見出し画像

(エッセイ)空飛ぶ音楽


飛行機でアメリカへ向かうと、西海岸の主要都市に着くまでにおよそ10時間と少しかかる。飛行機によっては11時間以上かかる時もあるのだが、それは気流や飛行コースの違いによるのかもしれない。
 
今まで何度かアメリカへ行き、この北太平洋上空での10時間という時の長さと、そのうんざりするほどの退屈さを身体で覚えてしまっている僕にとっては、ひとくちに海外旅行といっても、その長時間の機内での辛い滞在がどうも二の足を踏ませ、わくわくした気持ちは遠のいてしまう事が多い。

ヨーロッパへ飛ぶ場合もそうだ。昔はアラスカのアンカレッジ経由で北極圏を抜けて入る場合が多く、飛行機の窓の外が夜になったと思えばすぐに朝になり、また夜になってパリのシャルルドゴール空港に降りたりする。一体何時間経ったのだろうと頭の中がパズルになった状態で降り立つフランスの首都は、まだ未明の午前4時だったり5時だったりした。そしてパリ市内に入るバスの中ではいつもくたくたに疲れていたものだった。
 
「地球はとーっても大きいんだよ」

英会話講師という仕事をしながら、教室のテーブルの上にある直径40センチほどの地球儀をクルクルと子供達に見せつつ、僕はいつもそんな思いで若かった頃の旅の経験を語ったりする。そして子供達も目をキラキラさせて僕の話を聞いてくれる。
 
結婚して子供ができたのが29年前。
それと時を同じくしてアマチュア無線の免許を取得し、小さいながらもアンテナを上げて、もっぱら海外の無線家達との交信を楽しんできた。そしてある事がきっかけで思い立ち、僕はモールス符号を使った「電信」という通信方法の勉強を開始したのだ。

アルファベットの26文字と、1から10までの数字、そして幾つかの特殊な符号を暗記し、「電鍵」という道具を使って信号を送出するものだ。マイクに向かって大声で交信するよりも、モールス符号を使うと電波はうんと遠くへ飛んでゆく。

このインターネットや通信衛星が大いに発達し、ネットワークが張り巡らされた時代に、何故好き好んでそんな時代遅れの通信手段を身につける必要があるのか。おそらく多くの人がそう思うかもしれない。
 
ほとんどの場合、「無線のモールス通信が趣味です」と言うと、
 
「へえ。そうなんですか」とか、
 
「ほう。それはそれは」

などという言葉が返って来たまま、そこで会話が止まってしまう事が多い。だから僕は、初対面の人には滅多に自分の趣味を明かすことはない。それよりも差しさわりのない世間話で時間を過ごすことが大半だ。

ところがこの趣味、実はなかなか楽しく奥が深いものなのだ。短波特有のザワザワしたノイズの向こうから、自分を呼ぶかすかな信号が聞こえて来る時の興奮は、他の趣味では味わえないものだと思う。

呼んで来る相手も様々だ。ある冬の日の夜半に交信したシベリアの局は、「気温はマイナス40度。星が美しい夜です。私は今75歳です。子供達は皆モスクワに出てしまい、妻は5年前に他界しました。今この家には私と一匹の愛犬だけで住んでいます」と打電して来た。厳寒のシベリアの夜。一人の老人が暖炉の火の灯る家の片隅で、冬とはいえずっと暖かな日本で、同じ夜を迎えている僕にコツコツと電鍵を叩いて語りかけている。彼の足元には同じく年老いた愛犬が寝そべっているのかもしれない。

また別の夜には南極大陸の近くにある、サウスシェットランドという離島から呼ばれたこともある。
 
「Hiroto (僕の本名)、聞いてくれ。今この島には僕ひとりしかいない。各国の観測班も皆本国へ引き上げてしまった。本当はもう一人同僚がいるのだが、食料を仕入れに船で出かけていて、あと三日は帰って来ない。海鳥ならば数え切れないほどいるのだが、今この島で人間は僕一人だけなのだよ」と言って笑った。彼は、アルゼンチン政府がその島に作った気象観測施設の職員だった。

そのように不確実、あるいは偶然ではあるけれども、空の上で確かに人の温もりを感じる出会いができる事。それこそが僕をこの趣味に釘付けにしている理由のひとつなのだろう。

先日仕事が終った後、疲れてはいたが自分の無線室に上がり、無線機のスイッチを入れて信号を出してみた。するととても強力な、しかも人懐っこい信号で、カリフォルニアに住むクリフという男性が呼んで来てくれた。

69歳。カリフォルニア州政府の技術系公務員だった彼は、退職後もエンジニアとして仕事を続けている。
 
「人懐っこい信号」と言うのには理由がある。

クリフのモールスの打電は、私達よりも単語と単語の間が少し広めで、文字間の揺らぎが独特のためにとても聞きやすく、そして優しく聞こえるのだ。同じような電子機器を操作しながらも、それを扱う人間によって、モールス通信は同じ英文でもまったく違って聞こえて来る。中には聞き取りづらい打電をするオペレーターもいるし、うっとりするような美しい信号を放つ無線家もいる。

最近になって僕は、このモールス通信は楽器の演奏に似ていると思うようになった。ピアノでも、ヴァイオリンでも、演奏者によって音や奏でる旋律の表情がまったく違って聴こえてくるのと同じものなのだと思う。
 
クリフが続ける。

「こちらは朝の4時半だ。家族はまだみんな熟睡しているからとても静かだよ。今日も良い天気になりそうだ。小鳥の声がヘッドフォン越しに聞こえていてとても爽やかだ。これからしばらく無線を楽しんで、6時半には朝食を済ませ、七時には車で仕事に出かけるよ。今朝は日本からの信号は君だけしか聞こえないなぁ」という。その心地よいリズムの打電を聞いていて僕もいくばくか爽やかな気持ちになった。そんな人懐っこくて暖かい彼の信号は、実は飛行機と同じルートで飛んで来ているのだ。
 
「大圏ルート」といって、飛行機もそして電波も、地球という球体の上では最短距離を結んで飛ぶように出来ている。成田から飛行機でサンフランシスコへ飛ぶ場合、北海道の東を抜け、千島列島、そしてアリューシャン列島の南、アラスカ湾の南方上空を飛んで、左にシエラネバダ山脈を見ながらカリフォルニアへと降りてゆく。クリフの電波も僕の電波も、まったく同じルートで空の上を行きかっているわけだ。

飛行機の中でじっと耐えなければならないあの10時間あまりの長い距離を、実は電波はゼロコンマ数秒で伝わってくる。そして僕らはその距離をものともせずに会話を楽しんでいるのだ。
 
時代遅れな趣味かもしれない。しかし確かにまだこうして空の上で、か細い信号で繋がる相手がいるのは事実なのだ。

大海を超えて飛翔するモールス信号という音楽と、机の上の電鍵という楽器で、僕らは今夜も会話の相手を探して行くのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?