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【小説】コウレイシャカイ 第十一話(創作大賞2023・イラストストーリー部門応募作品)


『世界中の人々が降霊者に、ですか······面白いことを仰いますね。使い方次第ではこの国が抱えている様々な問題を解決できるかもしれません』

 アカツキ市が降霊者の位相間現象アチーヴメントによる戦乱に脅かされてから二日。電話の向こうの支倉が穏やかながらも一物ありそうな表情を浮かべているのを確信した富寿満は低い声で、

「それで、審議の結果は?」

『失礼、気を悪くしないでいただきたい。現状降霊研究は非常に有用性が高く、同時に危険なものであるというのが審議員の総意です。ですがやはり危険性の方が上回る』

「では、降霊研究は······」

『ええ、残念ですが凍結されることとなりました』

 そう告げる支倉が本当に残念がっている訳はないと思ったが、軍事転用の道が途絶えてしまったため本当に残念なのだろうと思い直した。そんな富寿満の腹の中を見抜いているのかいないのか、支倉は話題を移す。

『富寿満さん、けがの具合はいかがですか?先日はあなたのおかげで市役所の職員は無事に避難することができました。ありがとうございます』

「ええ、大したけがではありません。職員の皆さんが無事で何よりです。喜んでばかりもいられませんが······」

『やはり緊急連絡システムの発信権限が懸念ですね。あれから降霊音源が発信されてしまった場合に起こる混乱は計り知れません。なぜ早く使わないのか不思議なぐらいです』

 支倉がそこまで言ったとき、富寿満の視界に二人の男がゆっくりと現れてくる。葛野とサラディンだ。

「仲間が呼びにきました。そろそろ失礼します」

『ええ、詳しい議事録はまた送ります。突然おかけしてすみませんでした』

 挨拶を交わし、富寿満は電話を切る。すぐに背の高い男達が歩み寄り、まずは葛野が口を開いた。

「富寿満、家康からお前に伝言だ。始まる前に言っておいた方がいいと思ってな」

「······何だ?」

 尋ねると今度はサラディンが、

「『こんなところで抜け出すのだからわしの人生が信じられるものでないのは当然だ。だがわしはあなたの勝利を信じておる』······彼はそう言っていた」

「······そうか。ありがとう」

 言って、富寿満は口の端をもち上げた。意外に根に持つやつだ、と胸の内で毒づいて天を仰ぐ。

 家康は今日の未明に退霊した。自らの能力で退霊薬を作って飲み下したのだ。ジャンヌとの戦いで上位存在としての力を使ったのは、薬による退霊の存在を知りすぐに退霊すると決めたためだろう。それで、自分は最後だと。上位存在の降霊で被験者の意識が消え去ることを家康は心配していたが、彼の被験者は明け方には意識を取り戻した。宮沢の出方がわからず始皇帝が残っている中、戦力を失ったのは手痛い損失だ。だが家康は充分やりきった。富寿満はそう信じている。

「葛野、サラディン王、二人にも彼から託されたものがあるんだろう?」

 視線を戻した富寿満が問うとサラディンは首肯するが葛野は、

「いや、そうじゃねえ」

「······?」

「あいつからだけじゃねえ。死んだ仲間からも託されてるんだ。おれもお前もな」

「············そうだな」

 呟いて、富寿満はまた天を仰ぎそうになった。

 これから彼女は葬儀に向かう。先日の戦いで殉職した同僚達の意志を継ぐために。



 





 あの戦いの翌日、市内はどこも混乱していて学校どころではなかった。といっても磯棟は学校に避難していたため、今日になって授業が再開されるとわかりシャワーを浴びるために慌てて家に戻ったのだ。だが戦いの影響で彼女の住む市営団地は断水しており、仕方なくリュックの中の教科書を入れ替えて学校から一番近い朝風呂をやっている銭湯へやって来た。

(······ボディシートも限界あるって!あれってけがでいったら応急処置だからね!ちゃんと入浴オペしないと駄目でしょ!)

 磯棟は下着どころかシャツまで汗で張り付く不快感に心の中で叫びつつ脱衣所へ入る。ほのかに石鹸の匂いが漂う空間は思ったよりも広く、先客のドライヤーのくぐもった音が聞こえる。

「······麻衣ちゃん?」

 下着姿で椅子に座っていつもは一つくくりにしている下ろした黒髪を乾かしている少女に、磯棟は話しかける。箕篠麻衣が振り向くと、温風に乗って弾けるような甘い香りが磯棟に届けられた。

「実理ちゃんも来てたんだ。良かった、無事で」

「うん、麻衣ちゃんも無事で良かった」

 返しながら磯棟は持参した袋から替えの制服を出してロッカーに入れ、その袋に脱いだ服を入れていく。

「明日から学祭の予定だけど、ちゃんとできるのかな」

「どうだろ、延期になっちゃうかもだし······でもわたし一緒に回る人いないから、延期になれば探す時間ができてそれはそれでアリかな」

 回る人がいないなんて意外。そう言おうとして磯棟は口を閉ざした。箕篠もまた、半年前に大切な人を亡くしたのだ。

「あたしもいない。麻衣ちゃん、いっそのこと一緒に回らない?」

 すると箕篠は眼鏡を外した切れ長の目をぱちぱちさせて、

「実理ちゃん、回る人がいないなんて意外。てっきり鹿嶋と回るのかと思ってた」

「あー、それ女子の友だちもみんなそう思って他の子どうしでくっついちゃって、気づけばあたし一人なんだよね」

「······もしかして、鹿嶋と何かあったの?」

「うん、フラれたの」

 できるだけさり気なく言うつもりだったが、不自然に明るかったのを自覚した。




 病室で告白したあのとき、鹿嶋は少しだけ黙っていた。黙って磯棟を見つめ、わずかに目線を下に外し、それから再び磯棟の瞳を見つめ返した。

「······ごめん」

 今まで聞いたことのない、消え入るような声だった。鹿嶋の顔には疲れが色濃く浮かんでいたが、それだけではない感情が徐々に滲み始めていた。

「······そっか。ごめんね、急にこんなこと言って。鹿嶋くんにその気が無いのに、あたしつきまとっちゃってたね」

「違う、違うよ。磯棟は悪くない。悪いのは俺なんだ」

「······どういうこと?」

「それは······」

 鹿嶋が言い淀み、磯棟はすぐに後悔した。断られたら全てを忘れ、明日からまたいつも通り接する。そうすればせめて鹿嶋を失うことはない。なのに、何か納得できる理由を求めてしまった。もう元には戻れない。炎に焼かれるために羽ばたく蛾のように破滅することはわかっているのに、磯棟は鹿嶋の話を聞きたかった。

「日咲が死んだのは、俺のせいなんだ」

 鹿嶋は堪えられないという風に目を伏せ、ぽつぽつと言葉をつないでいく。

「半年前の寒い日に、日咲が訊いてきたんだ。今年のバレンタインは何がいいかって。日咲は毎年俺に手作りのお菓子をくれた。そのお返しに出来合いのものを買うのは申し訳ないけど、俺には日咲みたいにすごいものは作れない。だから、毎年いい値段のものを買って返してた。だから、今年も手作りのものをもらうのは申し訳ないなって思って、『買ったものでいいよ』って言ったんだ。日咲は菓子作りが好きだったし、たくさんの人に渡すなら買うより作った方が安い。それなのに俺は買ったものでいいって言った。俺の都合だ。俺の都合なのに、日咲は他の人の分はいつも通り手作りして、俺の分だけ高いチョコを買おうとした。それで、資金を稼ぐためにバイトを始めたらしい。そのバイト先でアレルギー発作を起こして、そのまま······」

 鹿嶋は初めて見る表情をしていた。苦しそうで、泣きそうで、励ましたくなる顔。でも、それは磯棟の役割ではない。もう誰もその務めを果たすことはできない。それがわかってしまい、磯棟は胸が潰される思いがした。

「日咲が死んだのは俺のせいなんだ。俺は他の誰かと幸せになっちゃいけない。だから、ごめん」

 鹿嶋が眼を合わせることはもう無かった。もう、鹿嶋と眼が合うことは無いのかもしれない。磯棟が好意を向ける度に、鹿嶋は何を感じていたのだろうか。磯棟がこれから好意を向ける度に、鹿嶋は傷つき続けるのだろうか。それを思うと申し訳なさに捕らわれて、磯棟は何も言えなくなった。

(······こんなのって、つらすぎるよ)

 そこからどうやって病室から帰ったのか、磯棟は覚えていない。ただ、フレイヤが何か優しい言葉をかけてくれたことはわかった。優しさを向けてくれたことが、散り散りになりそうな心の外形を残してくれた。

 それがフレイヤなりに心をつなぎ留めようとした結果だということを、磯棟は知らない。



「麻衣ちゃん、この間鹿嶋くんのこと浮気性だって言ってたけどさ、そんなことはないよ。鹿嶋くんは、ずっと日咲ちゃんのことを思ってる。日咲ちゃんのために頑張ってる。だから鹿嶋くんのことを悪く思わないであげてほしい。悪いのは、つきまとってたあたしだから······」

「······実理ちゃん」

 呟いた箕篠はドライヤーを止め、ロッカーに置いた服を身に着け始める。

「悪いのは、わたしだよ」

「······え?」

「鹿嶋が誰と仲良くしようがあいつの勝手なのにさ、日咲が死んじゃってからいろいろ言って、あいつを日咲に縛りつけた。そのくせわたしは『日咲を縛るな』だなんて言って、鹿嶋が日咲にまた会おうとしてるのを邪魔しようとした」

 そこまで言って、箕篠はボタンを閉める手を止めた。

「日咲に会うのが、怖かったんだよね」

 切れ長の眼が、自らの罪を見つめていた。

「日咲にバイトを紹介したのはわたし。大学の実験の治験で未成年でも募集してたから、手っ取り早く稼げて怪しくないバイトだって、見つけたときは喜んで日咲に教えた。日咲は躊躇してたけど、わたしが『鹿嶋のために』とか茶化して、それで日咲も行くことを決めた。馬鹿だよね、危ないことになるかもしれないってわかってたのにさ。だから、日咲を死なせたのは鹿嶋じゃなくてわたし。それなのにわたしはあいつのせいにして、鹿嶋が前に進もうとしてるのを邪魔して、もう日咲のことは気にしないフリをして、ずっと日咲と鹿嶋を縛ってた。わたしの都合で、本当はあり得た実理ちゃんの未来だって潰した」

 箕篠の声は湿っていた。鼻を赤くして頬を濡らし、本当に言いたかったことを吐露する。



「ごめん、なさい。ごめんなさい············」



 泣いている少女を、優しく抱きしめたかった。磯棟は汗にまみれた己を悔い、せめて箕篠の手を自分の手で包み込んだ。

「いいんだよ、大丈夫だから。誰も麻衣ちゃんのことを責めたりしないし、あたしがフラれたのは麻衣ちゃんのせいだなんて思わないから」

「でも、鹿嶋が、日咲が······」

「泣かないで麻衣ちゃん。鹿嶋くんも、日咲ちゃんも、許してくれる。きっともうすぐ日咲ちゃんに会えるときがくる。そのときに謝ればいいよ。みんながずっと苦しいなんてことにはならないから」

「うん、そうする、謝ってみる······」

 泣いている人を慰めるなんて初めてだった。喋ったこともない少女が許してくれると断言するなんて、無責任だった。それでも、箕篠が泣かないでいられるならそれでいいと思った。磯棟実理は、そういう人間だった。

「······ごめん、急に泣き出して意味わかんないよね」

「そんな、あたしも麻衣ちゃんの話聞けて良かった」

 磯棟が応えると箕篠は照れ笑いを見せ、切れ長の目に浮かんだままの涙を拭った。

「じゃあ、また学校で。学祭、ホントに誰もいなかったらよろしくね」

「うん、そのときはよろしく」

 手を振って箕篠を見送り、止めていた手を動かして服を脱ぎ終える。浴場に入り、磯棟はそこで身体を洗っていた女性を思わず二度見してしまった。

「あ、実理ちゃんじゃん!こっちおいで!」

 向こうも磯棟に気づき、風呂椅子に腰掛けたまま手招きする。

「宮沢さん、よく会いますね!」

 磯棟が言うと赤い髪を艶っぽく湿らせた宮沢は明るく笑って、

「会いたいって思ってるからね。それよりさ、大変なことがあったけどどうなった?」

「どうなったって······あたしは無事ですけど」

「それも良かったけど、陵平くんとのことは?」

「それは······フラれました」

「そっか。じゃあ今はその話やめとこう」

 宮沢はなぜか満足気な表情でボディタオルに石鹸を含ませ、よく揉み込んで泡立てた。それから徐に立ち上がると磯棟の背後に回って膝立ちになり、その背中に優しく押し当てる。

「え、ちょっ、何してるんですか!?」

「あれ、手使わずにやった方が良かった?」

「そういうことじゃなくて!」

「え〜?失恋したんだしちょっとぐらい甘えてよ。それじゃあお客様、お背中流しますね〜」

 抵抗する間も無く宮沢が手を動かし始め、磯棟は結局彼女に背中を委ねる。まだ湯船に浸かっていないのに身体が火照ってきた。

「······実理ちゃん、肌きれい。火傷のこと気にしてないの?」

「気にはなりますけど、嫌ではないです」

「でも、治せるなら治したい?」

「それはそうですけど······もう十年近くこれですし」

「そっか。実は今使ってるボディソープ、この銭湯のじゃなくてワタシの持ち込みなの。傷にも効くらしいし、匂いがいいんだよね。実理ちゃんも買ってみれば?」

「確かにいい匂いです。何て言うんでしょう、トロピカルフラワー?それに、宮沢さんの手のおかげもあってあったかい」

「そう、トロピカルフラワー。実理ちゃんもわかってるね」

 ふと、宮沢の手が止まる。

 そのまま彼女は倒れ込み、磯棟はボディタオルを拾い上げた。








「第一発見者は現場近くの高校に通う少女。四時間前に銭湯で身体を洗っているときに倒れたらしい。まだ意識は無いようだ」

 病院の廊下を早足で歩きながら、フレイヤは富寿満から説明を受ける。

「石鹸の匂いと浴場の温度が影響を及ぼしたんでしょうけど······退霊したかはまだわかりません」

「ああ、原因究明はあなたに任せる。敵のことだ、退霊したように装っている可能性もあるから、警戒態勢を敷いている。それから······」

「それから?」

 言いかけて富寿満はためらい、フレイヤは先を促した。

「降霊研究の凍結が決まった」

 たったそれだけの、短い言葉だった。

 フレイヤは思わず足を止め、目を閉じて深く息を吐く。それからすぐに目を開けて歩き始め、

「わかってました。それでも、私のやるべきことは変わりません。家康さんにも伝言されたんです。『どんなにつらい状況でも、やるべきことを見失わなければ必ず道は開ける』って。だから、ここで立ち止まっていられない。これまでに誰を死なせて、誰を傷つけたとしても」

「······素晴らしい精神性だな。治安部隊ラボポリスに欲しいぐらいだ。だが今は研究者としてのあなたの力を借りよう」

 そこまで言葉を交わし、二人は他の患者とは隔絶された部屋へ入る。身柄確保の段階で負傷した犯罪者を治療するための部屋には銃を持った隊員が五人ほど待機していて、ベッドに寝かされている赤い髪の女性へ最大限の警戒を向けている。

 宮沢佳奈美。正確に言えば、彼女に降りた降霊者。これまで動向が掴めなかったが、今朝になって気を失っていたところを搬送されたのだ。

「······降霊反応があります」

 センサーの反応を確かめたフレイヤが報告すると、富寿満達に緊張が走る。その気配が伝わったのか、宮沢がうっすらと目を開いた。

「············、ん」

 何事かを呟いた宮沢が身を起こし、銃を構えた隊員達を見回した。

「······フレイヤさん」

 宮沢が呼び、フレイヤは懐に手を入れてエディソンと共に製作した小型退霊装置を起動できる準備をしながら、

「どうしたの?」

「······あの、陵平くんに会えますか?」

「鹿嶋くんに······?あなたは誰なの?」

「半年ぶりだから忘れちゃいましたか······?すみません、別に恨み言って訳じゃないんですけど」

「······半年ぶり?」

 フレイヤは訝しみ、その少女は申し訳無さそうに眉を下げて告げる。

 それが、最後の幕開けだとも知らずに。




「わたし、稲森日咲です」




〈つづく〉

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