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〈エッセイ〉ラジオの声、飛んで行け!

毎週木曜日の午前10時50分から11時までの10分間、HBCラジオにて『Mr.TsukadaのEnglish Conversation(英会話)』という番組を担当して5年になる。年々増え続けている外国人観光客をもてなす為に、ごく簡単な英会話を様々な場面設定で練習する語学番組だ。

HBCラジオ帯広放送局のパーソナリティー、金知実さんが私の教室の生徒だったことがきっかけとなった。5年前の二月ごろ、春からの新しい番組編成を支局長から命ぜられた彼女から、「英語の番組を作りたいのですが」と持ち掛けられた。美人にものを頼まれると断る事のできない私は、熟考もせずに承諾した。

請け負ったのは良いのだが、平日の午前10時50分にHBCラジオを聴いている人は一体どれほど居るのだろうか。まったく想像がつかない。しかも全道放送ではなく、帯広支局をキーステーションに釧路、根室の道東だけで放送される番組だから、おそらくトラックやタクシーの運転手さんのごく一部の人達しか聞いていないだろう。あとはたまたまラジオがかかっている酪農家の牛舎で、のんびり寝そべる牛たちぐらいのものだろう。 

それでも頼まれた以上は全力を尽くすべく、月に一度帯広放送局へ行き、一時間ほどかけて一か月分を収録する。4週分の時もあれば5週の時もある。台本を自分で書いて準備するのだが、これがなかなか骨の折れる仕事で、まったく英語の知識が無い人を対象にしている事を前提に、うんと頭を悩ませながら英会話の文を作るのだ。

しかし、自分で担当している番組にも拘らず、実際に自分で放送を聞いたのは今まで数回しかない。それほど木曜日という平日の午前中の10分間は、一瞬で過ぎて行くものだ。『あ、今日は放送日だったんだ』と時計を見るのは、決まって木曜の午後になってからだ。番組の作り手である自分でさえこうなのだから、この広大な道東エリアで私の声を聴いている人は限りなくゼロに近いのだろうと思っていた。

そんな折、4年前のある日、通訳の仕事でオランダ人のエンジニアを連れ、依頼先の営業マンの車で中標津へ向かった。朝8時に出て阿寒の峠を超え釧路地方の酪農地帯に入った時、いきなり自分の声がラジオから響いた。

「Mr.Tsukadaのイングリッシュカンバセーション!」と叫ぶ私のダミ声の後、リズミカルなジングルと、金知実さんの軽やかで涼しい声のアナウンスが聞こえた。放送日だったことを私自身すっかり忘れていたのである。

知実さんと私のやり取りが流れる車内で、車を運転していた営業マンのKさんが「あれ?」と声を発しこちらを見た。

「ひょっとして、これ、塚田さんですか?」

驚いた彼の表情は今でも忘れない。

「ええ、私です」

「マジっすか? ええ? こんなことされてたんですか!」

「はい、4月からです」

「いやあ、凄い! あっはっはー」と笑う彼に続いて、後部座席のエンジニアも「Is that you? Hiro!? (ヒロ、これは君なのか?)」と身を乗り出して来た。

事の成り行きを車内で説明した後、二人とも静かに番組を聴き、終わった時には「イエーイ」と声を上げパチパチと拍手。実に照れ臭かったのだが、視線を移した車窓の向こうには果てしない牧草畑が続き、予想通り牛たちがのんびりと草を食んでいた。

『やっぱり牛しか聴いてねえか…』

心の中で独りごちたものの、人口よりも牛の数の方が多いこの田舎の空に、確かに私の声が電波になって飛んでいたのである。

それからも相変わらず木曜日は自分の放送がある事も忘れ、家事や仕事の準備であっという間に午前が過ぎてしまっていた。

そして忘れもしない2018年9月6日の未明、北海道胆振東部地震が起きた。

生まれて初めて三日近くに及ぶ停電を経験し、すべての店の陳列棚から食料品が消えた。こんな時煮炊きのできない、風呂も沸かせないオール電化住宅など建てなければ良かったと後悔しても仕方がない。学校が休みになった娘と共に、とにかく食えるものをかき集めた。町職員の妻は災害対策で殆ど役所に詰めており、夜は娘と二人じっと蝋燭の炎を見つめていた。

厚真町近辺で起こった惨事には本当に胸が痛む。台風、地震とここ数年の日本列島は何か災いの神にでも祟られているかのようだ。気候変動もさることながら、活断層や深層部の地層のずれ。まるで大雨や突風が吹きつけるグラグラと不安定な屋根の上で生きているような心地さえしてくる。

そんな漠然とした不安感を忘れようと、久しぶりに家の前の歩道を竹箒で掃除をした。停電も復旧し、スーパーにも徐々に食料品が戻ってきている。

箒で集めたごみをちり取りで掬っていると、去年まで町内会の副会長を務めておられたNさんが車で通りかかり、私の家の前で停車し、窓を開けて声をかけて来られた。

「塚田さーん、ラジオ、毎週聴いてるよ! 頑張ってるねえ。」

驚いた。そしてその時やっと自分のラジオ番組の事を思い出したのだ。

「俺はいつもこうやってポケットにラジオ入れて聴いてるんだ。聴くのは昔からHBCラジオだけでさ。そしたらあんた、塚田さんが出てるんだもんさ。ぶったまげたわあ!」

胸ポケットから携帯ラジオを取り出して見せるNさんの笑顔がパーンと弾けて見えた。

「ありゃまあ、どうも有難うございます」

そう返して一礼をすると、Nさんは再びアクセルを踏んで去って行かれた。
箒と塵取りを持ちながら空を見上げた。

真っ青な秋晴れの空だった。

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