっていう多くの人の強い思いが、この世のみんなを死から解き放つの。君の意志が位相間現象アチーヴメントを打ち消すようにね」

「······だから、そのために誰かを殺して、恐怖を植えつけるっていうのかよ」

「言い方を悪くするとそうなるけど、良く言えば試練かな。恐怖を乗り越えた先に、不死っていう幸せが待ってるんだよ」

「ふざけんな!」

 鹿嶋は怒鳴り、爪が食い込むほど強く拳を握り締める。体の痛みも忘れて、全力で吼える。

「死なないことが幸せだと?一度死んだあんたらからしたら、確かにそうかもしれない。でもそれはあんたらの都合だ!全ての人に当てはまるものじゃない!それなのに大勢の人を殺して、傷つけて、自分達の理想を押し通すだと?そんなの絶対に間違ってる!」

「じゃあさ、陵平くんは死なせたくない人がいたんでしょ?その子がずっと生きてて、ずっと傍にいられるなら、それは陵平くんにとっての幸せじゃないの?」

「そうだ······でもそれは俺の都合。あの子に押しつけていいもんじゃない」

 真正面から言葉を叩きつけられ、女は目を丸くした。それから楽しそうに口の端を妖しくもち上げ、

「へー、やっぱり陵平くんってかっこいいね。堕とし甲斐がある」

「あまり遊ぶな。すぐに対処するぞ」

 スレイマンはさらに十人ほどの兵士を現出し、鹿嶋に向かわせる。だが彼らの胴体に矢が突き刺さり、白い光となって消え去ってしまった。

「鹿嶋!大丈夫か!」

 金の鎧を身に着けた男が、日本式の甲冑を装備した武士達を引き連れて走り寄ってくる。

「家康さん!ありがとうございます!」

「ようやく敵陣を抜けて来られたわ!スレイマンはわしらに任せろ!」

「すみません、お願いします!」

 家康は弓を刀に持ち替え、武士団と共に斬りかかる。スレイマンも兵士を出して応戦し、半月刀で家康と打ち合いながら鹿嶋から遠ざかっていった。

「············二人きりになっちゃった」

 何がそうさせるのかは知らないが、赤髪の女が鹿嶋を見て心底嬉しそうに笑う。二人の周囲には敵も味方も寄りつかず、剣戟音や銃声もどこか遠いものに思えた。駅前での混戦を置き去りにして、鹿嶋と女は互いに視線をぶつけ合う。

「どうする?決着でもつけよっか?」

 女は暇潰しを提案するような口調で尋ねたが、鹿嶋はその誘いをばっさりと断ち切る。

「そんな気はねえよ」

「えーノリ悪」

「そうじゃなくて」

 今度は鹿嶋が笑ってみせた。思い切り口の端をもち上げて歯を見せ、目の前にそびえ立つビルを仰ぎ見る。

「もう決着はついたみたいなんだ」

 その瞬間、地元企業の宣伝ばかりしていた大型モニターの映像が突如として切り替わった。画面上に現れたのは、瞬きの間に色が移り変わる背景の上に居座る極彩色の様々な図形。それと同時に拡がるのは、流水と思しき清らかな音。夜のビル街で氾濫していた暴力的な空気は一掃され、歩兵常備軍イェニチェリが一斉に動きを止めた。葛野達がモニターを操作し、フレイヤが作成した映像を流したのだ。

「······これ、は、何だ············?」

 あまりにも静まり返ってしまったため、後方で家康と斬り合っていたスレイマンの呻き声が聞こえる。スレイマンにのみ効果が現れるようにフレイヤが調整したのだろう。

「ふーん、これが切り札って訳?」

 先ほどよりも明らかに不満げな女が尋ね、鹿嶋はゆっくりと拳を構える。スレイマンは攻略した。ならばここで一気にこの女も倒さなければならない。

 だが。




「バレバレの手札カードで勝負はできないよ?」




 女が首をわずかに傾けた直後。

 大型モニターが音を立てて真っ二つに割れ、ブツリと暗転した。割れた画面はそれぞれまっすぐ落下し、アスファルトに叩きつけられてさらに細かく砕け散る。破片が飛び散ってくるのにも構わず赤髪の女は、

「言ったよね?ワタシは頭で思っただけで物を壊せるって。傷だって治せるし、空だって飛べる。陵平くん達の作戦がバレた時点で、ワタシ達の勝ちだよ」

 つまらなそうに告げ、黒鎌のような翼をゆっくりと開く。極彩色の図形も流水の音も消え去り、兵士達が再び剣を手に取る。

「······俺達の考えはお見通しで、その上で遊んでたのかよ」

「そうだね。陵平くんが頑張るところが見たいし」

「マジかよ、最初から詰みじゃねえか」

 鹿嶋は悪態をつき、嘆き、それから小さく舌打ちする。

 だがその顔は、完全に笑っていた。

「最近のカードゲームってのはさ、カードの組み合わせで勝つんだよ」

「······?」

 女が今度は挑発ではなく疑問を顔に浮かべたそのとき。

 ブワゥゥゥゥンッッ!と警戒心を駆り立てる羽音に似た回転音が響き、再び極彩色の図形と流水の音が展開される。それも今度は商業ビルのモニター上ではない。ホテルの四方の壁に投影されたのだ。フレイヤの飛行型ワーカービーがエディソンの映写機を運び、各部屋のカーテンが閉められたホテルの壁面をスクリーンにしている。もう一度周囲に静寂が訪れ、あちこちで次々と白い光のもやが立ち消えていく。

「あー、そういうことか。でも言ったよね?思っただけで壊せるんだって」

 わずかに苛立ちを感じさせる口ぶりの女が翼をはためかせ、上空へ舞い上がる。そのままホテルを一周し、すれ違いざまに飛行型ワーカービーを全て破壊して鹿嶋の元へ帰ってきた。だが映像は依然として投影されたままであり、ついに女の方が舌打ちした。

「そんなに困るんだったら、映写機の方を壊せばいい。でもあんたにはそれができないんだろ?正確に言えば、あんたには位相間現象アチーヴメントを壊すことができない。どういう理屈かは素人にはわからないけど、できるんだったら家康さんの武士団だって壊せばいいんだ。この他にもいろいろ制約があるんじゃないか?ドローンをわざわざ近づいてから壊したのだって、射程距離があるからなんだろ?」

 鹿嶋が言う間に女は上方に視線を移し、苦虫を噛み潰したような表情に変わった。家康の鷹が破壊された飛行型ワーカービーを足で掴み取り、映写機による投影を続行している。こうしている間にも兵士達は続々と消滅し、鹿嶋は治安部隊ラボポリスが少しずつこちらを意識し始めているのを感じた。

 歯噛みする赤髪の女の横に、家康の蹴りを喰らったスレイマンが後退してくる。顔を苦痛に歪ませた壮麗帝は半月刀を構えながらも、

「······退き際も肝心だ。ここにいては私が保たない。何より、我が軍団と敵の銃器では相性が悪い」

「かもね。それにしても、そういう方法があったなんてね······」

 口惜しげに呟く女は再び翼を広げ、一気に飛び去る。取り残されたスレイマンに鹿嶋が戦意を向けると、

「何てザマだスレイマン!乗れ!」

 少女の声と共に、兵士が消え去って空っぽになった道路に蹄の音が鳴り響いた。急いで目を向けると逞しい二頭の馬がこちらに突っ込んできており、そのうち片方の馬には黒髪ショートヘアの少女が跨っていた。

(あれは······始皇帝!?)

 研究所で見た覚えがある降霊者に叫ばれたスレイマンは空いた馬に飛び乗るが、

「させるかよ!」

 すかさず鹿嶋は走りだす。少し離れたところで残りの敵兵に対処していた家康もすぐさま馬を現出して追跡を試みるが、虚空から立ち昇った白い光が一瞬で人型を形成してそれを阻んだ。青銅器製の甲片を紐で綴り合せた鎧を纏った、東洋の兵甲。始皇帝が顕現させた彼らが壁となって立ち塞がり、鹿嶋達に刃を向ける。鹿嶋が拳を、武士達が刀をそれぞれ振るって兵甲を倒したが、そのときには既にスレイマンも始皇帝も姿を消していた。

「逃した······!」

 歯噛みする鹿嶋の後ろから、

「ああ、だが必ず見つけ出す」

 芯の通った声がして振り向くと、そこには顔に少しだけ切り傷を負った葛野がいた。彼の後ろでは他の隊員が互いの無事を確かめ合い、喜び合っているのが見える。

「はい、必ず」

 鹿嶋が応じると葛野は苦笑し、

「お前がそんなに恐い顔する必要はねえよ。みんな生きてただけでもできすぎな結末だ」

「······ですね、すみません」

「謝んなって。いったんホテルに戻るぞ。お前を心配してるやつがいる」








 ホテルのロビーに現れた少年を一目見て、フレイヤは胸が塞がる思いがした。白いカッターシャツには赤い血が染み、夏用の薄いスラックスは引き裂かれ、顔や両腕に乾いた血がこびりついている。それでも彼は片手を上げて、何の屈託も無い笑顔をフレイヤに向ける。

「鹿嶋くん······生きてて良かった」

 フレイヤが必死に絞り出した言葉に鹿嶋は明るく、

「フレイヤさんのおかげです。フレイヤさんがあの映像を作ってくれて、作戦を思いついてくれたおかげでみんな生き残れました」

「違う。それは君が、そしてみんなが頑張ったからだよ。私はただ君を危険に引きずり込んだだけ。君がビルから落ちたときに私、また誰か死なせたんだって思って、そんなのすごく嫌で······本当に、生きててくれて良かった」

「何か、俺もどうして生きてるのかよくわかんないんですけどね。あの赤髪の女曰く、あいつは人を殺せない制約があるらしいですけど······」

 鹿嶋が意見を求めるような目線を送ってくるが、今はそこまで頭が回らない。まだ鹿嶋が自分を信じて頼ろうとしてきたことで胸の奥から一気に熱いものが込み上げてきて、フレイヤはそれをどうにか瞳の表面でこらえた。このままでは本当に涙がこぼれてしまいそうなために鹿嶋達へ背を向け、

「散らかったレストランの片づけをしてきますから、皆さんは休んでください」

 くぐもった声で言い残し、フレイヤはエレベーターが動くのにも関わらず階段を上っていった。

 レストランに入ろうとしたときに治安部隊ラボポリスの装備ではない服装をした人々が廊下を歩いているのが目に入った。このホテルに泊まっていた一般客だろう。降霊など無縁の人でさえも危機に晒していたことを今更突きつけられて、フレイヤの心はめちゃくちゃにかき乱される。泣きたかった。自分には泣く資格など無いと言い聞かせた。あの少年のように、他者を労る涙ではないのだから。

 山崩れの後のように荒れ果てたレストランの中でどうにか無事な椅子とテーブルを見つけ、ふらふらと座り込む。駅前のビル街を見渡せる、窓際の席だった。さっきまですぐそこで行われていた戦乱は自分のせいで生じたものなのだと思うと、胸が潰れそうだった。これまでの死も、これからの戦いも、自分一人で責任を背負っていけるのか不安だった。そんな風に思うのは甘えだとすぐさま思い直した。

「フレイヤさん」

 若い女性に呼ばれて、ぼんやりと視線を移す。鶯色のウェーブがかった髪をしたエディソンが神妙な面持ちで歩み寄り、フレイヤの向かいに座った。

「······僕は、君に協力させてもらうことにするよ」

「······え?」

 言葉にならない声しか出せないフレイヤの眼をエディソンはまっすぐ見つめて、

「霊界との通信に関する僕の理論は、きっと君達のものより劣っている。だが機械の改修に関しては、僕にもできることがあるはずだ。だから、君に協力させてもらう」

「······いいんですか?」

「いいんだ。君のために泣いて、自分の戦う理由を信じられずに涙を流した少年のためでもあるし、何より僕自身のためでもある」

 そこまで言ってエディソンは無事なトースターに目を向け、

「トースターは······僕が送電システムの宣伝の一環として作ったんだ。それで稼ごうとも思っていなかったし、パンを焼くのに誰も電気を使わないと思っていた。だがどうだ、あれは改良を加えられて、今でも人々の生活を支えている。僕の発明したものが、揉め事も無しに誰かの役に立っている。僕がやりたかったことは、僕が生きている間にもう達成されていたんだ。だからもうこだわるのはやめた。君のためになるなら、僕は降霊研究を手伝わせてもらうよ······まあ、君にはピンとこない話もあっただろうがね」

「······どうして」

「どうして、とは?」

「どうして私を助けようとしてくれるんですか?エディソンさんも、鹿嶋くんも、こんな私を!」

「······やれやれ、さっき頼んできたときの君は一体何を思っていたんだい?僕が断ることで一人で背負い込むことを正当化しようとしていたのかい?君は誰かに助けてもらってもいいことを自覚するべきだよ。もっとも、さっきまで迷っていた僕が偉そうなことを言えた義理は無いが」

 そう言ってエディソンはおもむろに立ち上がり、ラッパのようなものが取りつけられた機械をテーブルに置く。

「これは蓄音機だ。僕は昨日の暴動のとき、他の降霊者が君の同僚を殺している間、申し訳ないが研究所内をうろついていたんだ。研究設備に興味があったから。それで、瀕死の砧さんを見つけた。僕には何もできなかったが、彼が伝言を頼むと言ったんだ。君への伝言だよ」

 エディソンは蓄音機のスイッチを押し、静かにテーブルから離れる。しばらく待っていると、か細い声がどこかのんびりした声が聞こえてきた。砧の声だ。



『フレイヤさん、単刀直入に言いますけど······あの事故はあなたのせいじゃないです······みんなが判断をあなたに押しつけて、手を汚そうとしなかっただけ······だから、また大変なことがあったら······今度はあなたがみんなを頼ってください。研究員に限らず、頼っていい······あなたを助けたいって思う人は、きっとたくさんいますから······あなたの都合を押しつけたっていい。これが僕からのお願いです』



 それは免罪符のように感じた。悪魔の囁きのように聞こえた。だがそれは砧が死の間際、わずかな余力で伝えようとしたことだった。その言葉に、縋らずにはいられなかった。その言葉に、助けられずにいられなかった。

 フレイヤは、助けを求めずにいられなかった。








 葛野達と共に鹿嶋がレストランに入ろうとすると、入口に佇んでいたエディソンが無言で制した。レストランの奥からはかすかにしゃくり上げる声が聞こえて、皆押し黙ってしまう。

「鹿嶋くん」

 エディソンが囁く。

「君は死んだ人にまた会いたいと願うことに葛藤をもっているようだが······死んだ後も必要とされるということは、僕だったら嬉しく思うよ」

 その言葉に、鹿嶋の心は揺れる。だが鹿嶋を救うための言葉だとわかっているからこそ、甘える訳にはいかなかった。

「ありがとうございます。でも、俺はもっと苦しむべきなんです。だから、この葛藤とはもう少し付き合っていきます」

「······そうか。余計なお世話だったね」

 とんでもない、と鹿嶋が返したときには、もう涙の気配は感じられなかった。レストランの入口に現れたフレイヤは毅然とした表情をしており、エディソンを、葛野をはじめとする隊員達を、そして鹿嶋を見据えて、

「皆さんにお願いがあります。私はもう、降霊関係の事件でもう誰も死なせたくない。だから皆さんの力を貸してください。誰も死なずにこの問題を解決できるように、私と一緒に戦ってください」

 はっきりと言葉を届け、頭を下げた。

「······最初っからそのつもりだよ」

 葛野がボソリと言うと鹿嶋は微笑みかけて、

「今更一人で頑張らせるなんて、そんなことさせませんよ」

「······ありがとうございます。本当に、ありがとうございます!」

 顔を上げたフレイヤは瞳を潤ませ、満面の笑みでうなずく。鹿嶋には、その笑顔が作り物にも無理をしたものにも思えなかった。




〈つづく〉

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