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<エッセイ> 傍にいた白鳥

国道を隣町に向けて走っていた時、二羽の白鳥が南の空から北へ向かってゆっくりと飛んで行くのを見た。つがいであろう。三メートルから五メートルと付かず離れず、先を行くのはオスだろうか、その斜め後ろをもう一羽がしっかりと追随して飛んでいた。

暴風雪が去った翌日の午後、真っ青な大空を背景に羽を広げて飛ぶ、二羽のその白い姿は、実にくっきりと美しくこの目に焼き付いたのだった。

白鳥は「愛の鳥」だと言われている。古くから詩歌はもとより、絵画や音楽にも登場する。一度つがいとなった白鳥は死ぬまで相手の傍に身を置くのだという。はるかシベリアからアリューシャン列島、オホーツク海のロシア側の沿岸で繁殖し、この緯度の低い北日本には越冬のためにやって来る。そして春と共に北へ帰って行く。

少しだけ自分が白鳥になったつもりで想像してみた。極北を取り囲む北緯四十度から北のこの広大な空の中を、パートナーと共に数千キロも旅をするのはどんな心地なのだろうか、と。

途中で様々な湖沼や島、半島で羽を休め、水藻や落ち穂をついばみながら越冬地と繁殖地を往復するその長旅の中で、白鳥はつがいとなった相手にどれほどの愛と信頼を寄せながら生きているのだろうか。

あの無限の青空の中を飛んでいる時、相手の翼の羽ばたきや、それが風を切る音などはどんな風に聞こえているのだろう。彼らが持つ相手との絆の感覚は、きっと私たち人間には想像もつかないような、自然の営みや遺伝子に裏付けされた何か特別な本能なのだ。そうでなければ、個体の平均寿命二、三十年という期間に、つがいとなった相手に死ぬまでずっと連れ添うなどという事は起こり得ないのだろうと思う。

翻って人間として六十余年生きてきた自分を俯瞰してみる。私は妻に対して忠実であっただろうか。慈しみ抜いてきただろうか。答えは否、である。

結婚して三十年。好きなことばかりしてきた私は、家事や育児もその大半を妻に任せっきりだった。しかも共働きでしっかり家庭を支えて来てくれたはずの彼女に対して、今思えば自分の随分つまらないプライドが原因で、彼女を罵倒したり、心無い言葉を投げかけたりしてきたことも度々あった。それを今はとても後悔しているのである。

去年の春先、私は腎不全と診断され、近々透析治療を受けることになった。透析導入前の今が一番辛い時期でもあり、毎日が著しい倦怠感との闘いだ。塩分やカリウムの制限と、摂取する蛋白質の管理をあれこれと考えながら、私の食事を作っているキッチンの妻を見つめる。

情けないことに、病を患って初めて気付かされたのだ。三十年間、私のすぐ斜め後ろを追随し、ずっと飛び続けて来た白鳥は紛れもなくこの人だったのだ、と。

深い反省の念に押され、心の中で静かに彼女に問いかける。

『僕と一緒に飛んできて、君は幸せだったのかい?』

じっと見つめる僕の視線に気づき、妻がこちらを見る。そして目が合う。

「うん? どうしたの?」

妻が料理の手を止めて訊いてくる。

「いや、なんでもない」

「何さ、言いなさいよ」

「いや、なんでもないって」

笑いながら妻が再び包丁を動かす。

『今まで本当にごめんな』と、その時初めて心の中で詫びた。それに呼応するかのように、彼女の手元からまな板で野菜を切る軽快な音が聞こえてきた。

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